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鬱や絶望という感情が自分から永遠に削除されるのは、幸せな人生か? ゲーム「The Red Strings Club」感想


何が自分にとって「幸福」なのかを再確認させてくれる傑作アドベンチャー
(序盤のゲーム展開および序盤で確認できる情報のネタバレあり)


人間関係や仕事、受験、家族、プレッシャーその他多くのことで、誰しも悩み、気持ちが落ち込み、憂鬱な気分、または激しい憎しみの感情になったことはあると思います。また、現在進行形でそのような気持ちになっている方もいるのではないでしょうか。

その、自分の気持ちを落ち込ませる「嫌なこと」は、終わってみれば大したことが無かったり、嫌なことではありつつも経験してみれば「やって良かった」と自分の中で消化できることであったかもしれません。

一方で、自分の人生に悪い意味での影響を与えるような、心の傷になる場合もあります。本当に、経験する必要の無かった事柄であるかもしれません。

結果的にどちらだったにせよ、一時的または長期的に憂鬱や絶望、憎しみなどを感じるのは間違いありません。


ではもし、そのような負の感情「のみ」が、テクノロジーの力で意図的に削除された世の中になるとしたら、どう考えるでしょうか。
鬱や憎しみが無くなることで、自殺や殺人が無くなります。他者への愛情が行動の根本的な源になり、思いやりを持った人しかいなくなります。誰一人絶望や悲しみを感じず、おそらくはそのような感情が存在すること自体が忘れさられるかもしれません。笑いの絶えない、というより、誰もが笑みしか無い世の中になります。

そのような変化について、永遠に悲しみという感情を感じられない人間性の喪失として異を唱えるか、来るべき人間の進化と捉えるか。あなたならどう考えますか?

そして、そのような世の中にするのを止めるか、それともそのまま見過ごすかを自分が選択するとしたら。
あなたはテクノロジーを使い、人間の感情を抑制させる道を選びますか?
それともテクノロジーを破棄し、今後も悲しみという感情が存在する道を選びますか?
正しいのはどちらの道ですか?

その変化について、迷う人がいて、妄信する人がいて、反抗する人がいる。
そんな、大きな変化がなされる直前の世界。その街の一角で、一軒のBarが営業しています。
あなたはそんな世界で、その店のバーテンダーとして人々の話を聞き、カクテルを提供し、そしてその大きな決断について行動する。


そんなゲームが、この「The Red String Club」です。



「The Red Strings Club」

ゲームは2Dドット絵アドベンチャーゲーム。
キャラクター同士の会話が中心であり、マウスクリックのみでプレイできます。

サイバーパンクな世界の中、戦闘もなく、ダンジョンもなく、主人公のバーテンダー:ドノヴァンはただただ店に立ち続けます。

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しかし、ドノヴァンには別の顔があります。それは、「情報屋」という姿です。
ドノヴァンは来店した客にカクテルを出すのですが、それは客から注文されるものではありません。いわゆる「おまかせ」とでも表現すればいいでしょうか。バーテンダーがその客に合ったお酒を提供します。
ここがひとつのゲーム性となっています。


来店する客は皆、何らかの感情を持ちながら来店します。それを捉えることの出来るドノヴァンは、酒の力で客が持っている感情の一つを増幅させます。

それは悲しみなのか、自責なのか、狂気なのか、肉欲なのか。
バーテンダー、すなわちプレイヤーは、客の感情をアルコールでコントロールすることが出来るのです。
それも全て、情報を引き出すため

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様々な酒を提供し、客の感情をコントロールします。


素面なら話さないことも、アルコールの力や、感情が増幅することによってつい話してしまうこともあります。
普段は我慢していても、実は誰かに聞いてほしかった不安や悲しみ。迷いや欲望。そういった感情がドノヴァンの提供するお酒によって増幅され、このBarでは吐露されます。あくまで静かに、しかし意図的に。


脅しでも拷問でもなく、酒の力で様々な情報を手に入れるのです。

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時にはブラフを使い、情報を引き出しましょう。



ストーリー:情報を集める「理由」

ある日、「The Red Strings Club」にて主人公のドノヴァンと仲間のブランダイスが過ごしているところに、アンドロイドの「アカラ」がぼろぼろの状態で入店してきます。

ブランダイスは急ぎ、何があったかを突き止めるためにアカラへと自らを接続します。攻殻機動隊のように、アンドロイドに接続し、過去の記憶を確かめるのです。


アカラは、様々な人間にメンタルをコントロールするインプラントを挿入する仕事を行っていました。
これ自体は問題があるわけではなく、人間が望んで、自己の感情をコントロールするためにそのような機能を持ったインプラントを挿入しています。
仕事のため、自己の欲求のため、メンタル面をコントロールして自分の成功を近づけようとしているのです。

しかし、途中で潜入してきたブランダイスの仲間によって、アカラが自分や自由について考え、混乱し、逃走。自我が芽生えたとでも言えるかと思います。

そしてドノヴァンとブランダイスのいる「The Red Strings Club」へと迷い込んだのです。

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アカラが人間のどのような悩みに対し、どのような感情のコントロールのインプラントで対応していたかは、ミニゲームとして追体験できます。


アカラの記憶を追う過程でドノヴァンとブランダイスは、アカラを管轄していた「スーパーコンチネント社」が、鬱や絶望などの感情を消し去るシステム「ソーシャル・メンタル・ケア」を、世の中の人に適用しようとしていたのです。

人の感情を企業がコントロールするなんてことは、決して許されることではない。
ドノヴァンとブランダイスは、スーパーコンチネント社の野望を打ち砕くべく、行動を開始します。

