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限り無い攣を束ねて〈4-1〉

   Ep4-1

 成山日葵は目覚めるとパジャマ姿で鏡の前に立った。そして、パジャマを脱ぎ、下着姿になった。それは一般的ブラとパンティのセットである。次に彼女はブラを外した。大きく張りのある胸は背中のホックを解くと弾力によって左右に分かれた。乳輪は大きく色合いはやや薄い。四肢は微かな振動に柔らかな肉体を震わせる。続いて彼女はパンティを脱いだ。豊かな陰毛が逆三角形にヘソの下に広がって、縦に割れた唇の様な性器が露出した。それ等は解かれると同時に縛されて緊張している。彼女は乱れた髪に櫛を通した。髪の乱れが素直になると、彼女は素肌の上から秋物の白いロングコートを着て、化粧台へと向かった。
 濃い眉毛の下に大きく二重の瞳があり、程よい高さの鼻と小さく無表情な唇がある。彼女はそれに時間を掛けて化粧して行った。一時間程して仕上がったそれは妙に濃くて顔と一致していない。瞳から涙が零れ落ちている。
 あと一時美しさを、後一瞬の美しさを。
《あなたは自分の顔を忘れたかの様な錯覚に襲われる》彼女は直ぐにメイク落としでそれ等を拭い去った。乱暴に拭われた顔には化粧が滲み悲愴に見える。彼女はタオルを持ち、洗面台へと行き、顔を洗った。そして、再びメイクを始めた。
 秋雨は寂しいオルゴールの様に滴り落ちる。
 雨が這う裸、私は鏡の中に閉じられる。グラスを打つ水滴の一個の一個らしさは何処へ行くのだろう?それは繭に閉じられて謎めいて、中央の蚕は何時の間にか消えている。
 たとえば一年前の自分の姿を思い出せるだろうか?自分で、普通の主婦、と云い張れた情景を。こんな風に空白が空けられた日常をどうやって泳いでいただろう?恋愛と云う甘く包まれたフィクションを外側のものとして感じて過ごせた日々を、内側に埋められた今それは具体的には思い出せない。そろそろ暖房をつけるべきだろうか、日葵は思った。語られる性体験は何処か離れている。それは語られるべき姿を持つ過程で何かを失って、私の原体験から離れている。
 夜、新宿西口の高層ビル群を歩くと、時々男と女の声が聞こえて来た。逢引の一時、その声には様々なものが含まれていた。きっと驚く様な体験はないかも知れない。でも、その声の一つになったとしたら、私はその体験を何度も思い出すだろう。そして、それはこの世の何処かで常に続けられている。けれどそれにオヒレハヒレを付けて物語にすると有り触れたアダルトコンテンツになる。
 いけない事に飛び込んでしまうと、〈言葉と精神の膜〉は塗り替えられて、他の場の言葉で語り出す。丸で、語るべき言葉を失ったかのように。
 《あなたは卑しい事をする。口紅を引きながら足の間に手を伸ばし、開いた足の間の唇が濡れているのを確かめる。あなたは口紅でそれを彩った。白いコートの内側に赤い跡が残ってしまう》
 鏡を見ると何時の間にか化粧は完成していて、それは輝かしい彼女を想起させた。液化する寸前のヴィーナスである。
 彼女は再び全身を写せる鏡の前に立った。
 鏡、承認〈recognition〉を認識し、鏡像を想起する私。鏡像を私ではないと感じられた私は消え去った。《鏡を認識すると云う事は承認なのか、最早あなたには判らない》承認は私の動作を縛り、私を私らしくさせてしまう。だが、猥褻さは承認だ。猥褻な私を私に巻き付けたら、私と云う繭の中は空っぽになるだろうか?コートは肉体を溶かしてくれるだろうか?
 日葵は荒れ果てた自宅から出て、安い透明のビニール傘を差して、雨の中を歩いて行った。
 電車に乗ると、彼女は自分の衣類がとても危うい事に気付いた。
 裾が引っ掛かり転んでしまったら私は裸を晒してしまう、彼女は思った。座って、裾が捲れたら、裸を感じられてしまう。然し、私は根源的には今も裸だ。この裸になり得ると云う私の認識と、私が裸であると云う他者の承認の差とは何だろう?少年ガラテアは顔を思い出した少女に恋を打ち明け、少女はそれを承認した。折り返された矢印には一方的な矢印とは異なる味わいを含んでいた。それ等を私は内側に感じた。この肌の内側に、燃え上がった少年の愛と、縊死した少女の美しさが潜んでいる。それはこの世と云う逆パノプティコンに突き出していて、反射を待っている、落ち返された矢印と視線は私の肌に突き刺さるだろう。私が投げかける裸と、それを見る視線との束に如何なる質の差があるだろう。私はその承認によって死ななければならない、視線の神に殺されなければならない。然し、最も残酷な事実とはそれ自体では死なない事だろう。
 彼女の裸を載せた電車は移動した。密集した住宅や街、人々の空間の隙間をガラスは高速でスライドして行き、それらすべてに彼女は晒されていた。同時に、何者もの彼女が裸であると疑ったりはしなかった。
 
