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透明な焔:ナタリーってこうなってたのか

ナタリーってほとんど見たことないんですが、それ以前に同時代の音楽をまともに聴かなくなってずいぶんたつ。でも本屋で装丁が目について、なんか気になったので、買ってみた。で読み始めてみると、

記事を作るにあたって「書き手の思いはどうでもいい」というのが、ナタリーの一貫したスタンスだ

ほほぅ

自分の心の中や頭の中のことは書くな。目で観たことと耳で聴いたことだけを文章にしろ

そ、そうですか

我々は徹底的に無色透明な存在でありたいと思っている

これはもうアンチ・ロッキングオン宣言だな(ちなみにわたくしは、渋谷陽一のDJライブ@渋谷eggmanを見に行ったことがあります)。

じゃあナタリーってのはあれか、無味乾燥な記事をパカパカ量産するコンテンツ工場なのかしら。と思いつつページをめくると、

とにかくPVや視聴率を稼ぐためにインパクト重視の下品な記事を載せるメディアの姿勢がイヤで仕方がなかった。ナタリーは“そこに乗っからない”メディアでなければならないと思っていた

おや?

何よりも大切にしているのは「自分たちで記事を書く」ということだ(略)もちろん当たり前のことなのだが、ウェブの現場では、なぜかそれをやらないメディアが大手を振って存在しているという事実がある

結構、ちゃんとしてるのね

「戦争が終わりました」というニュースを読み上げるニュースキャスターに自分はなりたい(略)路上で大声を上げながら号外を配る人のように、キモいくらいに汗をかきながら、まだ会ったこともない見知らぬ誰かにそのニュースを伝えたいと思う

つか、この人めちゃめちゃアツいじゃん!

という感じで、読み進めるにつれ、大山卓也さんという方への印象が二転三転していきました。音楽ファンよりむしろ報道の仕事をしている人が共感する内容だと思うし、紙媒体の経験がないままウェブメディアの編集職に就く若い人には貴重なアドバイスが詰まっているんじゃないでしょうか。

ゆるく見えてもぬるくやっているわけではない

焔のさきっちょ、透明に近い蒼色のところ。うかつに手を出すとやけどするよ

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