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限り無い攣を束ねて 〈ep1-3〉

   Ep1-3


 少年ガラテアは窓から降り頻る雨を眺めていた。雨は飛散する硝子の様に緊張して落ち、木々の枝葉、花や荒廃した建物、焦げ臭いアスファルトの上で緩和して溶けて行く。青く染められた狂気が紫色の病へと読み下され、滑り落ち掌から溢れるマグマは誰一人許さない憤怒だ。彼は怜悧な瞳で一粒を味わうが、丸で飲み始めたコーヒーの薫りに甘味を覚えたかの様に驚きは綻び消滅して行く。長い睫毛は独立した生き物の様に羽ばたき舞って、沈痛な花粉を跳ね返し、耳は地雷が秘められた気配をうっとりと聞いている。《私は訳が判らない、話の割れ目が曲がらない。素敵なアドバイスを有難う、でも、どうすれば事態が悪化するか、それしか判らないから、この燃え盛る橋を私は渡る。君は必死で止めるだろう、意味は湿地で溶けるんだ。そうやって、丁寧に自ら病を育てたら、吊り下がる木の枝で君を道連れるよ》クラスメイトは笑っているが不幸そうだ、だが、何を幸福と云えるのだろう?幸福とは舌の上を滑る氷程にしか味わう事が出来ないと云うのに。少女達がチラチラと彼の事を見詰め、頬を染めている。乙女は宿命に恋をするのだろうか。少年はそれを言葉として理解出来ないが、纏わり付く黄色い声は異世界を含むと知っていた。
 《憧れとして作られた少年は今にも死に至りそうな神聖な青さを宿し、手足は日に日に伸びて、黄昏の様に肌は発光している。だが、あらゆる産毛が最も美しい瞬間を君以外知る事が無い》ああ、あの少年も美しさを忘れるのだろうか、僕にしか知られずに、あらゆる罪を帯びた清らかさの中で、怯えながら。
 少年は授業をさぼってタバコを吸いに行こうか悩んでいる。別にタバコが吸いたい訳では無いが、現在の思考から逃げたいのだ。聖なる悪霊がクラスを闊歩していて、誰かを悲しませている。彼は静かに席を立った。
 「ガラテア、一人でタバコか?」後ろから一人の悪友が尋ねた。
 「一緒に来るかい?」ガラテアは尋ねた。
 「いや、やめておくよ」
 少年は足音も無く歩き、休み時間のクラスから出て学校を後にした。目前に在るのは廃墟の街だ。雨に打たれる廃墟は所々植物の芽吹きがあり、雑草は微かに薫っている。
 幾つもの戦争が彼を悩ませた、差別と貧しさ、女子供が受ける暴力、だが、彼には何も出来ず、己の無力さは明らかだ。彼はタバコに火を付けて、それを吸い込んだ。何の味わいも無い。
 僕は作られ破壊される砂の人形だ。神々は作られては消滅する不在そのものだ。焼け野原を作る為に豊かにさせられた畑が、今、欲望の炎で焼き払われる。その熱を青春と呼ぶ大人達に、間も無く僕も参加する。どちらにせよ忘れる苦しみなら、最初から見えなければよかったのに。僕と云う幻想は限り無く美しい瞬間に排泄される一時の慰めに過ぎない。詩の神は花々だ。丸で乙女の様に可憐に咲き、摘まれて腐敗し捨てられる。その花の摘み手に、僕がなった時、不在の神は存在させられない様に殺され、再び種を吐くだろう。この金枝篇の様な呪いが息衝く雨は、春に現れる残酷さだ。
 彼が少し歩いて行くと、白い肌の女が裸で寝転がっていた。
   ×
 四月の雨が田園都市に降り注ぎ、微かに春の歩みを留めているが、生暖かい昼間の蔭には致命的な芽吹きが訪れている。ベランダに咲いたヒヤシンスとオキシペタルムの花に水滴が溜まっているのを見て女はタバコに火を付けた。
