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不登校で学校へ行きたくないのと会社に行きたくないの違い。行きたくないではなく、行けないのだ

【098】

※実は60回目頃の記事が今回のnoteのベース。
下書きに今なお眠るものはいくつかあって、改めてこの内容で書いてみようと思う出来事があった。子育てについて書いてみる。

新型コロナウイルスがもたらした現実

いつの日かクルーズ船が横浜に停まり、そこには未知なるウイルスが蔓延しているというニュースが伝わった。
なかなかの停滞感で、これがどうなれば解決になるのかなぁとぼんやりテレビ画面眺めていた。
いつの間にかそれはクルーズ船から溢れ広がり、あらゆるところで蔓延し始めた。
それが世界を恐怖に包む新型コロナウイルスだった。

海外からの渡航制限が始まり、エンターテイメントやスポーツなど、大衆が熱狂する場所が制限。やがて、学校も休校になった。

退屈。これが先行する日々になった。

まだ、そのときは危機感はさほどなかったし、『まぁ、3月ぐらいには終わるだろう』ほとんどの人がそう思っていたはず。
でも、しだいに感染者は増え出して最初は北海道に急増し、それが都心を中心に広がり出した。日本各地で感染者は増えて、有名人の感染ニュースも出てきた。

2020年東京五輪は延期になった。

結果的に偉大なる方も亡くなる悲劇もあり、その衝撃はすさまじく恐怖心はそこから増大したもの。どんな人であれ命は1つだけ。
だけど、与えるインパクトは少し違ったかな。
ショックは大きかった。

ーそして、昨日の7都府県に対しての緊急事態宣言。

誰しもがこの先のくらしを不安視している。
仕事のこと、生活のこと。当然のことでしょう。
※以下、本日のInstagram投稿より引用。

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昨日、いよいよ緊急事態宣言が出た
出たと言うことはそう言うことなので
7都府県だけの話じゃなくて日本の危機
そうやって意識して欲しいものなのです

何度も繰返しになるけど命を守る選択を
コロナに感染したら重症なら家族とも離れ
さらには死んでしまってもさよならを言えない
会えないままの別れになります

その事実を他人事と思わず自分事と捉え
一人でも多くのひとが #stayhome
一人一人の行動が感染拡大を防ぐ
そう信じて、今はじっと待とう

仕事に関しても不要不急の判断を
経営も大事だけど命を守る未来を作ることを
まず、それを大切にして欲しいと願う
悲しい思いする人が一人でもいない方がいい

若者がと言われてるけど
近所で花見しながら酒盛してたのは老人で
それを見て思うのは意識の問題といいこと
それから、他人に期待しちゃダメと言うこと

国のリーダーの行動を批判だけする政治家も
知識があってモノを言ってるかわからん芸能人も
一旦黙って足並み揃える後押ししてみたら?
まとまる歩調を乱すようなことはしないで

切り取り報道するマスコミもあげ足取る人も嫌い
日本人らしい一体感で乗り越えて行こう
#コロナ #緊急事態宣言


自分たちがくらす静岡の様子は

緊急事態宣言の対象外で、東京、神奈川や愛知に挟まれながら今なお(4/8現在)確認されている感染者は20名程度。まだ《マシ》と言ったところ。
でも、人はまばらだし、ホテルなどのお客さんは激減していて、ビジネスへの影響は甚大なもの。

日中生活していても、マスクの人は増えたけど極限の緊張感は感じられないかな。
だから、先日も年配の方が集まって花見をしていたし、学校も一旦は新学期がはじまった。(4/11から再び休校予定)

あくまでも、今はいいけど。ってところでしょう。残念ながら、人はまだ動いているから  #stayhome にはなっていない。それがある限りは感染のリスクは防げない。
ちょっとこの先はここですらわからないよね。
そのあたりの思うところはInstagramにも書いたけど。

学校の問題と子供のこと

パンデミック、クラスター、ロックダウンと様々な言葉が飛び交っている。
経済を止めることへの影響も加味してか、仕事は生活への不安もあり、中々止まらなかった。

いち早くストップされたのは学校だった。
かなり早い春休みが3月から始まった。

会社や経済活動が止まることと、学校が休みになるのは意味合いが違って、子供たちの生活を考える家族の問題にも発展した。
休みになったけど、どうするの?みたいな。

長い退屈な休みに入ることで不安に思うことは閉じ込められるようなストレスや、運動不足や学力低下などが懸念されるところ。食事のことも気掛かりになる。

そして1つ思ったのは、《再開したとき学校に行けない児童が出るのでは?》と言うこと。
自由のような不自由の中、1ヶ月以上いきなり自宅待機になった子供たちが元の生活に戻れるのかなぁと感じた。

不登校児童のことについて

かつて小学校の教頭先生とお話しする機会があった。
そのとき聞いた言葉は意外なことで、
『わが校には不登校の児童がいない』ということだった。意味合いはもしかしたら違ったのかも知れないけど、ずっと登校できていない生徒はいないという認識で合っているはず。

うちの子供が不登校だったから、それを聞いたとき意外だった。なんでだろう。
あ、1人だけなの?って。
それだから自分の子供がダメだなんて全く思わなかったし、それは今も同じ。
不登校になるには理由や原因はあるし、行きたきゃ行くしね。
行かないんだから、それは《行けない》んだろう。
病気でもないし、心身ともに健康だし、至って問題はない。知識もまぁまぁあるし、やれば出来るとも感じている。

