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本当の友達は一握りでいい

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この話の結論を冒頭に書いておくとこうなる。

関わる人が多いだとか、幅広い人脈を持つ人が友達が多いわけではない。

と、言うこと。

ついでに付け加えると、関わる人すべてと友達である必要はないと言うこと。だって、人はみんなONE PEACEの主人公のルフィじゃないもの。

「友達だろ」

なんて言葉ですべてが解決するものじゃないのだから。

1年生になったら』の歌ではないけれど”友達100人出来る”ことがすべてじゃないって大人になると感じるものです。


ちなみに現在、僕はFacebookの友達は900人程います。

いや、これは自慢でもなんでもないです。

これはFacebookという1つのコンテンツにおける繋がりの総称が《友達》としているだけで、中身を見たら友達じゃない人の方が多い。

これは多くの人が当てはまるのではないでしょうか。

仕事仲間、仕事を通じて広がった人脈、コミュニティや趣味仲間、同級生などで形成されるのがそれ。

考えてみたら会社での付き合いって拘束時間(人生における)が長いけれど友達と呼べる関係とは違うことが多かった。言っても同僚とか仕事仲間ってところ。

仕事仲間って友達みたいにならない方が一定の緊張感もあっていいかなとも思う。当然ながらオンオフ問わず無理に付き合う必要はないと思うし、仕事だからこそ付き合う人の方が圧倒的に多いでしょう。

あくまでも僕の場合だけど辞めた職場の人と繋がりはすごく減っている。

辞めても連絡取り合う人は極々少数になるし、近年減った年賀状にも顕著に表れている。会社関係なんてそんなものだったりするのだろう。(激減したおかげで年末の負担がなくなったので楽です)

同級生ともご縁があって学年全体の同窓会の幹事を務めたけれど、すべてがクラスメイトじゃないし互いを深く知っている人ばかりじゃない。同級生だけど、友達かと言われたらそうではない気がする。

冷めた言い方かも知れないけど実際そうだろう。


”友達100人出来るかな”と言われてみて、なんでもかんでも含めたらそりゃ100人はいるだろうけど、その括りってなんだろうなって。


小学校や中学校のように地域社会に属するときは友達は基本的には同い年の人になる。部活動やクラブ活動に入ると先輩や後輩が出来る。分け隔てなく友達になるケースもあるだろうがそうばかりでもない。先輩はやっぱり先輩って方が多い。

Facebookの話ならまだリアルな人脈には近いけれど、これが他のSNSなんかになるとフォロワーとなったりしてもはや友達とは程遠い感じになって来るよね。


すべての人間関係がそれだけで出来ている訳じゃないですから。

それはもちろん誰もが理解しているかな。
ただ、友達であろうがなかろうが変わらないものは持っていれたらいいなと思う。関わるすべての人を大切にすること。必要としてくれる人にはその想いに応えるということ。

これが互いの存在に共鳴することで意味価値が生じるんじゃないかなって思う

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最近偶然にも「僕、あまり友達っていないんですよ」と、耳にすることが多い。

僕の規模感とそう言っている人のものは違うのだろうけれど、どこか不思議と「それでいいなだろうな」と思えた自分がいた。

経営者の方から聞くその言葉は《経営者は孤独だ》とか言うところからなのかはわからないけれど、合点がいく感じがしていて。


仲が良いからとすべての関係性を敢えて《友達》と定義させなくても問題ないかなと感じていて。
言ってしまえば本当の友達なんて5人ぐらいいりゃ十分じゃないか?なんて思っているんですね。
屁理屈じゃなくて。


頻繁にあちこちから誘われたりする人もいるけれど、そんな付き合い過多なんかより1人の時間を持てて緩やかにいれることの方が気楽でいい。


そんなふうに思う。


先輩や後輩、仲間や同僚、知人というふうに型にはめ込む必要はないけれど、様々な関わり方があるよなってなんだか感じて。


全部を友達と一括りにしないと考えると、案外本当に友達ってちょっといれば十分なんだろうなって思うのです。



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