 女性的ピグマリオンと云うものが在るとしたら、それはBLの様になるのではないか、成山日葵(なるやまひまり)は思った。何処迄も俯瞰的で、介在する者に介入しない、その様な性愛だ。一方、それは介自的鏡像として自らの内に感染し、痙攣する。鏡は最初のアニムスだ。だとしたら、私の自慰像は何処にあるのだろう?思えば私は誰にも愛されず、誰も愛さずに生きて来た。夫すら息子すら愛の対象ではない。夫はストリップの観客に過ぎない。それは閉じられた演劇の様なものだ。《憐れな私のピグマリオン、あなたの魂は衰弱しているのです。想像の彼岸の内にすら自らの絶頂をしらないあなたは、生きる事に対する主となった事が無いのです》私は人形の様なものだ、両親が求める娘を演じ、男性が求めるタレントを演じ、夫が求める女を演じて来た。模倣の対象は幾らでもある。丸で、凡てにモデルケースと属性がある様に、人格のタイプだけを、私は通り一辺倒に演じていたのだ。私は客を求め、客は私に女優を求めて来た。《そう、そうすれば少なくとも視線は得られます。ですが、誰かが主体的にあなたに触れると云う実感があなたにはありません、あなたが気を引くから仕方なく構ってくれるだけなのです。ですが、それを知っていてどうして心から喜べるでしょう?》ねえ、アニムス、或いはアニマ、本当の快楽って凄いものなの?それさえあれば自由で、寂しさを感じなくなると云うの?愛を得られるの?《その様なものはこの世に無いかも知れません、ですが、捜さなくなった時、永遠は失われます》快楽を知らなければ思い出す事も無い、と云った人も居た。でも、私の中の擦り切れそうな思い出は云っている。《この狂気が消えて無くなる前に産んで下さい》疚しく、はしたなく、卑しく、浅ましい獣達が果てし無く、赤く高く自我を忘れて唄う様子が、羨ましい。《あれは演技です、だが演技ではない絶頂があるのなら、あなたはガラテアを通してそれになり、ガラテアのガラテアを作る事が出来るでしょう。それは女神になれる鏡です》
 彼女は手紙を書きながら一瞬高揚し、我に返った。高価な万年筆で書かれた文は誰に宛てられたものでもない。
 万年筆何て、余分な物に御金を掛ける私は無能で高慢だ。食器も家も家具も何もかも分不相応だ。でも、これだけ美しい品を愛さなかったら、私はとっくに枯れていただろう。私のガラテアはプリプリのスペルマを吐く、それを受け止める口があっても器が震えないなら、何処に女神は映れば良いのか。《利他的になろう、欲望など忘れよう、夫の為に子を作り子の為に親を演じ、親の為に娘を演じ、社会とそれが続く為に消費される燃料になろう、と誰かが謡います。間も無く、あなたは聞こえる声になり、自分が馬鹿で無知だった事すら忘れ、唯の詐欺師になります》
 あなたは女の子だからピンク、と母は云った。私はそれを喜んだ振りをして受け取って、喜んだ私を見た母は喜んだ。私は沢山のガラテアを作った。ピンク色の人形や、少年の姿の人物、彼の肛門を責める男の子と、二人を許さない世界とか、許されないものを望み、許さない事を強く憎んだ。世界がぱっと明るくなると、体の底から怒りが爆発して来た。ああ、涙は止まらない。《あなたのガラテアはオイディプスになれるでしょうか?》ああ、それは許されない、日葵思った。
 そして、チャイムが鳴り、彼女は立ち上がった。彼女の青いインクは何も残さなかった。