集団生活がダメなのか、友達との関係性か、先生との相性かなんなのか。
これと言った明確な原因がハッキリしないから、悩ましいと言えばそうなんだけど。
昨日今日始まったことじゃないから、それこそその前触れがあったときには、登校するときに逃げだして、それを捕まえて連れていったこともあった。
今思えば父親の無理やり感は逆効果だったのかも知れない。
受け入れるよりも、真っ向から反対に向かせて行かせようとして。

金沢に行く前にも『ちょっとだけ頑張ってみたら?』と促したけど特に変化はなくて。
そんなときに離ればなれになってしまったことは、やっぱちょっと申し訳なく思ったね。

なんか理由を突き止めようとするより、自然とその状況でもやれることをした方がいいのかなと考えたりして。
義務教育とは言え《行けない》のだから、そこは仕方ない。親としては行った方がいいよなぁとは思うのだけど…

不規則な生活にならないように、食事や就寝のリズムは乱れないようにと最低限のことはして、家の手伝いなんかやりながらコミュニケーションは取って。
細かなところは父親より、母親の方がそりゃ寄り添っているし理解はあるんだと思っているから、双方からあれこれ言うようにはしないでおこうとは思っている。

両親からいろいろ言われ過ぎるのはストレスなのは明確だから。
だから、私が平日休みでも普通にいるし『昼飯どうする?』なんて会話も当たり前のようにしている。

重ねて言うけど、親としては学校には行った方がいいと思っている。
勉強より、集団生活になれることと、友達や仲間を作れるから。
親の私もおバカさんなので、バカでも健やかに学校に行ってりゃいいかなって思うぐらい。

それから、不登校だからと言って兄弟の序列も扱いも変わらない。
自分の子供はかわいいもんだ。甘やかすって訳じゃなくて、恥ずかしいとかそんなのはない。
いつだって味方だ。

嬉しいなって素直な気持ちになったこと

コロナの問題で気掛かりだったのは、兄弟たちも自宅待機になり、不登校じゃないけど仲間が増えちゃったこと。
これは厄介だなと思ったね。
その子が益々登校出来なくなるかなぁって不安と、他の子も行かなくなるんじゃっていう不安。

だから、いきなりやってきた休校は悩ましかった。
みんなテレビ見たり、ゲームやったり。
それぐらいしか、室内でやれることないもんね、やれやれでしたよ。


静岡県はほとんどの学校が新学期をスタートさせた。進級したわけだ。
正直、今この状況で学校が再開することへの不満も不安もあったから、前日まで『本当に行くの?』と聞いたりもしていた。

そんな中で嬉しいことがあった。

不登校の子供が2日間も学校に行ったのだ。

親が付いているとかもなく、元気よく帰ってきた。
きっと、母親との何かしらの約束ごともあったのだろうけど、こんなに嬉しいことってなかなかなくて。
自宅で『おかえり』を言う私も戸惑いやら喜びやら。
『まずは、手洗いうがいを!』って続けるぐらいだったけど。
私にはそう見えたのか、なんか晴々しい感じに見えたんだよね。

もしかしたら、明日にはまた行かなくなってるかも知れないけど、たかだか2日だけのことだけど、ずっとずっといけなかったことを知るからこそコロナの問題が恨めしいの。
また休校になるのが、惜しくてさ。
今なら続けていけるのでは?なんて思うから複雑な気持ちにもなる。

不登校になるには、いろいろな理由がある。
行かないではなく、《行けない》んだから。
まず一旦はその事実を受け止めればいいんだろうね。

学校と違い会社でそんなことがあれば

義務教育と違い、自ら選択して来た道の延長線上には社会人としての人生がある。
ほとんどの人がそうなるだろう。

どんなときも環境は人の心へ影響するから、自分で選んだ道でさえも閉ざしたくなることがある。会社に行けない状況だ。
ノルマや数字のプレッシャー、上司や先輩からの圧力。
人間関係はどこでもあることで、そこに疲れや負荷を感じるとそうなっちゃうんだろうな。

学校に行けなくなるのと違うと思うところ、強いて言うなら他の選択肢があるってことかな。
極論道は1つじゃないし、自分がかつて選んだように違う道も選べるんじゃない?

自分を変えるのか
環境を変えるのか

まぁそんなとこだけど、いろんな人がいるからね。
しっかりとした志しがあれば、環境を変えて成功することもきっとあるんじゃないかなって思っていて。

会社は辞められる。
その先も選択できる。

辞めるも残るも選択だけど、そこら辺が学校生活と違うんじゃないかなと思っている。
良くないのは必要以上に我慢すること。
それはあまり良くないかなぁと思っていること。
それもこれも経験、立ち止まることなかれ前進できるって。

不登校の子供を持つ親の気持ち

恐らく不安で仕方ないんだよね。
まわりから置いていかれる感覚で。
いつの間にか世間体みたいの気にしたり、病気なんじゃないかって思ったり。

過度の不安は子供にも伝わると思うのです。
うちのことは別に解決しちゃいないけど、ただ妙な焦りは(父親の私は)なくて、この先行けなかったときの選択肢と可能性は把握しておきたいなと思っている。

まわりと比べるな。
うちはうちだ。そう思うことは大切かな。


私は勉強は嫌いだったけど、学校は好きだったからさ。いいとこだと思うんだよね。
地元の友達なんかも出来るといいし、その方が大人になってからいいことも多い。

何より、この歳だから出来る体験は出来るだけしておいた方がいいと思っているから。

少しだけこの先に期待しながら、頑張れたら誉めてやろう。それがいいでしょ。

無理はさせない。

今よりほんのちょっと頑張れ。それだけ。

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行けない状況について書こうと思ってそのままのnoteが、今回のコロナの状況と2日間の喜びで仕上げることになりました。


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