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はじめまして、こんにちは。上條悠輔です。 #私の履歴書

はじめまして。ベイシス株式会社の上條です。
はじめて僕を知ってくださった方のために、自己紹介代わりにお届けするnoteです。

#一言で言うと

通信インフラ業界のDX(デジタルトランスフォーメーション)を推進するベイシス株式会社の経営企画を担当しています。
大学卒業後、2009年に新卒でベイシス株式会社に入社し、入社3年後、2012年に社内の独立支援制度にて起業しました。
その後、2016年に株式会社Speeeに転職し、ナショナルクライアントのデジタルマーケティングの支援を行い、2019年にベイシス株式会社に経営企画として出戻りしました。
現在は中期経営戦略や予算策定、新規事業支援などをしています。
25歳で結婚し、妻と2人の娘の4人家族です。
Twitterやってますのでフォローいただけると嬉しいです。@Kingkamijo

#学生時代 (〜2009年)

 遡ること20年数年前、Windows98が日本で大流行し、長野県松本市の田舎に住んでいた上條家にもIT革命が訪れたのでした。
 最初は「パソコン?なにそれ美味しいの?」というものでしたが、姉がアメリカに留学していることもあり留学先にE-mailを送ったり、年賀状をパソコンで印刷しているうちに「これはすごいなぁ!将来はこういう人々の生活が激変するものに携わりたい!ITや!ITしかない!」という風に将来の方向性が決まっていったのでした。
 そんな感じで自然と理系に進み、プログラミングを学ぶ情報系の大学に入ると、今度はサイバーエージェントの藤田晋さんやライブドアの堀江貴文さんなどが時代の寵児として注目を浴びていてわかりやすく影響され、「将来はIT系で起業や!ITベンチャー立ち上げたる!」と起業に興味を持ったのでした。
 気がつくと大学3年生になっており就職活動が始まりました。それまで全く就活していなかったので作法がわからず、服装自由という言葉を信じてジーパンにダウンジャケットという格好でビックサイトで行われている合同企業説明会に行ったのでした。
 そこでベイシス株式会社と出会い、非常識な格好の就活生にも真摯に対応してくださり、『100人の経営者を育てる』という社長の夢に惹かれ、ベイシスの選考を受けました。
 最終面接の時に、「社長にとって仕事ってなんですか?」という質問に対して、「自分にとっては仕事は自己実現できるものだし、成長させてくれるし、色々な人とも繋がれるし、一番楽しくて情熱を注げる最高の趣味だよ」という回答で、(この人と一緒に働けたら最高だなぁ!)と思って入社を決めたのでした。

#新入社員時代 (2009年〜2012年)

 企業説明会にジーパン・ダウンジャケットで行っちゃうくらいなので気づいてる人も多いと思うんですが、良く言えば尖っている、悪く言うと非常識な新入社員でしたw
 効率の悪いやり方見ると「効率悪いっすね」って言っちゃう。定時後のMTGに対して「なんで業務時間中にやらないんですか?意味分かんないです」って言っちゃう。アウトプットが遅い先輩に対して「俺がやったほうが早いんでやります。先帰ってください」って言っちゃう。そんな感じだったのでめちゃめちゃ嫌われてましたwww
 期待の新人だと思ってたらめちゃめちゃ扱いづらい嫌な奴だった、、、ということもあり、いろんな部署を転々とし、最終的に名古屋に転勤となったのでした。

#起業 、そして転職(2012年〜2016年)

 やる気はあるけどそのエネルギーの使い方がわからない。そんな新入社員時代を過ごしていたわけですが、2010年〜2012年頃はガラケーからスマホに置き換わるという何十年に一度の変革期でした。
 ベイシスは携帯電話のインフラ構築を行っている会社です。ガラケーからスマホに変わると通信量が10倍以上必要になり、携帯キャリア各社は設備投資を積極的に行い、インフラ構築をしているベイシスもそれに合わせて非常に忙しくなっていたのでした。
 当然自社だけではリソースが足りず、パートナー企業を増やしていたのですが、「自社のメンバー独立させて会社作って人集めたほうがいいんじゃね?」という方向性になり、独立支援制度が始まったのでした。そこで立候補し、ベイシスから出資してもらい、2012年に起業したのでした。
 販売先がベイシスに確定していたため新規営業も必要なく、案件も潤沢にある状態だったので、初月から黒字化、2年目には6000万円の売上を作り出すことができ、急成長20代社長ベンチャーにも選ばれるなど順調なスタートを切ったのでした。