 成山日葵は緩やかなフォルムをした品の良いワンピース姿で出て来た。目立ちはしないが上品で、堅苦しく無いが来客を迎えるのに向いている。日葵は一見して美人であった。型どおりに美しく大きい目、小さい頭、華奢な肩回りの割に大きい胸である。目は何処か眠そうで、おっとりとしている。
 「こんにちは、西城です」戀は云った。
 「成山です。お待ちしていました」
 日葵は戀を玄関から招き、リビングへと通した。外から見るより家の室内は広く、機能的で作りがしっかりしていた。彼女は戀をテーブルへと招いた。
 この人がトップで輝き続けられなかったのも判る。美しいが無個性なのだ、戀は思った。何か卓越したものや、鋭い意志が欠けている、いや、自我そのものが欠けている心象を受ける。丸で、自分とは他人と他人の隙間であるかのように、其処にはオリジナルの感情が欠けている。だが、目は潤んでいて、頬はやや染まっている。其処には高揚感の様なものがある。
 画面の中で裸だった人が今目の前に着衣で居る、日葵は思った。この小柄な体の何処にあれだけのエネルギーがあるのだろう、どうすればあんなにエロティックな事を思い付き、実行出来るのか。事実を知っていてもギャップが強烈だ。淑やかで知的な瞳が如何にして貪欲な獣になるのか、《今そのクリトリスは近くにある》、それを思うと複雑な高揚を感じる。男が、セックスしたい、と云う光景を思い浮かべるのは簡単だ。でも、女が、セックスしたい、と云う場面は思い浮かばない。《あなたはきっとピグマリオンとして求める声を述べるでしょう》

