恒例行事を少しづつ、アップデートした話
恒例の夕涼み会も、少しずつ、色が加わって来た。ご利用者だけでなく、地域の高齢者にも役割を担ってもらい、普段は、事業所に来られない方たちも顔を出してくださるようになってきた。
少しづつ、宝島のお祭りに近づいて来たように思う。ただ、少ない人員で行う祭りなので、バタバタ…嵐のように過ぎ去って行った。
嵐を呼ぶ男
涼み会だけでなく、イベントをするときには、黒岩さんが来島してくれてた。それは、イベントの時だけのことではない。運営推進会議等の会議もフェリーの入る日に合わせて行われる。13時入港の翌朝5時までの時間に、会議やイベントを詰め込んだ。その他の島内の催しも船の入港に合わせて行われる。宝島は船が入る日には、特に忙しくなる。
そして、会議の後に、大風が吹くことがあるのを僕は知っている。会議で出切らなかった意見やアイデアが、台風の吹き返しのように返ってる。だから、フェリーを見送った後の数日は、少しドキドキしてた。だから僕は、黒岩さんのことを、心の中で「嵐を呼ぶ男」と呼んでいる。
敬老祝賀会をアップデート
2014年の敬老祝賀会は、恒例の島内一周ドライブだけでなく、宝島を海から眺める、「宝島一周クルーズ」も企画された。みなさん、喜ばれ、祝賀会でも話題になっていた。
そして、この年、宝島に劇団ができる。Uターンして帰って来た裕一さんが座長となり、敬老祝賀会に合わせて、「水戸黄門しか出来ない劇団」が結成された。「青年団が、何かするってよ。」高齢者も楽しみにされている様子だった。
当時、Iターン者が増え、高齢者との接点が少ないことを課題だと捉えていた僕としては、すごく頼もしい動きだった。
水戸黄門の裏側
この年から、毎年僕が脚本を書いて来た。毎年、水戸黄門。ただ、年々、脚本はあってもないようなもので、皆さんのキャラが立ちすぎの、アドリブのオンパレード。
大筋だけ準備すれば、3回の練習で劇になった。青年団を中心に、学校の先生方や地域の若手も加わり、練習も盛り上がった。「今年は誰が、黄門様?」島の人からの期待も高まる分、「〇〇は木の役だった。40も過ぎているのに。」配役へのクレームがあるほどだった。
シマさんの草履作りもアップデート
シマさんの作る草履の鼻緒は、シマさんの着てきた衣類でできていた。お洒落な方なので、柄が素敵だった。そして、物を大事にする人だったから、鼻緒に使った衣類を着てたこともある。少しずつ、裾の方から短くなって。
そんなシマさんの作る草履を、いろんな人に使ってもらいたい。新しいこと、始めた。
本土のアンテナショップに置いてもらった草履の販売も好調で、売り上げが届くと、宝島の売店でアイスクリームを買ってくれた。
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