食をうたうー『異国』Vol.3

ーーさて、どうしたものか、と思う。

「食」は短歌だけでなく、あらゆる文芸における重要なテーマだ。現代社会における生活と密接に結びついているという部分が大きいだろう。芸能人やレポーター、グルメ記者等は味を詩的に表現することが求められている。多くの作家が「食」をテーマにするエッセイやルポルタージュを書いてきたし、それらはすべからく「文化」や「民族」といった難しい問題を問いかけてくるものであった。

ところがどうだろう、僕は「食」を表現するということにあまり興味がない(というか、できない)のである。食べることは大好きだが、自作の短歌を見ても食べ物や食事についての歌はあまり残っていなかった。うたの日などの題詠でしかたなく詠んだ歌を見てみると、やはりどこか通俗的なものになってしまっている気がしてうまく乗れない。自分の技術の問題ではあるが、「食」を使って詩的に広がりのある歌を詠むのは難しい。

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「食」を通じてある人間関係が浮かび上がってくるような、重奏的な歌が好きだ。三十一文字の中にドラマが感じられる。それを彩っているのが「食」であり、それらはどこか人間社会の本音を見せてくれている。

躊躇なくユッケの黄身を刺しくづす手つきに君の孤独など見ゆ(小佐野彈『メタリック』)

生肉をつつきあいながら、目の前にいる相手の孤独について思いをはせるというシチュエーションが、すごくドラマティックだ。ユッケの赤身と卵の黄身が君の手によって混ざり合う、その一瞬の混沌にどこか名状しがたい美しさを覚える。連作として読むと、作者が「君」を単なる友だち以上の存在としてとらえていることが浮かび上がってくる。都市の中に潜む小さなドキュメンタリーのようだ。

厚焼き玉子なかにのの字のこげ色あり僕を起こしにきたときだろう(大井学『サンクチュアリ』)

こちらはもう少しほのぼのとした関係性だ。厚焼き玉子のこげ色という小さな違和に、君の不在や僕の不在を感じている。さりげない日常の、けれども大切な一瞬を演出するキーアイテムとして、「厚焼き玉子」の素朴さやさりげなさが実に効いていると思う。

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特に「異国」感がするわけではないが、好きな「食」の短歌を二首取り上げてみた。では、『異国』の同人は、食と異国情緒をどのように短歌で表現しているのだろう。

リゾットにかけてくれるのだが量がまさかのパルミジャーノ・レッジャーノ(白川ユウコ)

本場で食べるイタリアン料理への、素直な賛辞と詠んだ。「量が」「パルミジャーノ・レッジャーノ」とはどういうことなのだろう。想像以上に大量のチーズをかけてくれる、その驚きを擬音のように楽しく表現しているのだろうか。異国の「食」はやはり言葉に結び付いている。

山盛りのザワークラウト消えてゆく銀のフォークのきらめくままに(笛地静恵)

なんともビールが飲みたくなる歌だ。「銀のフォークのきらめく」という下句が空間を演出している。静かで温かく、思索をめぐらすのにちょうどいい隠れ家的な存在の店。酒飲みは酒によって(酔って)、思考を研ぎ澄ますものである。ザワークラウトの酸味が懐かしい。

ナンを焼きナンを売るとき満ちている香りあなたは知らないままで(鈴木智子)

サマルカンドは美しい街だ。その象徴である「サマルカンドナン」の香りをあなたは知らないでいる。知らないでいるあなたのことが、異国の地にいて何倍にも愛おしく思えてくる。穏やかでさみしい、けれども充実した時間が過ぎていく。

スパイスを揃えて終わる日本人ラクシュミさんはジャワカレー推し(深山静)

いまやジャパニーズカレーは国民食であると同時に、本場のカレーそのものが国民的な異国の「食」になっている。どの町にもインドカレー屋があり、安く、手軽に腹を満たしてくれる。ラクシュミさんもまた、異国の地で奮闘するものの一人なのだろう。「ジャワカレー」の浸透具合にちょっとクスッとしながらも、そこにはそれぞれのカレーに対する誇りや尊厳があるように思える。スパイスを揃えて終わるのもまた、日本人なりのリスペクトなのだ。

バカは牛 アホはにんにく 聞きなれし響きに西語辞典をひらく(貝澤駿一)

高校の時に習ったスペイン語、今では動詞の活用すらアヤシいレベルだが、こういうどうでもいいことはなぜだがよく覚えているものだ。ajo(アホ)をたっぷり聞かせた牝牛(vaca)のステーキは、vaca con ajo(バカこのアホ!)と聞こえたりする…なんて、くだらないことばかり思い出す。けれども、語学の楽しさはそこにある。五感で学べる楽しい学問、それが外国語なのである。(ちなみに本場のバカは涙が出るほどおいしかった。すっかり酒飲みとなった今、もう一度マドリードへ行ってアホをたっぷりきかせたバカをつつきながら、ワインで渋くキメたいというのが、令和の僕のささやかな夢だ。)

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『異国』の発行は残り二回を予定している。今度はどんな異国情緒が待っているのか、今からわくわくしている。読む時はぜひ、好きなお酒とおつまみをかたわらに置いて楽しんでほしいなあと思う。

2020. 12.17   貝澤駿一


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