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それぞれの美徳

こんなことがあった。


パリのとあるピザ屋さんにフランス人の友人とふたりで行った時のこと。

なかなか洒落たピザ屋で、ランチには遅い時間だったがそれでも多くの人で賑わっていた。メニューには一般的なピザはなく、すべてそのお店の創作だった。

彼はダイエット中ということもあり、サラダを注文することを早々に決めた。私が数多あるピザの中からその日の私の気分に一番近いものを選んでいると、彼はメニューの中に子供用の「ミニピザ」があるのを見つけた。

「せっかくピザ屋に来たのだから、ピザの味だけでも楽しもうかな」と彼はいう。

ただ、メニューにはそのミニピザは12歳以下の子供用だと記されていた。そのことを告げると、

「フランスではメニューに記載があるものを提供しないことは法律で禁止されている。売り切れ等の提供できない理由がない限り、このような記載があっても関係ないんだ」といった。


若い女性店員が注文をとりに来た。彼がミニピザを頼もうとすると、「申し訳ないけど、それは12歳以下のお子様用です」と断られた。彼は先の主張を繰り返し店員を困らせ、挙げ句の果てに店長を呼べ、とまで告げた。店長とのしばしの口論の末、私たちは結果的に店を出ていくことになった。

店を出ながら彼は、「こういう法律を守らずに客をバカにする店には我慢ならなんだ」と捲し立てた。


私たちは近くの違う店に入った。そこで彼は「メニューに記載のあるものの提供義務」について、ネットで検索した。すると、先のミニピザの「12歳以下」のような記載がある場合は条件に当てはまらない人への商品の提供を拒否することができる、という事実を得た。

「なんだ、それじゃ今度またあのピザ屋に行ってみよう」

と、さっきまでの怒り様が嘘だったかのようにケロッとしていた。


さて、この話を聞いて、あなたはどう思うだろうか。「これだからフランス人は」と感じただろうか。

余計ないざこざに巻き込まれた私が、迷惑に思わなかったといえばそれは嘘になる。ただ、この一件は、フランス人と日本人の違いについて、今まで漠然と感じていたことを明確にしてくれた。


誤解を避けるために明記しておくと、彼はいつもこういう態度をとるわけではない。その日はたまたま主張したい“気分”だったのだろう。この出来事の前後の言動から、その“気分”を私はなんとなく感じ取っていた。

また、フランス人そして日本人にも様々な人がいるので、その枠でくくるのは大雑把すぎる上に、私自身フランス人そして日本人について十分に知っているとはいえない。だから、そんな私の狭い経験の中で導き出されたひとつの仮説、程度に話を聞いてほしい。


この手のフランス人による「根拠のない強い主張」に出くわすのは初めてのことではない。それにより今回のように困惑させられたり邪魔をされたことはしばしばある。

ただ、今回の件もそうだったが、彼ら彼女らはそのあとが至極“あっさり”している。友人同士の喧嘩の後も、“仲直り”というプロセスを経ず、喧嘩なんてなかったかのように通常運転に“スッと”戻るのだ。

日本人であればきっと、自らの主張の正当性が十分である場合にはじめて声を上げるというのが一般的であろう。その正当性が確認できない場合、あえて主張しないという選択を取るということもしばしばあるはずだ。仮に主張を繰り返した末に自身が誤っていたら、恥ずかしい思いをするハメになるし、その主張の正誤によらず、口論のあとにはどこかギクシャクした雰囲気が残ることが多い。

一方でフランス人は、とりあえず主張するところから始まる。主張する限りにおいては自らの正当性に露ほどの疑いも持たない。そして自身が間違っていることが後にわかっても、「あ、そうなのね」とどこ吹く風なのだ。それについて謝るということはまずない。


それぞれに良し悪しがある。その場をうまくやり過ごすには日本人的な対応がいいだろう。波風立てずに、とりあえず済ませてしまえば、何事もなかったかのようになる。ただ、のちのことを考えるならば、もしかしたらフランス人的な立ち振る舞いの方がいいのかもしれない。それはその一時的な衝突よりも、その後の“あっさり具合”を見るにつけそう感じる。


きっと、日本人的な、その場においては波風を立てないという処世術は、「周りに迷惑をかけない」ことを「美徳」としているところからきている。

日本人にとって、それはさも当たり前のことのように思われるが、フランス人の立ち振る舞いを見ていると、そもそも「周りに迷惑をかけない」ことがなぜ「美徳」なのだろうか、と思わずにはいられない。もちろんそれにいい側面はたくさんあるし、それこそが日本人が評価されている点かもしれないが、だからといってそれが“疑いもなく正しい”というわけではない。それはひとつの「価値観」でしかないのだ。


日本人としての私は、できれば周りに迷惑をかけずに生きていきたいと思わずにはいられないが、今回の件を通して、それによって何かしらが制限されていることを忘れてはならないように感じられた。また、自身の主張に全く疑念を挟まないフランス人とは、“そういう生き物”として接するべきなのだと、改めて思わされた。


それにしても、当初行こうとしていたピザ屋がなかなか美味しそうだったので、それを食べ損ねたのが心残りで仕方がないが、近々に再訪したら、店員が私の顔を覚えている可能性があるかもしれない。だとしたらなんだかバツが悪い。

いや、店員はフランス人だから、もう何も気にしていないだろう。きっとあの出来事を覚えてすらないはず。それこそがフランス人の美徳なのだから。


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