脆弱性を守れるか

まったくなんともならないこと、簡単には行かないこと、というのはあるものだ。

たとえばハラスメント系の問題。
一般的な職場としてよくある対処方法としては、所属替えをして当事者たちを引き離すとか、仕事を外す、などだと思うが、大学だとその難易度が一気に上がる。
科目はその教員本人とその教員を含めた人員ありきで組まれているので、人を外してもその人を置く先がないし、外した穴を埋める人もいない。
代替教員でカバーしたり、急遽非常勤の先生をたのむとしても、学期途中でいきなり交代というのも目立ちすぎて特定されるリスクが跳ね上がり、当事者の不利益になる。
そもそもいきなり交代してすぐにできるような科目など一つもない。教科書も15回の授業運営も、科目担当教員の専権事項だし、なんというか、一事業を一人で回しているようなものなので、引継ぎができない限りはぶつっと途切れてしまう。そうなると、学生との契約(シラバス)による科目の学修目標の達成を保証できなくなり、適正な評価も難しくなる。もうそうしたら科目として崩壊する。
教員には余力なんてどこにもないので、問題起こした教員の尻拭いの負担をなぜ忙しい他のまっとうな教員がかぶらなければならないのか、というふうに周りの理解が得られないこともある。これも結構重たい問題。その先生にも授業やゼミ・研究室や大学運営や研究などの換えのきかない仕事があるわけで、その負担を減らせるかというと、なかなか難しい。ただ忙しくなるだけで、その先生にはなんのメリットもない。それでは協力を得にくいのは道理だ。

それから、どうにも大変なのが、先生の精神疾患が疑われる場合。これも実際のところ、まぁまぁよくあることなのだが、この場合も非常に対処が難しい。
精神疾患は、仕方がないことだと思う。誰でもなりうるし、仕方がないことなんだけれど、身体の病気と違って、疑わしい場合やそうなったときにまたすぐ仕事から外して療養してもらって、というのが簡単にはいかない。理由は上に同じ。それから、本人に病識がなかったり、あっても責任感から科目を全うしようとしてしまったり、時間がなかったりで、病院に行ってもらえない。そうしている間にどんどん状況が悪化する。


そういう意味で、大学の教育というのは、かなり危ういものの上に成り立っている。全員、心身が健康で科目を必ずまっとうできる、ということを前提にしている。そんなことはありえないのに、それを補完する仕組みを持っていない。ほとんどの科目は孤立している。リスクマネジメント的には恐ろしいほど脆弱だ。

人の交代が容易でない分、とにかく早期発見や未然に防ぐことが必要になるので、そのことをなんとなく感じ取っている職員らは、努めて教員に声をかけるようにしている。
そういうところで、少しでも補完しようと心掛けている。いつもを知っておいて、いつもと違うときにすぐにわかるように。少しでも学生を守れるように。少しでも先生のこころを支えられるように。

おはようございます、先生、最近どうですか。
先生、お疲れですね。
先生、この間のこの書類、ここ、こういう風に修正しますね。

などなど、なるべく、会って、様子を観察しながら仕事の話や雑談をする。
見てますよ、というメッセージを、常に発するようにする。
先生のメンタルヘルスを守り、また、ハラスメントを防止するため。

まぁ、早期に発見できても何かが起こらない限り何も手出しできない、ということもあるので、それはそれで苦しいのだけど、それでもやっぱり早期発見や未然防止が大事だと思う。

オンラインによる仕事が前提だと、この、脆弱性に対する観察と会話による事務局補完というのがほとんどできなくなる。
事務効率ばっかり考えがちだけど、これって意外と大きい問題じゃないかなと思っている。

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