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営みを通して残す「何か」

今日の午前中は、子どもたちの通う小学校の環境美化の日、PTA主催で、親御さんたちと、先生、参加できる子どもたちで一緒に運動場や学校まわりの草刈り、草取りをする。春と秋、年に2回ある行事だ。

公務手さんもいらっしゃるので、もしかしたら、こうやって集まってやらなくてもなんとかなるかもしれない。それぞれ仕事や家庭の都合で日程調整も手間がかかる。

けども、こうして、普段会わない人たちとも顔をあわせる、子どもたちとも共に、工夫して、力をあわせて一緒に汗を流す。

地域には、常会、祭り、環境美化、さまざまな営みがある、「いっしょに集まって、汗を流して、話をして、飯を食べる、お互いをよく知り合い、慮る」、それぞれには実施する目的があるが、実は営みを通して「何かを残す」ことをなしている。

営みを通して、何を残しているのだろうか。

少子化の時代、山村の小学校はまもなくさらに合併統合の話がでてくると思う。小学校があることで自然と営んでいたことが地域からなくなったとき、営みをとおして残っていたものもなくなっていく。担い手がいなくなっていく中で、お祭りなどもやらなくなっていく。

言語化できないこと、効率的でないこと、目的が明確でないことは、軽視されがちだけれども、営みを通してでしか残せないものがある。

時代とともに変化をしながらも意図的に営みを残すことを意識したい。営みをとおしてでしか次世代に伝えられないものがある。自然だけ残って、土地だけ残ってではダメなのだ。

さぁ、今晩はお囃子練習会で笛の練習をしたし、明日は、地域密着型デイサービスあんじゃないと古民家こらっせるがある集落の環境美化の日だ。秋はお役とお祭りで忙しい~ 

「未来にここに住み、暮らしを営んでいく人たちに委ねたい。」と心地よく送り出して受け取れる受け皿を。

「地縁と知縁でのこす共有資産」とよさとコモンズ 構想中!

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