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父さん、乾杯しようぜ

今年の10月が来たら71歳になる父さん。
そして、俺は11月で41歳になる。

『お酒は二十歳になってから』だから、俺と父さんは20年間共に呑み交わすことが出来たんだ。
もちろん、その可能性が途絶えたわけではなく、今も有り難いことに父さんは健在ではある。

いわゆる団塊世代と呼ばれる、ゲンコツ上等の子育てをされて来たおかげで、子供の頃の俺は父さんに萎縮してた。
そして、満を持して反抗期も迎えた。
長い長い反抗期を終えることなく、そのまま大人へとなっていった。

たまにテーブルを囲めば些細なことで言い合う。
声変わりした図太い声は、電話だとよく父さんに間違えられた。親子だから当然だけど、それすらもすごく嫌悪感があった。
似ているとか言われるのも面白くない。
実家のあるマンションにはきっと20数年前、俺と言い合う父さんの声が響いてただろう。
近所の皆さん、その節はご迷惑をおかけしました。

公務員だった父さんは夕方にはしっかり帰宅して晩酌をはじめる。若い頃は付き合いで呑みに出ることも多かった。
気持ちよく酔って父親の威厳の欠片もなくす姿は、子供の頃「酔っぱらいってやだなぁ」のマインドを刷り込んだ。

かつては父親と酒、父親とタバコはセットみたいなものだった。
もうずいぶんと前に病気をきっかけに、タバコはやめた。家族も驚くほどのスマートなやめかただった。

私は二十歳を迎えるより前に社会人になった私は呑む機会も増えたし、なんなら高校生のときにもバイト先で呑みに連れていってもらって潰れて帰っても寛容だった。
そのあたりは不思議なものだった。

そう言えば、うちに泊まりで遊びに来た高校の部活仲間を掴まえては、ビールを呑ませていたような問題児みたいな父親だったんだ。

「お父さん最近5キロも痩せちゃって…」
たまたまドラッグストアで居合わせた母と立ち話をした。

このところは感染リスクを考慮して、近所ではあるが実家の両親のもとへ立ち寄ることも少なくなった。

「でも、まぁメタボだった腹が凹むならいいんじゃない?」と返す息子に母は、

「それが最近はお父さん、お酒も呑みたくないって言って呑まないの…心配で」

父さんは2年前に難病になった。
突然のなのか、徐々に様子を変えていったことで家族も本人も異変を感じ、病院を転々としながら原因を探し求めた。
結果はパーキンソン病。

みるみるうちに筋肉が落ち、一時期は歩行すら危うくなってしまった。
それがあったことで、単身赴任中だった俺は1年で地元に戻ることにした。
離れていることより単純に近くにいれることが安心だとは、俺も母も同じように感じていた。

父さんは一時の落ち込みからは頑張って回復させて、晩酌はしていたし、車の運転もするぐらいにはなっていた。
母には暗い顔見せたくなかったから《メタボ》なんてワードで誤魔化したけど、正直ショックだったんだ。

「お酒も呑みたくない?」嘘だろ?

今年の父の日にプレゼントしたのは大分県の麦焼酎だった。
香りが良くて、グイグイ呑みすぎない様なチョイスにして父さんのもとへ届けた。

「おお、なんだわりぃなぁ」弱々しくも嬉しそうにしてた。
年齢だけのせいじゃない、明らかに病気のせいで落ちた筋肉のせいでシワシワの手になった父さん。

また一緒に呑もうよ。そう言って渡した。

あれから、まだ2ヶ月も経っていない。
それなのに、そんなことになっているのか。

かつては楽しみにしていた夫婦での旅行や日帰り温泉もすっかり出来なくなった父さんの楽しみは、もはや生粋の南海ホークスファンである野球中継や大相撲を見ながらはじめる晩酌タイムだけだった。
弱々しくもそれだけは続けていたと聞いてたんだけど、そうか…そうなっちゃったのか。

