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【新・魔法のコンパス】西野 亮廣 より

現代では、モノを買う時に「メルカリ」で売れるかどうかを基準にしているという。

少し前までは考えられなかった判断基準だが、ありえなかったことが「当たり前」になっているのだ。

みんなが信じている「常識」も、明日には「非常識」になっている可能性も十分にある。

そもそも「常識」とは、いつのまにか信じてしまっている幻想に過ぎず、かのアインシュタインも「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」といっているくらいだ。

常識と言われるモノに縛られているようでは、周りの人たちと同じことしか出来ずに埋もれてしまう可能性が高いのも事実で、ほとんどの人がこの罠に陥ってしまう。

自分のやりたいことを成し遂げていく為に、一体何がいちばん必要となってくるのだろうか。

どうしてもやりたいことが見つからないと言う人は、自分が興味あることにまずはチャレンジしてみることをオススメしたい。



真先に頭に浮かんでくるのが、「お金」だろう。

しかし学校では、お金について全くといっていいほど教えてくれない。

正確には、「教えられない」のだけれど。

学校の先生は公務員であって自分でお金を稼いでいるわけではないから、考えてみれば当たり前のことだが、そこに意外と気がつかない。

雇われている以上、ルールを守りながら業務をこなしていれば毎月一定の額がもらえるが、それと引き換えに自分の人生を差し出しているのがサラリーマンや公務員なのだ。

先生は、「お金」というキーワードを出したとたん、生徒の保護者からクレームをくらうかもしれない。

それほど、お金は「下品」なものとしてみられている。

そんなんだから、自分たちはお金について学ぶ機会を失ってしまっているのだけれど、そこで終わりにしてはいけない。

お金の問題から、逃げてはいけないのだ。

では、お金の本質とは、一体どのようなものだろうか。

それは、山の上で売っているジュースで考えてみると分かりやすいという。

山の上で売っているジュースは、どうして高いのか。

そこにお金の正体がありそうだ。

もし、山の上でなく街のコンビニや自販機だったら、1本130円くらいだろう。

どこでもそのくらいなのだが、この「どこでも」というのがポイントだ。

街のどこでも130円だけれど、これは「どこでも買える」から同じような値段なのであり、山の上のような「どこでも買えない」状況になれば、「価値」は上がっていくことになる。

もし自分が砂漠に取り残されていて、ノドがカラカラの状態で目の前に自販機があった場合、一本「一万円」だと言われてもほとんどの人が買うはずだ。

それほど、価値は環境が左右することになる。

アーティストなら、その人にしかその歌声が出せないから価値があるのであり、みんなが同じように歌えたなら価値はなくなってしまう。

だから、もし自分がビジネスをやろうとするのなら間違いなく「価値」を高めるにはどうしたらいいかを考えてから始めたほうがいい。

そして、なるべく在庫を抱えずに、コストをかけずにビジネスをやっていくにはどうすればいいのか。

コストには人件費も含まれるので、少人数で展開出来るビジネスが理想だろう。

だから、収入の大きさを決めているのは仕事の「大変さ」でも「技術力」でもない。

「希少価値」なのだ。

希少価値を高めるいい方法は、「1万時間の法則」を利用するのが1番いい。

「一つの分野に一万時間費やせば、100人に1人の人材になれる」という法則だが、これだけ聞くと「そんなのなれるわけない」と反射的に思ってしまうだろう。

しかし、「100人に1人」の人材はそこまで大きな目標ではないはずだ。

一万時間というのは、毎日9時間を3年間だからだ。

「100人に1人」の存在に三つの分野でなることが出来れば、「百万人に1人」の存在になることが出来る。

「百万人に1人」の存在になれば、希少性も大きく増すのでどこでも「食っていける」存在になれるはずだ。

そして三つの分野は、なるべく離れている方が効果は大きくなると言われている。

あとは自分をいかに世間に売り出していくかだが、SNSが普及している世の中ではある程度の鎖国性も必要となってくる。

なぜなら、心ないアンチやクレーマーが跋扈しているからだ。そんなのを気にしていたら、自分の個性が殺され、無味無臭のモノしか残らなくなってしまう。

突き抜ける為にはそんな時間はムダでしかないことを覚えておこう。

鎖国性を持つと、根強いファンを持つことが出来るのも大きな強みだ。

その為には自分を「ブランド化」して、「同じような商品やサービスは色々あるけど、どうせならあの人のところで買おう」と思ってもらうことが必要になってくる。

あらゆるサービスが溢れている世の中でこそ、いかに差別化を計るかがポイントだが、それは「常識」の枠の中にはない。

だからこそ、「常識」は疑うことが必要なのだと思う。

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