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バーテンダーとして

ドノヴァンは先ほどのように、来店した客に対してアルコールを提供し、感情をコントロールしたうえで秘密の情報を聞きだします。店に来るのはスーパーコンチネント社に関係する人間ばかり。ときには情報を交換し、ときにはブラフで騙す。そうやって、情報を収集していきます。

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そんな中で、会社の方針に対して、社員も様々な思いを持っていることがわかります。また、同社が行おうとしているスーパー・メンタル・ケアについても、妄信する社員もいれば、その仕事に対し迷いや自責を感じている社員もいます

さらに、同社の中での人事の動きや政府の関わりなど、ただ単に「スーパーコンチネント社の野望を打ち砕く」といった目的の他にも、新事実や気になる情報が手に入ります。そのあたりは是非プレイして確かめてみてください。

一つの大きな目的を追いかけていた結果、目的に付随する様々な情報を知り、自己の考えを何度も振り返ることとなります。自分のやろうとしていることは、本当に正しいものなんだろうか、と


分岐する物語。決まっている結末。最後に明らかになる究極の事実。

プレイしていくうちに、プレイヤーは様々な分岐を迫られます。
それは、バーテンダーとして客から何を聞き出せたかという結果も分岐の一つですし、アカラとのミニゲームをクリアできたかどうか、また仲間から何を受け継ぐかなど、多くの要素で分岐のポイントがあります。そしてそれが、後のストーリーに影響してくるのです。

このあたりはチャートとしていつでも見ることが出来るので、自分がどのような選択をしたのか、いつの間にか選択を取りこぼしていたのかなどがしっかりと把握できる作りになっています。

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上記の様に、どのような流れを経てきているかがわかります。


ここだけ見れば、ナラティブなアドベンチャーゲームの傑作「Detroit: Become Human」のような印象を受けるかもしれません。また、選択を迫られるという点では同じく傑作アドベンチャーゲームの「Life is Strange」シリーズとも似ています。



しかしこれらのゲームとは異なるひとつの情報を、プレイヤーは最初から把握することが出来るのです。
それは、このチャートの最後部、ゲームのエンド部分についてです。
ゲームの終着点が、先に示されているのです。それが、以下の通りです。

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「ブランダイスはスーパーコンチネント社のビルから落下した」
この結末が、先に示されているのです。


実は、ゲームを開始した時点、オープニングはブランダイスが落下している場面からのスタートとなっています。

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では一体なぜ、そのような結末に至ったのか。
主人公のドノヴァン、ブランダイスはどのような考えを持ち、スーパーコンチネント社に対し行動し、そして、ブランダイスは落下することとなったのか。

全てがはっきりするのは、やはりこの物語の最後の場面となるのです。
そしてこのような結末に至った理由は、それまでBarで様々な情報を聞き、様々な判断を行った結果となっています。
話の分岐はありますが、なぜこの結末に収束するのかは、ぜひプレイして確認してもらえればと思います。



自分の勧善懲悪の定義を再確認する、哲学的な物語

お酒で客の感情をコントロールしたり、その他インタラクティブなミニゲームも面白さとしてありますが、やはりそれらを支える圧倒的な物語の力がとても魅力でした。

ただただ敵を打ちのめすのではなく、なぜ自分にとって敵は敵であるのか、そして敵ではない可能性もあるのではないのか、敵にも戦う真っ当な理由があるのだ、といった多くの要素を知り、そのうえでどう判断するかをプレイヤーに委ねてきます。「悪」はなぜ悪なのかという自分の考えや基準を浮き彫りにさせてくれるような物語でした。

一方で、Barに来るお客さんは、物語とは直接的には関係ない話もします。しかし、それはサイバーパンクの世界だからこそ話題になりやすいもので、しかも思わず考え込んだり納得してしまうような哲学的な話でありました。良い悪いではなく、視点の広がりを感じるような会話は、またとても魅力的でした。

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まとめ

クリアまで3時間ほど。私はノンストップで一気にクリアしました。
サイバーパンク+バーテンダーということで、名作「VA-11 HALL-A」との相似があるのかと思いましたが、中身はまるっきり別ジャンル。VA-11 HALL-Aがあくまで間接的に客の物語に介入していたのに対し、このゲームは主体的に世界を一変させるような要素に介入していきます。

UIやサウンドも手が込んでおり、世界観を壊さないものになっていて没入出来ました。そしてお酒作りやその他場面に合わせたミニゲームも、プレイヤーを飽きさせません。

VA-11 HALL-Aは会話、すなわちテキストを読むパートが多く、その会話内容やキャラクターの魅力が大きかったのに対し、The Red Strings Clubはもう少しゲーム性に寄っている気がします。

「VA-11 HALL-A」(2016年steamにて発売。2017年にPSVITA版、2019年にSWITCH版が発売)


会話の中で何を選択するか。お酒の提供も、「より情報を引き出しやすくするため」の道具。そうなると、バーテンダーとしての会話ではなくいたるところにゲーム要素が散りばめられていることに気づきます。それが、飽きずに夢中にさせてくれる要素なんだなと感じました。

何が正しくて何が正しくないのか。ともすれば正解が無いような質問に対しても答えないといけない場面が多く、客からの質問に対して思わず詰まってしまうようなこともありました。

やはり、こうやって受け答えをするというインタラクティブな体験は、ゲームならではだと思います。そしてそこから、自己の内面や意識していなかった判断基準を具体的に知ることが出来るのもまた、ゲームというエンターテインメントのひとつの特徴だと思います。

とにかく面白かったです。「VA-11 HALL-A+Detroit:Become Human+Life Is Strange」のようにも感じました。
短い時間でもしっかりと自分に視点を向けられ、考えさせられる。
こんなゲームがどんどん増えてくれればいいなあと思うような作品でした。

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