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春分の夜の夢

もう一ヶ月近く前のことだけど、ひさしぶりに”観劇”をした。とても印象に残る、いままでにない舞台だった。それは、英国のRSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)による、最新テクノロジーを駆使した”新感覚の舞台”。シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』をインスピレーション源に制作された『Dream』というものだった。単なるオンライン配信ではない、まったくの新しい体験だった。

概要は、以下のブリティッシュ・カウンシルのウェブサイトにあるとおり(30秒ほどのトレイラー動画もあります)。

英国ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー、マンチェスター・インターナショナル・フェスティバル、マシュマロ・レーザー・フィースト、フィルハーモニア管弦楽団が協働し、そこに研究機関や企業による最先端の技術と研究成果が加わることで生まれた、演劇・音楽・テクノロジーが融合した新感覚の舞台。世界のどこにいても舞台をその場で見ているような没入感を味わうことができる本作は、新しいオンライン公演の形として、いま注目を集めています。

このDreamのプロジェクト、コロナ前からすすめられていたものだそうだけど、公開されたのは、今年2021年になってから。モーションキャプチャの技術で、俳優の動きが、リアルタイムでコンピュータ・グラフィックスに変換される。それがデジタルの背景に組み入れられ、音楽のライブ演奏も重ね合わされる。

デジタルの舞台では、表現の自由度がかなり高い。主人公のパックは石の塊になっているし、豆の花は人型にからまりあった蔓で、辛子の種は人面の形をした集合体。蜘蛛の巣なんて、ルドンの木炭画を連想させる、ひとつ眼の怪物だ。パックが蛾にうながされて高く羽ばたく場面などは、ドローンの映像のような浮遊感がある。

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これは画面を撮影したものなので、ブレていてよくわからないかもしれないけど、せめて臨場感は伝わるだろうか。実際の舞台では、撮影なんてもちろんNGだけど、オンラインならではのメリットであり、デメリットでもある(なお、良心がとがめて動画撮影まではしていない)。

わたしは無料のAudienceとしての参加で、鑑賞するだけだった。有料のAudience Plusだと、蛍になって参加できるという仕組みになっている。上の写真の光の線が、その参加者。マウスやタッチスクリーンの操作で瞬いているということだけど、どれが自分なのかはわかるんだろうか。

嵐のあとの場面は、カメラが引いて、映画のメイキング映像のように、実際に演じていた俳優の様子が映されていた。この演出にはちょっと驚いたけれど、新たなテクノロジーを導入するからには、ゆずれないところなのかもしれない。全体から見れば、嵐が去ったあとの、落ち着いたシーンだからこそ、幕間のような切り替え効果がある。

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舞台となった夏の森、画面はすべてCGだけど、樹皮とか小川がよく再現されていた。とくに岩にへばりついた地衣類の感じは見事だ。

わたしは夏至の頃に、英国南部のケント州ロイヤル・タンブリッジ・ウェルズの森林を散策したことがある。あれは昼さがりだったけど、同様に地衣類がべったりくっついていて、まさにこんな様子だった。そのときの匂いを思い出した。

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話が前後するけど、わたしは開演が待ちきれず、早めにロビーに入って待機した。バーチャルロビーは、夏の森を模した画面。蛍の光の道筋がガイドとなっていて、トレーラーやキャスト紹介が見られるようになっている。ページのつくりも、コントラストや文字サイズの自由度が高く、アクセシビリティへの配慮が行き届いていて、とても今時らしい。

下のスクリーンショットは開演15分前のものだけど、すでに4000人以上が待機していた。わたしが開演直前に見たときには、最終的には7000人ぐらいにはなっていたと思う。一般的な劇場の収容人数を考えると、連日これだけの観客を集められる環境というのは、とても大きな可能性がある。

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わたしが参加したのは、日本時間で3月21日未明の最終公演。日本流にいうと、千秋楽。英国では3月20日で、奇しくも春分の日だった。公演後のフリートークでは、キャストの口から、たまたま(『夏の夜の夢』の)夏至(※)ではなく春分の日になったという話があった。偶然と言いつつも、実は狙っていたでしょう、と勘繰ってしまう。

