詩と大学と私、そのorigin

高校のころ、私にはやりたい学問があった。

大まかに言うと、ある文化圏の古典の詩について。どういうことを意識して過去の人は詩を作っていたのか。「いい詩」というのがあるとすれば、それはなんなのか。そういうことに興味があった。
私が、いいな、好きだな、と思ったことの必然性というか、理由みたいなのを確かめたかった。

きっかけはとある外国映画で、物語の核として詩の朗読シーンがあった。吹替版でもたしかそこだけは吹き替えなしの字幕だったかと思う。日本語に訳してしまうと表現できない、その言語だからこそのリズムや韻律がとても美しく思えた。

それからだ。

図書館で訳詩集を借りて、気に入ったものをノートに書き写して抄本を作った。原文と、直訳文と、もろもろを含めた翻訳文と。集めるうちになんとなく好みがでてくる。この詩人がいいな、この単語に弱いな、など、自分の好みを分析しだす。(これは今でもnoteで同じことをやっている気がする)
正しい発音を知らないながら、それっぽく読んでみて、なんとなく雰囲気を味わってみたり。そのうちに、せっかくなら原文をもっとちゃんときれいな発音で読めたらいいな、と、思うようになった。
解説を読むと、なにやら読んでいる詩には約束事がいっぱいあるらしかった。あれこれと制約や踏まえている何かがあって、作者はそれらを描写の中にこともなげに編んでいるらしい。すごい。でもそんな技巧を、読めないがゆえに何も知らずに素通りしている。
俄然、もっと詳しく知りたくなって、高校2年のとき、大学では詩を勉強しよう、と決意した。

興味のない人には、そんなものを学んで何の役に立つのか、みたいなことを言われてしまいそうな分野だが、そのようなことに胸が高鳴ってしまったのだから仕方がない。化学の図録をめくって物質の化学式と結晶の美しさに心奪われる人がいるように、詩の中に散りばめられている文字や音韻の、均整のとれた美しさに、当時私は心を奪われていた。

さらに、そのころは世の経済合理主義、なかでも、受験においてはコスパのいい選択をすべし、というような風潮に対する拒絶反応があって、受験科目にないものや点数につながらないことは一切勉強の必要もないし意味もない、というような考え方に反発していた。その憤懣と反発を、八つ当たり的に自分の進路選択にぶつけてしまったところがある。
まぁ今では少し大人になり、全く共感できないがそういう考え方の人もいるね、くらいには思えるようになったが、高校のころはどうしても許せず、点数になるかどうかなんてくそくらえだ、的な反骨心を抱いてしまった。
それも今振り返ると、私にとって個人的に重大な意味があることを無意味と断罪されるのが悔しかったんじゃないかと思う。好きな人を貶される怒りと同じで。他人には好きに言わせておけ、目的の違いだ、という気になるのにはしばらくかかったが、まぁ、それについては一旦置いておく。

それで、当時いちばん好きな科目だった世界史の先生に進路相談に乗ってもらい、志望校を決めた。日本でそういうことがやりたいなら、ここか、ここ。家の経済状況も加味すると、選択肢は2つだった。うち1つはかなり遠方の大学だったので、受験できるかどうかも少々怪しかったが、とりあえずその2つの大学を目指して受験勉強することになった。前期に1つ、後期にもう1つの大学の願書を出し(これは今では取れない手段なので、当時の私はとても幸運だったと言える)、最終的には後期の方の大学に合格した。配属の保証もないのに先生も研究室もはじめから心に決めて(そこ以外の選択肢など私には存在せず)、意気揚々と大学に入学した。わけなのだが。

わりかしすぐに現実を思い知らされた。

大学に入ってわかったことは、私がやりたいと思っていたことは、どうやらはるかはるか上空遠くにかすんで見えるようなことで、すぐには手が届きそうもない、ということだった。やりたいこと以前に、のぼらなければならない階段、知らなければならない前提知識がそこには膨大にあった。

訳本というのは偉大な研究成果であると、いつか書いたような気がするが、そうであるからこそ、原典を自力で読めるように訓練する、というのが私が学んだ大学のポリシーだった。
新たな知を生むために、過去の研究成果としての訳や論文をまず検証できるように。
原典を前に怯まずに挑み、まず自分で読み解くこと。そのうえで何かを明らかにすること。
そのための語学と、書誌学を中心とする専門知識、それが古典文学を学ぶ学生がまず身に着けなければいけないことだった。

その先に必要なことはジャンルによるが、詩をやろうとする場合は、たとえば、現代のことばと古いことば、文語と口語、文字や音に関する知識、その言語特有の修辞法、扱う時代の社会のしくみや生活、宗教、思想、詩そのものの歴史や様式に関する知識などは完全ではなくとも必要になるし、当時の詩人たちの中での常識や、読んでいたであろうはずの本や、交友関係や、そこでの議論の中身も抑えておく必要がある。有名どころの詩や神話のようなものは、とうぜん知っていないと読み違えてしまう。
要は、過去の人の常識や価値観や感覚をインストールしようと試みることが必要になるのだ。それも、すべて文字だけを頼りにして。本や版の信頼性や、普及・伝播と散逸、系譜、注釈の歴史、等々、依拠する書籍に関する知識は、だから必須になる。

古くからある学問分野であればあるほど、研究自体にも何百年という長い歴史があるため、ギョーカイ的に知っておかなければならないことが多く、その過去の膨大な研究成果の積み重ねの上にあるさらっとして濃厚な概説書の内容を理解するのも、最近の研究を理解するのもまた、初学者には難儀なことだった。
実際、過去の文字音に関する講義などは、講義を聞きながら頷けるまで、先生の話すスピードに理解が追い付いて内容もよくわかると思えるまでに3年はかかったし、何を読むにも専門の辞書が必要で、それを引くためにもまたいくつもの辞書が必要になるような感じで、数行、数文字が何週間かかっても読めずに泣いたりした。私の不勉強さったらなかった。

