あのころ

前の会社で休職していた頃のことを、なんとなく書いておく。

特にやりたいこともなかった私が就活が早く終わるからという理由だけで決めた最初の就職先は、都内の某システム会社で、同期が100人規模の比較的大きな会社だった。
私は開発に配属され、製品の一つの機能のサポートや不具合修正をメインに、たまに機能追加やバージョンアップの開発案件もやるようなポジションに充てられた。

仕事自体は悪くなかった。
データの異常からソースを追って不具合を見つけていくのは結構楽しくて(そのプロセスは研究のプロセスや謎解き的なものとかなり近く、慣れ親しんだわくわくがあった)、業務は自分に向いていると思った。
元のデータをどう持たせておいて、いつどこからどう持ってきてどこでどう使って最終的にどう格納・出力するか、みたいな、データの抽出から処理の一連のアルゴリズムを考えるのは好きだったし、プログラミングされたそれを読むのも、プログラミングするのもまた、嫌いではなかった。
自分の担当機能に愛着も持てたし、サポート業務はなんだか人の役に立っている感があったし、こだわりや美学や哲学を持つ先輩、上司、同僚に恵まれ、チーム仲もよかった。それで最初の一年は、わりと楽しくやれていたと思う。

それがいつからどうずれていったのか、はっきりしたところはよくわからない。
個はよかったんだが、集団の価値観が自分にあっていない感じがした。組織としてのあり方に対するかすかな違和感が積み重なり、また、昼も夜もない息苦しい都会の生活にだんだんと病んでいき、将来ずっとこうではやっていけないなと感じだし、ラボ替え後のチームリーダーとの考え方の違い(特にチームメンバーへの冷たさ、愛のなさ)が決定的となって、あるときから私は会社に行けなくなった。

休職前後のあの頃は、いつもなにかを探していた。
琴線に触れる、なにか。会社では信頼も情も私の大事にしたいものが何もかも凍りついて粉々になってしまった感じがして、心のつながりをとにかく求めていたんだと思う。でも忙しさが無関心に変化して凝り固まったようなところでは誰ともつながれなくて、私はひとり漂流していた。

なにか温かいものが欲しくて、よく最寄り駅の近くにあった本屋に通った。マンガや、小説や、詩集や、雑誌など、少しでも引っかかったものは手当たり次第買い漁ってみたりした。
でもすぐに尽きた。毎日見に行く本棚は代わり映えしなくて、あるものはすぐに消費し尽くしてしまう。
本は読んでいる間はいいが読み終えると虚無感がひどくて、そして結局自分が思い描く理想的な落ち着いた心とかけ離れたいまという現実に絶望して焦り、動悸がしてくる。全然心の隙間にピタッと来なくて、なんで世の中こうちょうどしたいいのがないのかと、不満を燻らせていた。
毎日本屋の中を行ったり来たり、何往復もして、こころの釣り針に全然引っかからないのにも苛立ち、ため息をついて本屋を出て、満たされない思いで、街をうろうろして。
ほかにも、何かに無心になろうとして、いろんなキットを買ってやってみたり、アニメや海外ドラマのDVDを大量に借りてきて、何時間もひたすら見続けたり。
とにかくもがいて足掻いて、でもどれも違う、違うんだ、なんで分からないの、という気持ちだけ募って、すべてを投げ捨てたくなって。
まさにイヤイヤ期の襲来、という感じだった。思春期だってこれほどひどくはなかったはずなんだけど。自分でも初めてで持て余す、感情の振れ幅。癇癪というものに近かったかもしれない。
この世のすべてが気に食わなくて、人とはうまく話ができなくて、説明することばが出てこなくてそれにもイライラして、分かってもらえなくて、息が詰まって、うつむくことしかできずに、家に帰ればぐったりして不意に泣く。ひどい精神状態。
ほかにも体のあちこちに不調が出て、この時期はやたらと病院に通った。

なんだろう、仕掛けられた罠にかかってジタバタしてよけいに抜けない、みたいな状況だった。辛いだけで、どうにもできない。落ち着いて働くなんてことができるような状態ではなかった。自分が何を望んでいるのかも、よく見えなかった。
そんなこんなの日々を繰り返し、休職し、一度復職したが最終的には環境を変えなくてはだめだとなって、仕事を辞めた。

心療内科の先生にはぼーっとしなさいと言われ、辞めてからはただぼーっとしていた。何をするでもなく、何を生むでもなく、誰かのためとか、存在価値とか、そんなのは何も考えないで、海をみたり、川べりを歩いたり。家の近くにスポーツセンターがあって、少し水泳をやろうかと思っている、といったら先生に怒られた。そんな疲れることはしてはいけない、なにかをやろうとしてはいけない、と。とにかく休みなさい、と。

それで、晴れた日は、よく都内の庭園に通った。浜離宮とか、清澄庭園とか、小石川後楽園とか、旧安田庭園とか。木や花や水はなにか満たしてくれるんじゃないかと期待して。
喧騒も少ないし、比較的穏やかで空も見えやすい環境だし、行ってしばらく歩いて佇んで帰ればそれなりに時間も経つし疲労するので、なんとなくよかった。そんなに人がいないくて、ぼーっとしたりうろうろしていても不自然じゃないところもよかった。(余談だが、そのせいで私には新海監督作品では「言の葉の庭」が刺さる。新海監督は都会の描写が怖いほどリアルだ)
今でも東京出張などで時間が余ると、庭園に寄る。誰も私に期待してくることがないのは安らぎだった。

その後はゆっくりと心身を回復させていったように思う。ちゃんと食材を買って料理を作ったり、アートに触れたり、人の群れ以外に身をおいた。自分に手間をかけようと思った。干からびていた。乾物はぬるま湯で戻すものだ。だからぬるま湯でよかったんだ。

今思うと、会社はたぶん最初から合っていなかった。都会の生活とか、職場の人のドライさとか、職場のカルチャーとか、組織の規模感とか、勤務形態とか、いろいろ。でも、入る前はピンとこなかったし、入ったばかりのときは鈍感で、こんなもんなんだろうと思って、大丈夫平気だと思いこんで、小さな違和感も呑み込んで我慢した。それが良くなかったと今では思う。

小さな違和感は大切にしたほうがいい。以前の会社は図体だけ大きくて、やさしいこころは糸のように細くて小さくて、かすんでいた。人が常に入れ替わっているから、メンタル不調の休職や退職なんて、誰もなんとも思わない。誰もなんとかしようとはしない。働くことが至上主義の、そういう、会社だった。
でも、それは、私は嫌だったんだ。人の情をいちばん大事にしたかったんだ。やさしい人でありたかったんだ。
今だったら、呑み込まないでいろいろ言ったり、気にせず行動して変えることができたかもしれない。でも、あのときは人生の経験値も低かったし、何も動けなかった。
就活では、どんな環境か、どんな人の繋がり方をしているか、組織に愛があるか、みたいなところは、なかなか見えない。職種や業種は、ほとんど何だっていいんだが、そういうところを大事にしたいと思ったら、どうやって仕事を見つけたらいいんだろう。
それが今でもわからない。わからないんだ。

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