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学級経営の教科書レビュー③

おはようございます。

yuma otsukiです!

今日は前回の続きです。

もし見ていない人がいたら下をチェックしてください!

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先に言っておくと僕はこの本が大好きです。なぜなら、この本には、他の本にありがちな小手先のテクニックではなく、本当に必要なことが根拠を入れて書かれており素晴らしいです。

だから、レビューというよりはこの本をまとめただけなんですが、自分の学びのためにやってますのでお付き合いください。

前回は、どの先生も指導するべき必然的領域について話しました。

今回はできることを増やす計画的領域についてです!

①「ルール」ではなく「決まりごと」

学校生活には決まりやルールがありますよね。(個人的には意味わからないものばかりだと感じていました)

ただ、制服の有無については家庭の経済状況による差異の是正のためと記されています。これに関しては納得しました。

この本には「ルール」や「規律」ではなく、「決まりごと」と書かれています。その理由がいくつかあります。

1つは「ルール」だとハラスメントが起こりやすいからです。「ルールだから」「守って当たり前」とよく言われます。ただ、前文にも書いているように理不尽なルールって多いですよね。たとえば、「靴下は白」とか「髪を染めてはいけない」など。

この前も髪染めの指導が原因で不登校になったニュースがありましたが、よくよく考えると意味が分かりませんよね。

なぜこのようなことが起きるかと言うと、人によって「当たり前」の基準が違うからです。

2つ目は「ルール」だとこれを破った生徒とのパワーゲームになるからです。スポーツにおいてルールを破るというのは「楽しさ」や「安全」が損なわれるので排除というカタチになります。

ですが、学校教育において排除というのはふさわしくありません。

こうしたパワーゲームにより「体罰」が生まれます。

「先生の言うことは聞いて当たり前」という考え方がよくないのです。

どちらにとっても「校則」や「ルール」はないほうが良いと思います。

「校則」=「拘束」です。(今適当に思いつきましたが案外的を射てるのかもしれません笑)

②「決まりごと」の難しさ

社会化といって、学校教育を通じて、社会生活に期待される生活習慣や行動様式を身に付けることが求められます。

学校には色んな事情を抱えた子どもがいます。

たとえば、保護者の出勤時間とほぼ同じ時間に登校する子どもは遅刻が少ないです。逆に言えば保護者が早いなど時間が違うと難しいと思います。

また、教師に反抗的な子どももいます。保護者が協力的でない家庭もあります。

これらの学級経営に与える外的ファクターを社会的文脈と言います。

学校は多様な文化の集合体なのです。

③できることを増やす指導

そもそもこの領域は前回の必然的領域(自己と他者を傷つける行為を指導)とは違い、「こういう生活習慣や行動様式を身に付けるとより社会生活がしやすくなる」という視点に立ち「できること」を増やすのが目的です。

だから、怒ったり声を荒げるのは少なくなります。

たとえば授業中に本を出せていない生徒がいたら怒鳴るのではなく一声かければ良いと思います。それでもできない場合は「できない要因」を考えるべきです。(本人になにかあったのか、授業に困り感があるのか)

④軸を持つ

自分の中で大事にする「決まりごと」を一貫してやるべきです。

「決まりごと」をやってもやらなくてもいいという場面ができてしまうと習慣化ができません。

この「決まりごと」が多くなると指導が中途半端になり学級で習慣化されないということがああります。

「みんなができている」ということを確認しながら教育活動に進むのが大事です。

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