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人生の大きなイベントの後に、事業所の1度目の引越しをしたときの話

2011年7月。鹿児島で結婚式をあげることができた。数日前に、黒岩さんに「島民の笑顔の写真を」ということで写真を送っていた。「何かの報告会に使うだろう」と思っていた写真で、結婚式用のスライドショーを準備してくれていた。全て自分で撮った、思い入れのある写真だ。不覚にも、結婚式では泣いてしまった。でも、僕より先に、黒岩さんが泣いていた。島内での前評判では、僕が先だろうと言われていたから、皆の予想は外れている。

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これまでお世話になった方や、日頃からお世話になっている方に参列していただき、すごく有り難かった。当時の副村長だった福満さんは、よく気にかけてくださって、ご勇退された後も「新聞見たぞ」って連絡をくれることがあった。在職中も僕の日誌を役場職員に示して、取り組みやその姿勢を褒めてくださっていたと、人から聞いた。島外の応援者の存在を知り、とても誇らしかったことを覚えている。そういえば、僕の話が長かったのか、酔っ払った自治会長の直志さんの話が長かったのか、最後の万歳三唱に時間が間に合わず、延長料金を支払った。これは、直接直志さんには決して言えない秘事だ。

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プライベートでの上鹿だったが、外部セミナーを受講したり、予定を目一杯に詰め込んだ。勤務状況がカツカツな中、島を離れる時間には貪欲に時間を使っていた。学ぶべきことが多かったし、交通アクセスがよくないから、一度島外に出てば、それなりの長期休暇だ。その時間、ただプライベートの時間を過ごすことが、島内のスタッフに対して、しのびない気がしていた。

事業所の引越し先は…

結婚式を終えて戻ってきた7月中頃、事業所の引越しをした。引越した先は、これまで間借りしていた建物の裏にある。「サブの会議室に使うから。」と言われてのことだ。確かに、コミセンの和室は宴会時の子どもたちの集まりの場であったり、小さな集まりがあったりと地域でも活用されていた場所だった。

ただ引っ越し先になるのは、住民センターの二階だ。改築に時間が必要だったため、年度始まりには間に合わなかった形だ。さらに二階ということで、階段に昇降機を設置するかとの案も出ていた。それが結構なお値段だったため、お断りした。役場から委託されての事業なので、役場の予算で改修が行われる。そういうことで、お金をかけることをよく思わない人の声も聞こえていた。そして、新しい建物を建てるという話も出てきていた頃だったことも理由の一つだった。

僕は、二階に移動することに対して不安なことがあった。今まで来られていた高齢者が、2階に上ることが負担になり足が遠のくこと。ただでさえ、介護類似事業への展開で一部有料化され、介護度のつかない方は遠慮して、来られない時期だった。地域の方から、さらに遠くの存在になることだった。

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バリアフリーとは程遠い環境で、リフトでの二階への移動は半分は筋トレだった。ご利用者を二人がかりで抱えて階段の昇り降りだ。これまでは、いつでも気兼ねなく外出することができたが、数名のご利用者との移動となると、人手がいる。慢性的に人員不足でもあり、人員配置を厚くすることも難しい状況だった。階段があることで、リスクも増える。そんな状況でも、よく外出していた。ご利用者の力強い足取りとその気持ちに背中を押されていたように思う。

同時進行で、二階に人を呼び込む作戦も実行していた。そんな色々な取り組みを次回以降に書こうと思う。

一番怖くて、一番支えてくれていた人

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