 テーブルには冷え切ったコーヒーが注がれた源右衛門のティーカップがあり、上品な便箋のとなりにはモンブランのマイスターシュテュックが置かれている。部屋は豊かなフローリングのリビングで、キッチン側に在る食器棚にはバカラやマイセン、ロイヤルコペンハーゲンの食器が並んでいる。諸々の食器は使い込まれているが良く手入れされている様だ。然し、一方に在るTVとソファーのセットとは趣が異なる。どちらが分不相応なのか、問うまでも無い。二人が座っている大きな円状のテーブルには花瓶があり、春の小花をあしらった花束が飾られている。日葵は新しく注いだコーヒーをティファニーのカップに入れて戀の前に出した。
 「有難う御座います」戀は云った。
 「何と云うか、この様な話は話し出しづらいものですね」日葵は云った。「ご機嫌は?とかファンですとか、云いたいのですけれど」
 「私は構いませんよ。セックスの話でも、コーヒーの話でも」戀は微笑して云った。
 「あれは、何だか凄いものでした」日葵は息を飲んで云った。だが、その表情は作られたものと判る。芝居は下手なのだ。「先にお話した様に、私は性的な絶頂を迎えた事がありません。結婚して子供がいますが、何も感じないまま三十代になりました。夫とのセックスはもう十年以上ありません。若い私にはセックスの演技がとても疲れて、それが夫にも伝わったのでしょう。あれって、疲れませんか?」
 「感じる事が、ですか、感じる振りをする事が、ですか?」
 「どちらもです」
 「まあ、疲労は在るでしょうね。それは男女ともにあると思います。消費するカロリーもかなりのものでしょう」
 「そんなに、凄いものなのでしょうか?」
 「いいえ、人によりますが、ささっと終わるものも在ると思います。ただ、云わんとする事は理解出来ます」
 「夫は年上で、私は十代でした。恋も愛も知りませんでした、今も判りません。私は消耗品で、タイミングが合えば売り払われるものでした。結婚前に妊娠を知った時はほっとしました。私にとってセクシャリティは義務でした。でも、『ピラミッドセックス』のあなたは、エネルギッシュで、パワフルで、でも、即興的で、凄かったのです。他のAVとは何処か違います。何が違うのか、言葉に表現出来ないのですが」
 「だから、私ならあなたにオーガズムを教えられると思ったのですか?」戀は尋ねた。
 「はい、多分」
 「逆に訊きたいですね。そんなに不快な思いをしてまで女性を演じて得られたものは何ですか?」
 「この、家、部屋、人形の家でも庭はあります」日葵はわざとらしく苦笑して云った。
 何だろう、この芯を食わない感じは、戀は思った。「あなたが性的衝動を感じたもので、私のもの以外は何かありますか?」
 「いいえ、何も」日葵は掌を見せて云った。
 ああ、この嘘の為だったのか、戀は思った。本人が意識していないのだから嘘とは云えないだろう。だが、自覚があろうとなかろうと、本人には判ってしまう。
 「あなたは、隠し事をしていますね。後ろめたく、でも、やめられない、何かがある。でも、上手く云えない、違いますか?」
 「…はい」日葵は云った。其処に同情を求める表情は無かった。だが云う心算もなさそうだった。
 「凄いっておっしゃいましたね。『ピラミッドセックス』の何処が良かったか、もっと詳しく教えて下さい」
 「あの、モザイクのないものを初めてみました。あんなに大きいのも初めてです」
 「私のクリトリスの事ですか?」
 「ええ、美しかった」
 「いやらしくて目を逸らそうとするのに、美しいと思えたのですか?」
 「ええ、凄く恥ずかしくて、目を逸らしたいのに、何度も見てしまって、凄かったです」
 「ボキャブラリが乏しいですね」戀は微笑して云った。「不感症だと、御自身を思いますか?」
 「いいえ」
 「挿入する時、濡れないと云う事は?」
 「なかったです」
 「今は?」
 「…興奮していると思います」
 戀は背もたれに体を預け、前で手を組み考えた。「玩具を試した事は?」
 「ないです、はい」
 「つまり、何の努力もして来なかった、と云う事で宜しいですね?」
 「努力って、何だかおかしいのでは?」日葵は若干怒気を瞳に宿らせ云った。
 「どうしてですか?」
 「だって、自然の営みですよ」
 「何が、ですか?」
 「家族を作って、子孫を増やす事がです」
 「家族とは、自然なのですか?子孫を残す事は、生命の義務なのでしょうか?私はその様に考えません。血を絶やさぬ様に子孫を残せ、と云うのは社会の機能に不可欠な人口を維持する弁明に過ぎません。決してあなたと同一とは述べられない社会の自己保存欲求です。同時に、性欲の正当化でもあります。社会と云う群が作り出す機能、器官、概念として家族はあり、それは自明な幻想に過ぎません。絶滅した生物はどうみなされるのですか?自然の淘汰ですか?あなたはペンギンを御存知ですか?いえ、北極圏のペンギンです。正しくは〈オオウミガラス〉カモメの系統の鳥です。南半球のペンギンはミズナキドリの系統ですから解剖学的特徴は異なります。十九世紀中頃には絶滅したとされています。人間が絶滅させたのです。今、私達がペンギンと呼んでいる鳥は、別の科の鳥です。つまり、私が申し上げたいのは、自然とそうで無いものの区分と云うものがあなたの中で明瞭でないと云う事です」
 「明瞭には?」
