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徒然なるままにnoteをはじめて1周年

昨年の9月23日、noteで初めての投稿をした。それからちょうど1年が経った

この1年の投稿数は67。月に5〜6本、1週間にすると1本よりもちょっと多めのペースだ。わたしは毎日絵を描いているけど、毎日文章を書く自信はない。週1ぐらいでコンスタントに続いているということは、これが無理なく書くのにちょうど良いペースなのかもしれない。

最初の投稿では、なにも考えていなかった。ただ、やってみようと思いたってnoteにアカウントをつくっただけ。

いくつかやっている他のSNSは、基本的に短文垂れ流しの情報なので、そちらも大した発信はできない。それなりの長さで、考えたことをまとめて記しておくのに適した媒体がなかったので、noteを利用しようと考えた次第。

これが動機。しかし、どのような書き方にするかは未定だった。

続けるには日記調がやりやすいかな・・・などと安直に考えた。それで思い出したのが、『土佐日記』の冒頭の”やってみた”系のノリ。よりによって日本の日記文学の祖をもってくるなんて生意気もいいところだけど。

実際つづけてみると、ふだんとりとめなく考えていることなんかを文章化して記録するようになった。”硯にむかいて”ならぬ”Macにむかいて”、そこはかとなく書きつくれば・・・という感じ。むしろ『徒然草』に近いかもしれない(いずれにせよ生意気)。

とりとめなく考えていることは、どこかに書きのこしておかなかったら、そのまま頭のタイムラインから流れさってしまう。そして、そのおおくは記憶の奥底に沈澱してゆく。沈澱して、他の記憶と混じり合って、変形して、一部は溶けてなくなって、引きあげようにも引きあげられなくなる。ヘタをすれば断片的な記憶や変形した記憶がひょっこり顔を出してくるかもしれない。

だから、考えたことを整理して文章の形で残しておくことは必要だ。

最初のnoteに、わたしは「考えたことをまとめて記しておくのに適した媒体がなかった」と書いていた。しかし世間には、長めの文章むけに、すでにソーシャルブックマークやブログなどのメディアがあるではないか。

じつは、自分でサーバ管理をしていたとき(サイト運営遍歴については下のエントリ参照)に、『一日一画』とおなじブログツールをもうひとつ動かして『展覧会メモ』というブログをやっていた

わたしは、もっとも頻繁だった時期には、ほぼ毎週どこかの美術展に足を運んでいた。観たもの・学んだこと・考えたことを整理しておかなければと考えて、レビュー記事を書くつもりで『展覧会メモ』をはじめた。しかし、だんだんと更新が億劫になり、たしかサーバのトラブルとともに消滅させてしまった。

ソーシャルブックマークなどを利用していれば違ったのかもしれない。けれど、十数年前のわたしはブログで文章化しづつけるモチベーションを維持できなかった。億劫さのほうが優ってしまった。文章化するのにかなりエネルギーを要したからだ。

その点、noteはモチベーションが維持できるようよく設計されている。ことあるごとにバッジがもらえるのもそうだけど、マネタイズやサークル、イベントなどいろんな書き手のニーズを考慮した施策がされている。書き手がクリエイターと呼ばれて、多様なスタイルが歓迎されるところも居心地が良い。

あと、わたしの側もたぶん成長した。

『展覧会メモ』をやめてから、大学で教養科目の講義を担当した。一般向けのセミナーを企画し、教材開発もした。宝石鑑別の仕事にうつってからは、専門家相手だけではなく、幅広い客層に話す機会が増えた。論文だけではなく一般誌にも寄稿する機会ができた。以前にくらべて、考えたことを文章化することのハードルが低くなったように感じる。

かといって、考えたことをすべて残せれば良いのだけど、おそらく半分すら書けていない。いつもある程度書いてから、もっと書きたいのにと困りつつ、「まぁええか(心の中は関西弁)」と公開ボタンを押している。

