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はじめに

 恥と自己嫌悪の多い人生を送ってきました。

 私、ユスラウメは齢18にしてすでに人生のなんたるか、人の生きる意味とは、生と死、己と他人、自意識とは、自我とは、と様々なごちゃごちゃとした哲学になりきれない青臭い思考回路を幾度となく脳内再生しました。それこそ、一度聞いて気に入ったレコードを何回も何回も再生し擦切らす子供のように。
 両親の年収は世間の皆様より少し下回りますが、それでも私をただ一人の子どもとして可愛がってくれる父母の下に生まれました。私がこうして、ノートパソコンと向き合い必死に脳内の散文的記憶を手繰り寄せここに著しているのは、もしかしたら父母の職がしがない放送作家であることも少なからず起因しているのでしょう。
 私にはこれといった特技がございません。これまでに数回あった面接でも、準備の際はその問答への最適解を探し出すのに随分苦労したものです。なにをするにせよ、常に上には上が居り、長らく顔を90度上へ向けたまま生きることに疲れ果て、下に90度向けるも立ち眩み。そうして私は正面を向き、頭脳相応の県内でも中間あたりのレベルの高校へ進学しまた。頭脳に秀でるわけでもなし、身体能力に特化するでもなし、とはいえ出来の良い容姿も持ち得ず、ご覧のとおり少々厄介な性分の私は、人様に誇れるものを持たず今日までなんとなく生きて参りました。いわゆる「自己肯定感」の欠如を携え、ここ数年は年がら年中「心」の風邪をひいている有様でございます。
 ここまで、自分で自分を綴っておりますと、随分と空しい人間であることを痛切に実感せざるを得ないものです。こんなに空虚な人間ですから、これから先に待ち受ける様々な課題を、オリジナルの禅問答で一休和尚のように迎え撃つことなど夢のまた夢。私には一体どうしてできましょうか。
 これから語りますは、そんな私が生きてきました跡をなんとか辿って書き起こしたものとなります。お読みになった皆様には、どうぞ「生きづらい奴がいたもんだ」と笑って読んでいただければと思います。


#エッセイ  #日記

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