 「区分が出来ない、と云うべきでしょう。便宜的な環境の違いが本質的な違いになる訳ではありません。子孫も、家族も、義務では無いのです。家父長制度の中では、人口は財産です。子供は労働力です。未来とは男性的な幻想で、誇らしげな墓場を立てるのは自己満足です。未来を作る責任など、現在に生きている人間の錯覚です」
 「では、何の為に子供がいるのですか」
 「あなたが欲したからでしょう」
 「私は、責任を果たしました」日葵は不当に責められる子供の様に云った。
 「でも、感じない。責任では満たされない、だから、私にオファーをしたのですね」
 日葵は沈黙した。
 「まあ、そう硬くならずに。責めている訳ではありません。自覚して欲しかったのです、自分を閉じ込めているものが何か」
 戀はリビングを見渡し、どの様に機材を置こうか考えた。TVの画面が此処で、テーブルは此処、なら椅子の位置は、彼女は考えた。そして、キャスターを開け幾つかの機材を出しながら話し始めた。「今日の下着はどんなのですか?」
 「え?」
 「今履いている下着です」戀は作業を始めながら云った。
 「薄いピンクの小さなリボンが付いている下着で、ブラも同じ色です」
 「どうして、そんなにいやらしい色なのですか?」
 「いえ、ただピンクが好きなのです」
 「赤い下着はないのですか?」
 「余り、好みではありません」
 「Tバックや、オープン・クロッチのショーツは?」
 「オープンとは?」
 「前が開いて、ヴァギナが見える仕組みの下着です」
 「持っていません」
 「いいですよ、今度履いてみて下さい」
 「それって、機能的にどうなんですか?何の為に?」日葵は眉をひそめ尋ねた。
 「女性が自分で楽しむ為です。男性は下着何て見ませんから。自分で履いて楽しんで洗濯機にポイです。上野千鶴子著の『スカートの下の劇場』と云う本を読まれた事がありますか?」
 「いいえ。私、あまり本は読まなくて」
 「うん。設置出来ました。ああ、今度読んでみて下さい。女性はヴァギナを強調する為に下着を履き始めたのです。ですから、それをアピールしてこその機能性だと判ると思いますよ」
 戀はキャスターからノート型パソコンとハンディカムカメラを出し、それを設置した。そして、暫く沈黙して作業をした。パソコンのケーブルをTVに接続し、TVの画面の前にカメラを設置した。そして、椅子を一つカメラから少し離れた所に置き、椅子のU字型のマットの様な物を椅子に置いた。そして、電動空気入れでそれに充分な空気を入れた。そして、戀は背もたれと逆方向に日葵を座らせた。椅子から離れられない様に手足を奇妙な、伸縮性のあるアクリル製のワイアーで縛りつけ、その手を手錠で固定した。手足は伸ばせるが上手く動けない。それらか吸引式のバイブレーターを日葵に手渡した。その間日葵は殆ど何も話さなかった。
 「これは何ですか?」
 「ウーマナイザーって知らないですか?クリトリス吸引式のバイブ」
 戀はスカートを捲らせ、日葵のピンクの下着をずらした。日葵は云われるままにクリトリスに触れ、画面に映し出された自分の顔を見た。
 「さあ、倫理を蹂躙しましょう」戀は云った。
 「このセットは?」
 「勿論、セルププレジャーセットです。クッションの反発力は結構あるので暴れると反動で食い込みます。御注意を。あなたは自分を写し出されながら自慰をするのです」
 そんな、恥ずかしい、日葵は思った。
 「恥ずかしい、だから気持ちいい。衣類は私が切り剥がして行きます。宜しいですよね。衣類も下着も、切断します。そしてあなたの肌に絵を描きます」
 日葵は喜びとも悲しみとも取れない顔で微笑した。
「アクリル用に水を頂きます。それと庭のブルースターを少し摘み取って来ます」
 「あの、どうやって始めれば良いのですか?」
 「スイッチを入れてクリに当てる」その様に云うと戀は庭へ出て行った。
 日葵はスカートを捲り、身に付けている下着に触れた。それは既に湿っていて冷たくなっている。バイブレーターのスイッチを入れたり止めたりしながら、画面に映し出された自分の顔を見た。
 複製され、分離した自分の影が、目の前に映っている。赤く染まった頬は既に激しい運動を終えた様であるが、一方で、期待して待ち草臥れている様にも見える。口の中に痺れがあり、手足は腫れぼったい。
 《さあ、ピグマリオン、あなたが好きな地獄を選びなさい。踏み外し転げ落ちる獣と、恐れを知らない狂気に溺れなさい。あなたはガラテアを作り祈りました。このガラテアを侵犯したいのです。最早、神経は張り巡らされ、脱がされる為の裸も満ちています。破裂する為の果実は甘さを極めています》でも、私が微かに保って来た尊厳は何処に行ってしまうのだろう?《人前でチヤホヤされても、夫に抱かれ孕まされ一児を生んでも絶頂を受けなかった体です、ああ、恥じらいを脱ぎ捨てない乙女よ。あなたが貯め込んだバケツは油で一杯です。後はこの影にぶちまけて火を付ければ良いのです》
 画面に映し出された影は表情も無くパンティを捲り、赤く腫れた性器を露出させた。そして、見せ付ける様にバイブのスイッチを入れてクリトリスを吸い上げた。
 《夜空はピンク、この肌の深紅を塗り重ねたインクを、
 阻めば渇く、甘く噎せ返る毒を拾い仰げ。
 騒げる血潮の致死量を、超えた日々から唄いたまえ、
 疲労と色が沸騰して死のうと。