ちょっと話がそれた。

スローペースながらnoteを1年間つづけられたのは、わたしの文章化したいニーズとnoteのスタイルとの相性が良かったということなんじゃないかと思っている。

だから、2年目も同じように続けるつもり。フォロワー数もビュー数も相変わらず低空飛行ではあるけれど、つづけていればより多くのかたが読んでくれるだろう。そうしてやがてもっとクリエイティブななにかにつながればハッピーだ。そこに淡い期待をしている。

noteをはじめてから、物事をよりていねいに観て、よりていねいに考えるようになった。いや、小さな気づきを大切に残しておこうと思うようになったのかもしれない。

展覧会に関するものなんかは典型例。

さいわい我が家には、過去に買いためた展覧会図録がたくさんある。展覧会を観たあと、連想ゲームのように思い出して、過去にほかで観たものとの関連を確認できる。実際、いままでもよくそうして過去の図録を観ていたのだけど、noteに書くとなるとよりクリティカルに、比較対象をさがしながら観ることが増えたように思う。

『展覧会の絵』としたけど、絵画にかぎらず、写真、彫刻、建築、自然史、宝飾品など展覧会を訪れたあとに書いたものをこのマガジンにおさめた。吉田博展やコンスタブル展は結果的に続き物になった。

わたしの本業は宝石の鑑別。守秘義務があるので、とうぜん仕事の具体的なことは書けないけれど、公表済みのことや一般性のたかいものは問題ない。だから、宝石の話もちょくちょく書いている。そんな宝石学に関するものはこのマガジンにまとめた。

今月はまだ書いていないけど、5月からは毎月の誕生石について書いている。もしかしたらそのうち誕生石シリーズだけ独立したマガジンにしてもいいかもなぁ・・・と考えている。

あとは旗。わたしは40年来の旗マニアだ。旗と紋章にまつわる旗章学という学問体系の裾野を広げたいと思っている。とはいえ、堅苦しいのは本意ではないので、これもわりとゆる〜く、ニュース性のあるものをちょっと深掘りして書いている。

最近ご無沙汰しているけど、備忘録のためにレシピを残しておくつもりで書いた料理のエントリがいくつかある。わたしは料理はど素人なのでツッコミどころはたくさんあると思うけど、意外とアクセスが多いカテゴリ。これもぼちぼち増やしていきたい。

わたしがマガジンにまとめているのは、いまのところこの4種類。1年後にはどれだけ増えているだろうか。

それぞれのエントリの長さはTwitterのつぶやき10回分ぐらいということで、はじめのうちは1400文字程度で書いていた。いつしか2000文字をこえ、いまはだいたい4000文字ぐらいの長さになっている。この1周年だというだけのエントリは、この時点ですでに3000文字にとどこうとしている。

思考を整理するといいながら、整理しきれずに書いてしまったものもわりとある。今日のはとりわけだらだらと書いてしまった。文字数にこだわるつもりはないけど、だいたいこのくらいになってしまいがち。今後も3000〜4000文字になるかなと思っている。

わたしは数日前に誕生日を迎えたのだけど、いつからか、その誕生日には毎年なんらかの新しいことをやってみようと考えるようになった。最初の投稿にも書いたけど、そうして1年前にはじめたのがnoteだった。

さて今年は。

わたしは文章を主体にして書いているけど、noteではさまざまな表現メディアが想定されている。もともとネット世界では、わたしは”Artist at Heart(アーティストのつもり)”を名乗っているぐらいだから、絵画にもnoteの幅を広げたい。まだ具体案はないのだけど、次の2周年までには、なんらかのビジュアル主体のnoteをできたらいいなと考えている。

上に、わたしのnoteは『徒然草』みたいだと書いた。けど、『徒然草』の冒頭では「あやしうこそものぐるほしけれ」とつづく。熱中しすぎて発狂しそうだ、といったところか。もっと掘り下げて、もっと自由に書いていけば、どうなるだろう。発狂しているかもしれない。乞うご期待。

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