憂い取り

どうにかこうにか学内はなだまってきて、悩みは具体的なことに移り変わってきた。こちらの精神疲労も少し落ち着いた。たぶん防衛反応としての遮断や拒絶だったのだろうと思う。

いまは連日、即席サポートデスクみたいなことをしている。おかげで本来の仕事は捗らないが、担当とか役割とかいうのはもうどうだっていいことだ。予定なんてとっくに消滅しているし、ちょっとのことで誰かの憂いが消えてなんとかなるならそれでいい、と最近思えてきた。
なんだか懐かしい感覚が蘇る。
サポートとは何か、ということを思う。

お呼びがかかって行ってみると、けっこう、問題の所在は技術的なことやスキルではないことが多い。
技術的・能力的にできないとか、個人のスキルに対してやりたいことが高望みであるようなケースはほとんどなくて、たいていは、ほんのちょっとの「これで合ってる」「大丈夫」の頷きがあれば済む。

結局のところ、未知のものすぎて不安が大きいだけなのだ。少しのことにも先達はあらまほしきことなり、となっているだけなのだ。
1回、時をともにして見守るだけで、だいたい解決する(今のところ)。

サポートデスク的な仕事というのは、問題発見や課題解決が第一であるように思われがちだが、たぶん一番大事なのはそっちのほうで、不安を解消することなんだろうと思う。
相手の奥底にある不安を取り除ければ、なんてことないよと思えれば、安心できれば、一人で進んでいけるようになる。

きりがないから、とか、仕事外のことを押し付けられても困るから、とか、責任持てないから、とか、平等性公平性なんかのことを考えて、タッチしないようにしている同僚もいる。
それはそれで正しいことなのかもしれないけれど、私はとりあえずできる範囲で頼まれごとにはイエスと言い、見守り、頷くことにした。
一刻も早く憂いをなくして前に進んでもらいたいから。

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