かたくていたい

もういい加減首肩が限界で、平日だが外のお風呂に入りに行くことにした。
お湯にいろいろ溶かす。首のコリも、過去との対話も、仕事のことも。

仕事では、混乱に乗じて起こる様々なイレギュラーをどう扱うのか問題が、目下かなりの難問。いままで考えなくても良かったこと、無視しても許されたこと、当然としてきたことが、今はかんたんにひっくり返る。世間のバッシングがこわくて、至極真っ当な話を口にするのだって及び腰だったり。制度に仕立てようとしても、そもそも場合分けが多すぎて枠組みとして成り立たない。

配慮って何だと思う。いや、前も思ったな、これ。と思ったらちょうど一年前くらいに書いていた(配慮の反対は制度)。
我々はいつも制度と配慮の間で揺れている。宿命だ。

柔軟とルーズと逸脱と。またその線引きと。ことばの難しさと。集団の言うことの聞かなさと。ルールと公平と原則と特例と。組織と個人と。残念ですが、と、やむをえないですね、と。ぐるぐる目眩がする。

膠着して、かたくて、痛くて、すべてはこの肩と首と同化している。
いやもうなんか全部肩や首が痛いせいである気がしてきた。
全部いったんほぐして溶かして流そう。そして空っぽにして眠ることにするんだ。

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