簡単に興味を持ってしまったけれども、何も知らずになんてところに興味をもってしまったのだろう、と、くらくらした。
全然進めない、近づけない。
それでも、這いつくばりながら、少しずつ、少しずつ身に着けていくしかない。
まるで100キロマラソンを匍匐前進で進むような感覚であった。
そのうえ、外国語をすべて日本語で説明するわけであるから、日本語にも鋭くなければならず、よく先生には「そんな日本語はない」と大層怒られた。(今書いているものや、noteの文なども、見せたら卒倒されるかもしれない)

そんな感じであるから、進路を考え始めるような3年生の夏になっても、大学でやりたいと思っていたことの1%もできていない、という焦りと絶望的な感覚が私につきまとっていた。
大学で何勉強してるの?という、他者からのシンプルな質問にも、まったくなんと答えていいのかわからない。やりたいことと自分の立ち位置のギャップに打ちのめされそうになりながら思っていたことは、何もわからないままにこれで終わりにはしたくない、ということだった。
大学に入ってやりたかったことに少し触れられるまで頑張ろうと思って、大学院に進むことにして、その先のことはやってみてから考えたいと思った。

私の選択は私のそのときの目的にとっては実に正しく、教わっている先生の専門分野を考えても、大学の研究設備を考えても、やりたいことのためにはこの上なく理想的な環境が揃っていた。
その点では非常に恵まれていたと思うが、私の散漫な注意力と未熟さのために学業に全力投球することができず、もったいないことにその環境を活かし切ることができなかった。

お金と時間と情熱と意欲。大学院は、全部を注ぎ込めるようでないと、その先に進んでいくことができない場所だった。だが私にはそのどれもが少し足りなかった。
私は結局、後期進学を諦めて、大学院に入って早々に就活するという道を選んだ。就活は最低限。将来どうなりたいとか、やりたい仕事なんてなくて、ほんとうにどうでもよくて、とにかく早々に決まってくれればよかった。
この未来の選び方が良くなかったのは、以前に前職について書いたとおりなのだが、奨学金を貰っているし生活費は稼がないといけないし、そもそもやりたい学問のために進学したわけだから、第一の目的である修論を書くことだけにまず集中したかったこともあって、ほかのことは適当になった。
やっていたことはなんとか形にすることができ、どうにかこうにか修了できた。主査の先生や研究室の先輩方には多方面で指導をしていただき、いろんなところで支えていただいた。感謝してもしきれない。

その後、いろいろあって、今に至る。

大学を離れてしばらくは、仕事や新しい環境に馴染むのが大変で、詩のことを考える余裕もなく、先生からは論文投稿を勧められたりもしたが、そのうちに有耶無耶になってしまった。あんなに忙しい先生が、原稿を見てくれるとおっしゃってくださったのに、、、しかし頑張って論文を書く余裕が私にはまったくなかった。

そして今一番心底後悔しているのは、何度かの引っ越しに際して、持っていた古書を売り払い、すべての講義ノートを捨ててしまったことだ。
きっともう大学に戻ることもなく、研究を続けることもなく、振り返ることも読み返すこともないだろう、と早々に見切りをつけてしまった。未練を断ち切って、新しい環境や仕事に専念しようと思ったのだった。

詩を想うことはほんとうはいつだってできるし、一度やめてもあとから再開したっていいのに、火種を自ら消してしまったのだ。ほんとうにもったいないことをしたと思う。もう二度と手に入らないものは、決して捨ててはいけなかった。悔やんでも悔やみきれない後悔。罪滅ぼし的に、先生の著書を買ったりもしたが、覆水盆に返らず、だ。

今思うこと。

大学院に行って、よかったかどうか。
結果論だが、私の場合はよかった。後悔はない。
大学院はつらかったが、自分なりにがんばれたとは思う。それは世間が期待するようなスキルや何かの経済的な利益に結び付くような内容ではないかもしれないけれど、一生懸命やってなにかに触れたと思えた事は自分だけのひそかな自信につながった。

と同時に、これを一生追い続けることがいかに難しいかということもよく理解した。興味を持って、その世界の深淵を覗いてもなお好奇心と意欲を燃やし続け、お金と時間と情熱その他のあらゆるものをつぎ込んでつぎ込んで、やっと新たな知見を得る。それがどんなにすごいことか。学問を継承するということ、新たな研究成果を出していくということのすごさを、身をもって理解した。

だから、私は、どんな分野であれ、世の院生さんや、大学の先生方、在野で研究を続ける人を、ほんとうにこころから尊敬している。人物的にちょっと問題ある場合もないではないが、それでも研究者を自認する人に、最大限のサポートをしたいと思っている。

それから、縁あって大学職員として働く日々の中、先生方の熱意の一端に触れ、学生さんたちの意欲に触れ、noteでもいろんな人の思いを読み、私の中にもまた小さな火が灯されるのを感じている。
湿気った線香に、ゆっくりゆっくり火を移してもらっているような感じだ。
こころにも時間にも人間的にも昔よりゆとりができて、大学で勉強していた頃より今のほうがよっぽど詩について考えているように思う。
学術の世界に入り込んでいくようなことはもうしないと思うが、たくさん読み、いろいろ考えて、何かを書き、そういうことを続けていったら、きっとしあわせに生きることができる。そう信じて、前に進んでいきたいな、と思う。

これが私のorigin。自己紹介を兼ねて。

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