このバックツアーとフリートークも、舞台そのものにおとらず興味深かった。最終公演の直後とあって、キャストのみなさんの”やりきった感”が伝わってくる、リラックスモードのフリートークだった。

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昨年は、コロナ禍で、演劇や音楽などパフォーマンス・アートにとっては大打撃の一年だった。とくに英国は、日本とは比べ物にならない状況のはずだ。しかし停滞しているわけにはいかない。むしろコロナ禍だからこそ、技術革新のチャンス、新たなパフォーマンス・アートのチャンスだという、前向きな意気込みを感じる。コロナ禍できびしい挑戦をしているというよりも、新たな表現を模索するのにワクワクしている、そんな感じだった。

シェイクスピアが生きた時代は、ルネサンス。宗教改革の直後で、世界観がガラリと変わった時代だけど、まだ中世の残り香があった。シェイクスピアの作品にもその様子が滲み出ていて、わたしはその様子がたまらなく好きだ。

たとえば妖精。『夏の夜の夢』にも、やたらと出てくる。日本では妖怪がそれに近いだろうか。中世ヨーロッパのひとびとの感覚では、身近に妖精の世界があった。妖精たちは鬱蒼とした森のなかに棲んでいたのだ。

Dreamの演出は、そんな中世の残り香の感覚を彷彿とさせる。実際の舞台の大道具では表現しきれない鬱蒼とした森林。わたしがタンブリッジ・ウェルズの森林を思い出したように、CGの森林は、神秘的な中世ヨーロッパの雰囲気を醸し出している。

使われている言葉も、シェイクスピアの時代の初期近代英語。日本語でいえば、候文ぐらいに古めかしさを感じるけど、じゅうぶん理解できる範囲。これもまた、きっと英語圏の人にはギリギリ中世っぽさを感じさせるのだろう(たぶん、中英語を使ってしまうと、現代人の大半にはかなり敷居が高くなる)。

中世ヨーロッパといえば、14世紀にペストが大流行した。その後、宗教改革が起こり、人間性の解放をめざしたルネサンスの時代になった。大航海時代で世界が広がった時期とも重なっている。

これは、新型コロナのパンデミックに見舞われた現代に、シンクロしていないか。過去20年ぐらいでネット社会が急速に発達して、大航海時代さながらの世界の広がり方をした。さらにこの一年でオンラインへの移行が一気に進んだ。それにともなって、社会や組織の従来のあり方が問われ、個人の多様性が尊重されるようになってきた。まさに人間性に重きを置いたルネサンスじゃないか。

いまは、現在進行形で、当時に匹敵する大転換期にある。いま、シェイクスピア作品に範をとったプロジェクトというのは、とても示唆に富んでいるように思える。

Dreamの舞台では、嵐のあとの静けさがもどり、夜が明けて、魔法が解けた。実際のライブも、フリートークも含めて千秋楽の公演が終わった。日本では午前6時を過ぎた時間。天窓から朝の光がもれ落ちてきていたのが、なんとも象徴的だった。

※ インスピレーション源となった、シェイクスピアの喜劇『夏の夜の夢』の原題は、Midsummer Night’s Dream。文字どおりに解釈すれば”夏至前夜”ということになる。だからもともと、通常の邦訳では『真夏の夜の夢』とされていたのだけど、設定の季節が夏至にあわないのと、日本の真夏のイメージともあわないということで、かつてちょっとした論争があったらしい。
 わたしが中学生の時に買った文庫本(福田恆存訳)では、それについての解説とともに、”夏の夜の夢”としたと書かれている。そう、わたしは中学生の時に、邦訳とはいえ、シェイクスピアを読んでいた(今思うと、変わった中学生だな)。手塚漫画からの影響だけど。ちなみに今回のDream視聴を機に、30年あまり前の文庫本を引っ張り出して読み返した。あらためて、大人になってから読むと、いろいろ得るものがあった。

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