 昨日よ、硫黄の薫りと向日葵の血溜まりが、水縹の体から夢精され、
 不貞な不知火と、至高の肖像が趣向を凝らせて捻じれ、
 千切れ、不敬な図形は淫らな神棚の濡れ髪に、
 垂れ下がり跳ね上がる、七色の破戒を切り刻みながら》
 少年ガラテアは裸の女を見付けて、不意の興奮を覚えるだろう。だが、影を通して慰めるこの奇妙な快楽に罪が無いと云えるだろうか?《だが、蜜を口にしたあなたは舌を尖らせる》

 戀は庭から帰ると日葵の後ろに立った。そして、最初の絶頂の瞬間をカメラで撮影した。日葵は、口を小さく開けて舌を少しだけ出していた。
 「これがあなたの絶頂の顔です」戀は云った。「さあ、続けて」その様に云うと鋏で彼女の衣類を切って行った。ワンピースの背後と袖のトーラスを解き、脱皮させる様に衣類は剥がされた。下着は両脇で切断され、するりと抜き取られた。丸裸にされた日葵の体は豊満で、肌は磨かれた白鍵の様に白く、長い手足は軟らかな肉を蓄え、乳房は重く豊かで、乳首は褐色が薄い甘そうなピンク色である。陰部は小さく、陰毛は薄く細長い。肛門の周りには微かに産毛があり、それ等は体液で肌に張り付いている。背中から肩に掛けて、薄っすらと産毛があり、それは外からの逆光で発光して見えるが、触れても殆ど確認できないものだろう。胸は微かに揺れ、その揺れは段々と大きくなっている。
 戀は筆に青い絵具を付けて、日葵の左腋の下に目玉の絵を描いて行った。それは左の乳首に向かい枝葉を伸ばし、緑色の葉を増やして行く。目玉が増える度に枝が増え、日葵は舌を伸ばした。そして、疲れて離れたバイブをどけると、戀は日葵の女性器に口紅で赤を加えた。黒い陰毛の上に載せられた赤はこの上なく淫らだ。
 そして、戀は奇妙なディルドを出した。青紫色で、固定用のバイブの様だがペニスの部分が小さい。それを日葵の股間に設置して、彼女の女性器にローションを塗ってそれを挿入した。
 「これは特殊な樹脂で出来たもので、ペニスの部分が膨張したり、振動したり出来るものです。方向も自在です。上下の動きは外部のモーターで動きます。ほら、スマホでコントロール出来ますよ。少し膨らませてみましょう」
 それは固くも無く、柔らかくも無い何かであった。
 「これは特注、と云うより私の友人が個人的に作った試作品です。二重に異なる樹脂が包んでいます。丸で、本物のペニスみたいでしょう?」
 日葵は、雄叫びの様な声で叫び。目の前の影は踊り出す。
 《蛙に這入る映える細工を、舞える蓄えにさすらい、
 咲く花よ、飽く迄悪魔的奈落を味わえ。
 恥じらい、辱めを吐く愛へ、迫害し、割愛し、
 博愛を舐め合い、巻き込まれるがいい。

