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30代半ばになってコロナ渦+乳児ありの状況で創業3年のスタートアップに初転職した話|キャディに入社しました!

「で結局、あなたは転職になにを一番求めているの?」

面接官が聞くようなこの質問ですが、これは私が妻から聞かれた質問です。


初めまして!江頭と申します!!
2020年12月13日に新卒から約12年半お世話になったANAグループ会社である全日空商事株式会社を退職し、同年12月14日にキャディ株式会社へ入社しました!
キャディは創業からちょうど3年の「製造業の調達分野から業界構造を変革し、ものづくり産業のポテンシャルを解放しようとしている」急成長中のスタートアップです。

キャディの事業内容やカルチャーについては諸先輩方が既に多くの記事を寄稿されているのでここでは割愛させて頂きますが、是非こちらをご覧ください!!↓↓↓

ちょうど入社して1週間が経ちました。この入社エントリ記事では転職を考え始めた頃からキャディjoinに至るまでの自分を紆余曲折を振り返ってみたいと思います。

なお、この記事は、CADDi Advent Calendar 20日目にエントリーしてます。

自己紹介


かなり遡ったところからの紹介ですが、私は幼少期から「やりたいと思ったことをとことんやる。」というような子でした。
小さい子から身体を動かすことが好きで、小学生2年生で野球に出会い、野球選手になることを夢に大学卒業するまで野球を中心に日常が回る学生時代を過ごしてました。
ただ結果的には怪我が続き、結果が残せず大学の途中から選手としてのキャリアを終え、裏方としてチームのサポートに回ることとなります。
会社員になるということを一度も想像したことがなかったため、就活時期になって初めて次になりやりたい?と言っても「そもそも世の中ってどうなってんだっけ?w」というようなヤバい状態からのスタートでした。色々調べたり人に聞いたりしていく内に、商社に行けばグローバルに幅広くビジネスをやっているので世界観が広がるような多様な経験ができ成長出来そうだ!と父が当時航空会社に勤めていた影響で航空の世界に興味もあり、フワッとした状態ながらも全日空商事でのキャリアをスタートしました。

前職では航空機関連の事業部門にて、主にエンドユーザーである航空会社を顧客としてパイロットやCAの訓練装置の開発・導入を顧客側に立ってプロジェクト推進・支援を行う事業、パイロットに教育訓練サービスを提供する事業などなど、直近1年半では買収した米国メーカー製品を新たにアジアのユーザーへ販売する仕事に携わってました。(すんごいニッチな世界です)
事業自体はニッチでしたが、入社以降は営業やプロジェクトものを中心とした業務や、海外での事業立ち上げ〜運営などなど・・・国内外の様々な事業や担当領域をやらせて頂くことができ、入社当初から「やりたい!」って言っていたことはほぼやらせてもらい、知的好奇心が満たされる充実した日々を送ってました。

妻の出産+育児


ただ、自分の中で30代を過ぎてやりたいことの方向性が「多様な事業を経験して成長したい」という考えから、「より社会影響度の高い仕事がしたい→それを取り組む中で成長したい」という軸に変わってきていたものの、じゃあ実際なにを?、という自己課題感を持ちながら悶々とする日々を送ってました。

ちょうどその頃駐在していたタイの事業に区切りがつき、帰国したら色んな人の話を聞いてみたいと自分の考えを妻に告げ、昨年4月にタイから帰国。

そしたらその5月に新居への引っ越しが終わる間もなく妻の妊娠が発覚!

2013年に結婚してからも子宝に恵まれず、もしこのまま夫婦2人だけの生活になったらこんな感じに行きたいねーという話をしていた事もあったので、思わぬ嬉し過ぎる出来事でした。
ただ、妻は私よりも3つ年上で一般的には高齢出産となり、出産リスクについてはお互いに認識しておくべきものでした。

妻が専業主婦であることや、出産の状況次第では今まで私の仕事中心の生活を支えてくれた妻の状況も大きく変わる可能性もあるなと思い、とりあえず妻と子供が健康であることが確認出来るまでは、自分のキャリアの話は横に置いて、今は目の前にある仕事と家族のことに集中しよう!と決め日々過ごしてました。

そして今年の1月に待望の長男が生まれました!(いえ〜〜〜〜〜い!!!)