まいったな。

親はいつまで経とうと親のままだ。
親の気持ち子知らず。

そうなのだろう。

かつては、たまに実家に行けば「呑め」と缶ビールを取り出してくる。
そして、たまにゃ行かざぁと前はよく呑みにも誘われたものだ。

俺はいつだって煮え切らない態度で答えた。

「最近呑まないんだよね」
「わりぃ、仕事でまだ帰れないんだよ」

今思うと何故そこまでして避けてきたんだろう。
父さんは俺の夢や、やっていることを本人である俺には認めるような発言はしてこなかった。心配だったんだろう。
そのせいで、父親だけには甘えることが出来ない無意味なプライドだけが30代になってからも残っていた。

なんなら、本当にこの病気発覚までそうだった。

元気だった父さんはきっと何かを伝えようとしていたんじゃないと思っている。
あれでいて、家族が大好きで子煩悩。
父さんは贅沢なんかしなかったし、俺と妹を育てきってから中古のクラウンを買って喜んでいた。

ただ、共に酒を酌み交わして肩を並べて話せる息子との時間が欲しかったんだと思っている。

それがきっと息子を大人として一人前と認めた証拠だったんだろう。遅かったかな、ごめん。

年末に古希の祝いも兼ねて知り合いのレストランで家族4人だけで忘年会をした。
久しぶりの家族の時間に、嬉しそうにしてた父親を見て「これでいいんだろうな」と感じた。
家族で乾杯したのも、その日が最後だ。

長居するほど体力もないから、腹八分で酔いもまわったら「帰ろうぜ」とコース料理が出終わる前に言い出して困らせたな。それも俺の父さんらしいよ。まったくせっかちな人だ。

そのとき、今度は旅行しながらなんて話してたんだよ。

そしたらこの感染騒ぎだ。

こうして病気を持っていると、極力接触を避けることで感染リスクを減らすことになる。
こうして、徐々に顔を合わせることが減ってしまった。

いつの日だったか、社会人として葛藤したり苦労を乗り越えて行きながら、上司とぶつかることがあると話したことがあって、それを聞いた親戚からは「お父さんに似てきたな」と笑われたことがある。
正直、うっすらそれを感じていた。

笑顔がなんとも下手くそなところも、最近の写真を見たら似てると感じる。

若い頃は声変わりした図太い声で似てると言われて、モヤモヤしてたくせに、今はなんだか似てると言われることが《確かな血筋》と感じれて嬉しくもある。

似ちゃうもんなんだな、親子ってのは。

しめっぽい話は嫌いなんだよな。
そこも親子だ。やっぱり似てるんだ。

なにがあろうとドンと構えた父親の血筋は、しっかりと私にも流れていて、苦難でさえも乗り越える力を与えてくれた。
いつまでも甘えていられないよ。

今までありがとう。
もうちょっと甘えてよ、今度は息子に。

まだ残ってるでしょ?あの父の日のプレゼント。

開けてないなら一緒に呑もうか。
息子の誘いなら断らないでしょ?

水割りにして香りを楽しんでみようよ。

それからだよ【乾杯】をするのは。
そうだ、新しい焼酎グラスでも見に行ってみようかな。

「ねぇ、父さん乾杯しようぜ」

#また乾杯しよう

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コメント (6)
深澤さん
はじめまして。粋な文体にシビれました。素敵な記事をありがとうございます。
ゆめのともふみさん
素敵なコメントありがとうございます!たくさんの方に読んで頂けて本当に嬉しいです。
こんばんは。私も母と確執を残したまま大人になってもう半世紀も生きてしまいました。母もお父さまと同じ病で、その上、骨粗しょう症を患っています。それでも、家のことは自分でやりたいタチなので、やっているようです。
お父さまも、いつか「おいしく」飲める日のために頑張ってらっしゃるのかしらね😊その日が来るのが楽しみですね❣️
さとさん
病気になった時はさすがに驚きましたが、今も元気にいてくれることが幸せだなって思えています。別のnoteで後日談書きましたが、焦らず乾杯できる日を楽しみにしたいですね!
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