モイモイ!フィンランド紀行(十二)

いよいよフィンランド最終日。長かった旅行も、今日でおしまい。そしてこの紀行文も、やっとこれでおしまい。旅行の最終日って、いろんな感情が渦巻いていて好きだ。名残惜しい感じと、家に帰りたい感じと、仕事漬けの生活に戻る不安と、それとは真逆の安心感がぜんぶ一気に押し寄せてくる。あー、何だろう。また海外行きたくなってきたな。

火。この写真はオーロラを待機中に撮ったもの。文脈は無視。

その日は翌朝から行動。いつもよりちょっと早めに起きて、ホテルを出た。まず目指すは "木の教会" ことカンピ礼拝堂。この礼拝堂の面白いところは、礼拝などの公式儀式や教会区の人々のための行事を行う施設「ではない」というところ。では何のための場所なのか、というと、公式では「静寂と出会うための場所」とされています。実際に入ってみると、本当に静か。私語厳禁というルールにみんなが則っているというのはありますが、それ以上に圧迫されるほどの静けさが確かに存在している。とても興味深い場所だなと思いました。

とはいえ写真は撮る。ま、観光だしね。

カンピ礼拝堂に行った後は、ヴィンテージショップ巡り。まずは、日本人観光客が大好きなASTIALIISA へ。

https://www.facebook.com/astialiisajp/

日本語のfacebookページを運営しているとは…、なんと日本人贔屓な。。というか、日本人がこういうのにただただミーハーなだけですかね。みんなが行くから、行く。日本語通じそうだから、行く。そういう意味でこの店はしたたかだなと思います。実際、品揃えもすごいしね。

で、行ってみたら閉まっている OTL…。隣のカフェのおばちゃんに聞いたら「あら、開店するはずよ、電話してあげようか」と言って、わざわざ電話してくれた。結局その電話に店主は出ず、オープンの時間までおばちゃんカフェで待つことに。そこはオーガニック的なこだわりがあるカフェっぽくて、お店オリジナルのチョコレートを食べたりコーヒーを飲んだりしていたら、なんと ASTIALIISA がどうでもよくなってきた。相方はそう思ってなかったかもしれないけれど笑、なんか人気店をオープンまで待ってる感じがすごい日本人っぽいなと思ってしまった笑笑。というわけで、カフェでしばらくすごし(結局開店時間になってもASTIALIISAは開かなかった)別のアンティークショップに行くことに。こういう行動のほうが、きっと旅っぽいな。

ヘルシンキ大聖堂をサラッと見つつ、トラムでとっとこ移動。途中、学校帰りと思しき女の子に、ハローと声をかけられる。

引き続き奥さんの写真を拝借。

ヘルシンキには、デザイン・ディストリクトと呼ばれるエリア(地域というよりエリア)があって、石畳のおしゃーなストリートで、スタジオっぽいところとかアトリエっぽいところとかが立ち並んでるんだけど、ここがとても雰囲気が良い。「デザインですよ!オシャレですよ!」みたいな主張が控えめなところが良い。東京とかでやると多分すごく肩肘張った印象になるところが、すんなり収まっている。

おしゃれか。その中で見つけた、ヴィンテージショップ。BISARRI。

http://www.bisarri.fi/uusi/Bisarri.html

ここはとにかくオススメです。まず店主のおばちゃんの知識がすごい。年代やブランドの特徴、デザイン的な希少性など、何を聞いても正確に返ってくる。分からないことがあると、その場で分厚い図録を引っ張り出して、メガネをクイっとあげて調べだす。品揃えも豊富。結局、おばちゃんが「これは私、人生でひとつしか見たことないわ!」と言っていたアラビアを買いました。あと、ここではガラスのヴィンテージも購入。綺麗だったなぁ。

以下、この旅で購入したヴィンテージたち。再掲もあるよ。

で、ホテルに戻って、空港へ。楽しかった旅もおしまい。さらばヘルシンキ。さらばフィンランド。もう一回、今度はヴィンテージだけを巡る旅として行きたいな。そう思えることが、今回の旅で一番良かったことかもしれない。こんなにヴィンテージにハマるなんて、思ってなかったもんな。

結局、全部書くのに1年くらい要している。何をしてるんだか。もっと早く書けたはずなのに。でもこういう系の文章は、結果が全てなんだろうな。その時々、書けたことが全て。書けなかったことは書けなかったことにしかならなくて、思い出には残っても記録には残らない。人間はiPhoneじゃないもんね。

何もかも記憶し、何もかも保存し、見返すことができるデバイスが発明された近未来を舞台にしたドラマ『ブラック・ミラー』が、NETFLIX でやっていて、結構好きで観ていた。その話は結局、主人公がそのデバイスを自力で外すところで終わる。だからそんな未来が来ない方がいいとか言うつもりはなくて、多分、あったら実際にすごく便利なんだろうけど、覚えていることと忘れていることの両方があるから人間らしい、ということも一方ではあるような。

そういう意味で、海外旅行はとても好き。圧倒的な情報量。圧倒的に自らの脳のメモリーを食う。普段の生活の中で、いかに自分が本当の意味で情報を摂取していないかが分かる。東京は情報が多いとか、大都市は看板が多くて疲れるとか、そういう類の小言は、ちょっと正確性を欠いている。情報過多という状態は、東京とか、メガロポリスとか、それ自体に固有のものじゃない。そうじゃなくて、未知。知らないところ。そこと、自分がよく知っている場所との「差分」こそがポイントなんだ。

話がそれました。今年は、石垣島・西表島に行きます。それでは。


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