 絶つがいい。月光は桜色に燃え滾り、
 濡れ衣で何が悪い?
 罰される快楽に、溺れられるラッカセイの淫夢で、
 騙すがいい、慣れ切った舐め方で語りながら》
 枝は伸びて花を咲かしている、肌は斑に赤くなり、美しさを保っていた顔から気高さが洗い流された。今や日葵の顔にも無数の目玉が描かれた。奇妙な模様は自己増殖していて、深海生物の様にも見える。

 日葵は椅子の背もたれに頭を着け、腰を上下に激しく痙攣させて、落ちていた。背を丸めたまま腰が砕け、尻を横に投げる様にして、足は腹に付いていた。しゃっくりの様な声が彼女の捻じれた体から出続けていて、それはむせ泣いているようにも見えた。戀が平手で日葵の尻を叩くと、鈍い反応が返って来る。
 「さて、画面を見て下さい。今、この映像はライブチャットで配信されています。見ている方がバイブレーターを動かす時間です」
 日葵は驚いて動揺をする。だが、暴れるとクッションの反動で快楽に呼び返されてしまう。
 そして、戀は先程切ったブルースターの白い樹液を日葵の足の指の間に塗った。右足からゆっくりと左足まで塗ると、日葵は次第に笑い声をあげ始めた。そして、両足をバタバタと動かし始めた。
 「痒い。痒い」日葵は云った。
 《さあ、踊って、踊って下さい。影と一緒に。日々、あなたが侵犯しているガラテアの射精に追い付きましょう。なんとふしだらで自由なピグマリオン。あなたが火を付け死を乞う肉体は、毎日こうやって燃え盛るのです》
 《目隠しで赤くして、辛くして締め上げて、
 生贄は冷え冷えと古の響きへ、
 いとも簡単に散開する淫乱な辛酸が、
 四散して支配をも弛緩させる。

 かくてわたくしは堕落した》
 
 気付くと奇妙に塗装された彼女はだらりと起き上がり、椅子の背もたれから画面を見た。
 嘘吐き、彼女は思った。《何が欺瞞だった?》私が必死で隠していたものは晒され辱められた私の影だった。それは私の背後に常に付いて来ていた。《搾取され、自己保存の材料に使われて、云いなりになっていた》誰の命令に?いや、其処には誰も居なかった。

 「これからどうなるのですか?」日葵は震えながら尋ねた。
 「さあ、御好きな人と快楽に溺れては」戀は云った。
 然し、日葵は恍惚と戀を見た。
 はて、責任を取るとかそういう奴か?いや、そうとは限らない、戀は思った。
 その時ふと、戀は思い付いた。戀は切り剥がした日葵の衣類を集めて、それを畳んでテーブルの上に載せた、そして、手錠の鍵をその上に載せた。自力では手が届かない位置である。
 「外して下さい。息子が帰って来るのです」
 戀は満足した顔で云った。「それはとても楽しみではないですか」
 日葵は驚きを見せた。然し、やがてそれは緩和した笑いになった。それは笑いであって笑いでは無かった、安心であって安心でなかった。緩みであって、歪みで在った。
 それを見た戀は思った。何だ、こんなに面白いこともあるのか、と。そして、日葵を置いて家から出て行った。

  PCや機材一式はそのままに戀は成山宅を出て傘を差し、歩き始めた。
 女性の快感が表層に現れたとして、其処に演技と実体の区別はない、然し、逸脱は明瞭に見える、彼女は思った。それは咲く花の様にある。或いは、人は鏡を通して、快楽を認識して、それに対して、見ないで、と云うのだろうか?だとしたら寂しい快感だ。然し、その様に薄ぼんやりとある影こそが文なのだろうか。文とは実態では無く影なのだろうか。実態を描こうとする書き手は影の無い幽霊の様に表象を追い続け、傷口の無い血液をかき集める。痛みは幻の様にあるが、花が咲く瞬間を見逃さずに捉える様に、液体は掌から零れ落ちて行く。この掴み難い表裏は、影しかない幻像の震え、或いは蜃気楼の類なのだろうか?
 彼女が歩いていると髪の毛の短い少年が一人、無表情に通り過ぎた。
 《神殺しの獣を再び檻に返すなんてもったいない、私は狂気を弄ぶ、その様なエロスの何処が悪い?》或いは、失われた神性としての素肌は未だに呪術に束縛されているのだ、戀は思った。

 ep2-1へ続く

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