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狭くと深く。


昨日は高校時代からの友達と「第2回オンライン飲み会」をしていました。

もうかれこれ9年目になる付き合いの彼らと安定のくだらない会話にはじまり、仕事の話、そして最後にはすっかり恒例になってきた七並べと大富豪をオンラインで楽しみました。

気心の知れた人達なら本当にストレスフリーだし
むしろ笑って元気になったり、刺激をもらえる。
8年にもなれば思い出話を振り返るのなんて最高に
楽しい。きっと彼らとはこれからも繋がっていくんだなと思います。

今日はふと、そんな“人との繋がり”について考えてみました。


僕にともだちが少ない理由。

僕の友好関係はお世辞にも「広い」とは言えない。
人見知りだし、そもそも友達がたくさん欲しいとも思っていない。だから今までも、自分から友達になりにいこうとしたことなんて記憶の限り、一度もない。

それは今もあまり変わってない。
誰かと共に何かを作っていく上で「これはコミユニケーションが必要だな」と感じればなるべく会話をしてお互いのことを知っていこうとするが、それ以上の詮索はしないし、されたくないと思ってしまう。

それはきっと僕の性格上、「気を遣いすぎてしまう」のかもしれない。普段から人間観察をするのが僕の密かな趣味なのだがそれは僕の身近な人にほど無意識のうちに行っていて「あ、いま急に動揺した」とか「不機嫌になったかな」という変化には人一倍敏感な自信がある。

だからこそ、その敏感さ故にコミユニケーションを取るべき場においても相手のことを観察し、警戒しすぎてなかなか踏み込むことが出来ないのだ。

そういう場合、僕は様子を見て話しかけることをしなくなってしまう。その後相手から話しかけられ仲良くなって「話かけてくれたらよかったのに」と言われるのである。つまりは僕の深読みしすぎだ。
人間観察の修行がまるで足りていない。

プライドの高さ

もうひとつの理由として僕は「プライドが高い。」
これは人に言われてはじめて気づいたこと。
今まで僕が身を置いてきた学校であったり職場、そして今の芸能の現場において、これがすごく難しい。

何よりこれは僕は意識していないのだから尚更治すのが困難である。たしかに色んな場所に行ったとき、「自分が話すとしたら誰がいいだろうか。」とまず考え明らかに怪しい人や五月蝿そうな人は自動的に除外される。そしてその中から自分と同じように周りと関わろうとしない人とこっそり話をする、そんなパターンが今まで一番多かったような気がする。

いやー、難しい。

だからこそ分け隔てなく人とコミユニケーションを取って馴染んでいく学校のクラスメイトや現場のムードメーカーには憧れるし嫉妬してしまう。何を考えているんだろう。と僕は一歩引いて頭の中でひとり考えてしまうばかりだ。そういうタイプの人は決まって、

「人が好きだから」と答える。

僕も人間観察は好きだし人間らしい言動には面白いなと常日頃から思っている。しかしいざ踏み込むとなると面倒くさい人に捕まったり変なことを言われたりととにかくストレスが溜まってしまうことが多いのだ。

ただ、この文章を書いていて少し考えが変わった。

人は失敗しなければ学べない。

僕は保守的で失敗を恐れているからその一歩が踏み出せずにひとり殻に閉じこもっているのかもしれない。
おそらく僕が憧れ嫉妬している人間はそれを乗り越えた次元で面白いことを楽しんでいる。
ならばその殻を自ら破壊して線を飛び越える他ないのではないか。
その先で失敗することで人を好きになりまた自分を高められる人物に巡り会えるのではないか。

書いていて今、僕はそう思った。
そして、少し楽しみになってきた。

はやくまだ見ぬ知らない人間に会いたい。
この現状が明けて人と関わる場面に出くわしたとき、僕は覚醒することだろう。笑

そのときは今回のレポート版として書こうと思う。


未来の私めに乞うご期待ください

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静岡県出身23歳、俳優をやっています。じぶんから出てきた言葉を日記がわりに綴っていきます。不定期。プロフィールはこちらhttp://www.brilliant-c.com/yuuta_ishiguro.html
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