妻も産後の状態は良好で、子供もその後の健診でも順調であることが確認できホッとしたことを覚えてます。
待ち望んだ家族がいる生活〜♪というのは最初だけでそれからの妻の状況はカオスです。産後の体力回復を待たずして睡眠時間を削りフラフラになりながらも子供を授乳するあの時の妻の姿は忘れられません。これにより妻への深い感謝の気持ちは当然として、世の中の先輩お母さん方に対する尊敬が深まったことは言うまでもありません。

今年3月から新型コロナが流行し始め、世の中は急転直下カオスな状況になると共に完全在宅勤務体制に。
通勤がなくなり、妻と同じ空間で仕事をしながら育児のリアルに立ち向かうという経験は夫婦関係にとても良かったと思います。ビジネスにせよ家庭にせよ一次情報は本当に大事だなと実感するばかり。

さあ次のキャリアについて考えようと思っていた矢先のことでしたが、子供が出来たこと、そしてコロナにより世の中が一変してしまったことにより私の将来に対する考えが以前と変わってきます。
「稼ぎは安定していた方がいいな」、「収入は多い方がいいよな」、「子供には毎日生き生き仕事している姿を見せたいな」、「子供と色んな経験をしたいな」など今まで考えてもみなかったようなことが頭を過り、事ある毎に妻にそのような話をしてました。子供が生まれたことで自分のキャリアを考える上での軸が増えていき、結果的に軸ブレブレで頭の中がカオスになります。


キャディとの出会い

一方で、前職ではその頃、前述した米国メーカー製品をアジアで売っていくために、より顧客の近くで日本のものづくり品質をお届けしよう!とメーカーの間に入って、日本で完成品の受託製造が出来る会社を探してましたが、品質は良いけどなぜか価格が合わない問題に直面してました。また、合わない価格を深掘りして検証をしたいものの少量多品種であったが為にどうしても見積もり点数が多く受託製造側の見積もりや検証の負担が大きいことに、加えて言語の問題もあり、本来販売機能である自分達が双方の間に入って調整をするものの、技術的な知見が追いつかず中々検証が進まない状況となってました。これは構造的に問題があるなー、どうやって解決したものかと考える日々を送ってました。

そんな時期にキャディの記事に出会います。

自分がその時感じていた課題感にはまっていたこともありパッと見た時は「これじゃん!」とユーザー目線で思いましたが、記事を読み進めていくうちに社会貢献度MAXな壮大な世界観を作り出そうとしているミッションやビジョンに惹き込まれ、そこからキャディに関する記事を読み漁り、もっと話を聞いてみたい!と思いその日中に履歴書を送ったことを覚えてます。

その後、妻にキャディのことを伝えると、

「で結局、あなたは転職になにを一番求めているの?」

、と一言。

「これ面接で聞かれるようなやつ!」と思いながらも、ぐうの音も出ません。妻からしたら当然の話でその至極真っ当な言葉にハッとさせられながら、その時は明確に答えることができませんでした。
「子供が生まれたばかり x コロナ x スタートアップへの転職」の1つだけでも巻き込まれる家族としてはお腹いっぱいになりそう不安要素が3つもある状況下、そんなあれもこれもな状況では後々壁にぶつかった時に乗り越えられないぞ、と言う意図もあって聞いた一言だと思います。

35歳で初転職、スタートアップにいくことはどう言うことなのか、今取りたい選択はなにか?と言う問いに対し、自分の答えは「より社会影響度の高い仕事がしたい」。結局、「やりたいと思ったことを、とことんやりたい!」と言う自分の心に嘘は付けませんでした。

妻に自分の気持ちを正直に話すと、

「やりたいことをやる、があなたなんだから、あなたらしくやったら。
でも家族との時間も大切なので、そこはちゃんと話し合ってやって行こうね」

妻の漢気満載の答えと覚悟に惚れ直しました。




妻:「まあでも・・・・まずは面接受かってからだね」

キャディ面接初回前夜のことでした。

それから面接を頑張り今日に至ります。


最後に


ここまで長々と私の恥ずかしい紆余曲折についてご拝読頂きありがとうございます。

また、ここまで育てて頂いた前職の上司ならびに仕事に関わった方々には改めて深く御礼申し上げます。
まだ入社1週間にてドメイン知識や社内のオペレーションなどをオンボーディングの中でキャッチアップしている最中ですので、また折を見てその後の自分の状況などについてアップして行きたいと思います。

キャディは伝統的産業のDXへ立ち向かってく仲間を絶賛募集中です!
興味のある方は是非お声掛けください!

 

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