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【317】自分時間の速度に従って

今年も1が4つ並ぶゾロ目の日がやって来た。誕生日だ。

40を超えておめでたいなんて気持ちはないけど、今年の誕生日はやけに穏やかだった気がする。仕事も休みでお義父さんのお墓参りに1時間ちょっと車を走らせて行って、久々の場所で見た景色に懐かしさを感じたりしていた。

なんてことない1/365日には違いなくて、11日になったからファンファーレがなったりしてレベルアップの音がする訳でもない。

もっと若い頃は日付変更したあたりからお祝いのLINEやメールがあったものだけど、今みたいに付き合いの仕方を変えているとそんなものも少なくなっていくもの。考えてみれば「おめでとう」のメッセージをくれる人たちの顔ぶれも変わって来ている。かつての仕事関係の人からはほぼなくなって会社にいるからこその限定された関係性だったことを感じるし、変わらずに連絡をくれる友人には感謝の気持ちしかない。

ここ1年で出来た新たな出会いで出来た関係性の方から「おめでとう」を言われたらなんだか新鮮でほっこりするし、思いもしない人から「おめでとう」が届けば思わず「あらま」なんて口からこぼして喜んでしまう。

僕は少々面倒な性格で「おめでとう」に慣れていない。

嬉しい癖に素直になれなくて遠慮がちになってしまう。だから敢えてお祝いの場やプレゼントを用意してもらうことが本当に苦手。サプライズしてもらた経験も何度かあったけどリアクションはイマイチだったと思う。

誰かの為に何かをしてあげるのは好きな方。本当に相手のことを思ってやったことで喜んでくれたり笑ってくれたりするのがたまらなく嬉しい。こういうタイプの人って僕と同じような人って多いのかな。


要は《喜び下手》ってやつだ。


嬉し癖に上手く感情を表せないこの厄介な性格は、こうして人生の折り返しと言われる年齢になっても変わらないままなんですね。

誤解されやすいところだからしっかり言っておくと本当にお祝いしてもらうと嬉しいってこと。心から「おめでとう」の言葉は嬉しく思っているし、ジーンって一人喜んでいる。

そんな日を境に世界が変わる様なものでもないし、その日だって翌日だって極々普通の日々が繰り返される。

誕生日は自分にだけ特別な一日であってそれ以上でもそれ以下でもない。


最近ではオンラインでもオフラインのリアルなものでも誰がどこで何をしているのかが見えることが増えた。露出させることを望まない人以外はこのレールに乗って日々暮らしている。

このレールに乗らずに自分の道を進む人がどこで何をやっているのかわかり難くなってしまったのだろうか。むしろ、以前はそんなことが当然だったんだけど。時代が猛スピードで本当に変わっただけで、何かを知りたければホームページを見たりしたものだけど今やSNSで検索した方がより詳しくわかったりするものだから優先順位もこうしてどんどん様変わりしていく。

ちなみにホームページは今だって見ることはあるけど、モバイル先行のご時世もありSNSの方が手元で見やすい(情報量やビジュアルが)ことも影響しているんだとは思う。

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便利な世の中になって《見える化》をして可視化されだしたことでオンラインでは特に異様な衝突はあったりするし、その超高速なペースに惑わされることはそんな中でたくさん起こっている。

無関心、無関係の世界に身を置いた方がどれだけ楽だろうって思うこともあるんだけどメリットとデメリットはどんなものにもあることだし、必要か否かを自分の中で判断するだけなんだけど。

TwitterやInstagram、Facebookをやっているとそのスピード感に心なしか圧倒させることがある。ついていけない感覚、置いて行かれるような錯覚。誰もそんなことをしていないし、そんなはずはないのだけどこうして情報量が多くなると戸惑いは生じてしまうことがある。

関わる人が多くなればひとりひとり駆け抜けてく集合体になって、そのコミュニティは速度を上げていく。マイペースでいることの難しさをそこで感じたりする。ペースを他人に握られては元も子もないのに、あっさりとその流れになっていきがちだと感じる。


ついていけないではなくて、ついていかない選択をすることも出来る。いくべきかやめるべきかの選択も必要になる。見えない流れにペースを乱すことでマイペースがわからなくなったら自分の生きる道を自分で選択出来てなくなっちゃうからそこは気をつけないといけない。

勢い任せに半ば食い気味になって何かに没頭するのもいい。

でも自分の時間でそれをクリアしていけるのかをしっかりと考えないと今あることもダメにしてしまいがち。全ては抱えては進めないから、何を未来に持って行くのは何を諦めて置いて行くのかを冷静に考えていきたい。もし、その選択で何か誰かとの関係が途絶えてしまったとしても縁がなかったんだと思って前進できるようにしたい。


誕生日の前日、1年を振り返ってInstagramに投稿したもの。

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高望みはしないけれど。

ただ、まだ見ぬ景色を見て見たいとは思う。それはくらしなのか仕事なのか、単純に知らない土地の景色なのか。

新しいものを知ることで生きた心地を胸の奥でしっかりと感じることが出来ると思う。大きなことでなくてもいい。シンプルで他人からしたらどうってことでなくてもいい。大切なのは自分にとって重要と感じるか、必要と信じれるか。変化を好む性格はそうやってくことがいいんだと思う。

今あるものを大切にしながら、ほんの少しの《新しい》を手にするような一年にしていきたい。

そのためには《自分時間の速度に従って》そのペース配分でいこう。誰にも何にも流されることなく自分のための時間を大切にしながら。



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