 しかし、社内トラブルや新規事業の失敗、悪徳コンサルに騙されたりメンバーの退職など、なかなかうまく行かず、2015年頃には社員一人、事業内容は個人事業主向けのホームページ制作といった個人事業主と変わらないようなスケールとなっていました。学生時代に憧れたITベンチャー、そして世界を変えるようなサービスを作るという想いは変わらないものの、あまりにも現実が離れすぎていました。また、自分自身で営業し、売上を作ったとしても社員の給与や家賃などで消えてしまい、自分の給与は止まったまま。生まれたばかりの長女の出産祝いと児童手当と妻の育休代で生活していたヒモ社長でした。
 当時29歳。20代であればまだリカバリーできる。そう信じて会社を閉め、デジタルマーケティングの会社に転職したのでした。

#Speee時代 (2016年〜2019年)

 Speeeではナショナルクライアントのデジタルマーケティングの支援をアカウントプランナーとしてやっていました。最初はSEOとWeb広告の事業部が一緒だったのでどちらもやっていましたが、途中からWeb広告の専属となりました。SEOはテクニカルSEO、Web広告はSNS広告としてTwitter、Facebook、LINEを、ディスプレイ広告としてYDN、GDNを、DSP広告としてLogicad、KANADE、FreakOutを、データフィード広告としてCriteoを取り扱い、月間数千万の予算を預かり、メディアプランニングを行っていました。
 アカウントプランナーという立場ではありながら、FacebookやGDN、YDNは自分自身でも運用を行っていました。
 Speeeは採用にめちゃめちゃこだわっているので、本当に優秀な人が多い会社です。新卒もみんな賢く、中途も超優秀。その環境の中で毎日エキサイティングな仕事をし、仕事のスキル面で非常に成長を感じられました。特に営業力、提案力、プロジェクト推進力、ロジカルシンキングが鍛えられました。社会人として短期間でめちゃめちゃ成長したい人には是非オススメしたい会社です。
 先日上場しましたね!いやーめでたい!おめでとうございます!
 ちなみに転職したばかりの頃、仕事が忙しすぎて朝食、夕食を食べる暇がなく、気がついたら身長176センチに対して体重54キロ、BMI17.4になってしまいました。健康診断で低体重という診断結果になり、さすがにこれはヤバイということと、このままじゃ娘を守れないということから筋トレを始めました。
 今では週3でジムに行き、体重は68キロになりました。筋トレは最強のソリューションです。筋トレしてれば99%の問題は解決できます。
 さて、話を戻すと転職後は特に不満もなく、充実した日々を過ごしていましたが、優秀な新卒が事業責任者として育っていく姿を見ると、ついつい自分と重ねてしまい、自分がもしベイシスに残っていたとしたら・・・ということが脳裏に浮かぶことが多くなってきました。
 また、3年も経つとクライアントワークに正直飽きてしまっていました。クライアントの成果が出るのは嬉しかったのですが、やっぱり自社の成長に直接的に貢献したい。代理店業よりも事業会社の企画系の仕事がやってみたいと思うようになったのでした。
 そんな時、ベイシス代表の吉村(@yoshibasis)と久しぶりに話す事があり、ベイシスの状況、今後の展望、それをやるためには戦略やマーケティングを担当する経営企画のポジションが必要という話を聞きました。
 家からも近い、フレックスもある、やりたい仕事をやれる、当事の同僚や後輩は役職者になっていて一緒に事業推進できそう、これから伸びていくマーケットの課題をど真ん中で解決できる、、、吉村と話した次の日には当事の上司に退職の意志を伝えていました。

#出戻りから現在 (2019年〜)

 2019年5月からベイシスに出戻りました。そもそも経営企画の期待役割が不明確だったのでまずは定義から始めるところからスタートしました。
 ざっくり言うと、現在は会社の中長期の戦略や戦術、ブランディング・マーケティング、広報といった全社的に影響のある業務を部署横断的にやっています。
 具体的に何をやったか、ベイシスにおいての経営企画の役割とはについては別のnoteにまとめます。

#最後に

 noteでは採用候補者などからよく聞かれる内容や、ベイシスの独自の取り組みやニュースなどを中心に発信していくつもりです。
 社内外にネットワークを広げていきたいと考えておりますので、TwitterのDMでお気軽にご連絡ください!
 それでは!しーゆー!

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