 高校生の頃、ほんの一時、私は一人の恋人と付き合っていた、いや、恋人と云っても手も繋いだ事がなかった仲だ。正しくは男友達を云うべきだろうか、でも今は恋人と呼ぼう。何せ、私はその人に恋をしていたのだ。子役として働いていると周囲は妙な厳しさを持つ、私自身も異性とは距離を持っていた。仕事と学業と云う責任の中に身を置いて、私は自分の在処がわからなくなった。何かの為に働いているのにその何の正体がわからなかった。将来の為、自分のキャリアの為、うん、わかる。わかるけど、ちょっと待って、と私は思っていた。私は高校生になり、肉体的に完成されて来たと感じていた。そして、私は明らかに恋を求めていて、恋に恋する少女だったとして、その少女は私だったのだ。そして、それは相手を見付けてしまうものだった。
 彼は童顔の男の子だった。クラスで目立たない方だったけど何事もハキハキと云い、明るくムードを作れる人だった。誰かが云い争いになりそうになると、彼は不意に挨拶を云った。「よう」とか「どうしたの?」とか、別に雄弁で論が上手い訳でもなく、何か特別な才能を感じさせる子でも無い、でも、彼の周囲には丸さがあった。声が余り変声しなくって、瞳はぱっちりとしているが、ちょっと笑顔が可愛すぎる男らしくはなくて本人は気にしているけれど好感は持たれる。そんな人だ。
 或る日、私はデートに誘われた、最初で最後のデートだ。休みの日の彼はメガネをかけていた。パーカーにTシャツとジーンズ、高校生が手に入れられる内から品の良いものを選んだ感じだ。シャツは彼の小柄な体格には合っていなかった。
 「やあ」彼は微笑して云った。「今日は可愛らしいね」
 私は赤くなっていただろう。妙に気合が入った衣類を着ていた。ロングスカートにブラウス、その上に長めのカーデガンを着てボタンは上から下まで閉じていた。そして、私は下着を着ていなかった。
 渋谷で待ち合わせして、人混みにむせながら最初に行ったのが本屋だった。彼は読書家でもなかったが、読まなくはなかった。彼は何より好奇心が旺盛だ。「お勧めがあったら教えてよ」彼は云った。私は読んだばかりの伝記や、エッセイ、小説を勧めた。そして、二人で参考書を見て、進路の事をぼんやりと話した。
 「君は役者だから文系と云う事になる?」彼はぼんやりと云った。まだ、明確な進路何て思い浮かばない私は頭を傾げた。「僕も進むなら文系だと思うけど、将来の事を考えると手に職が欲しいよね。でも、役立つ資格とかわからない。自分が何に向くのかもわからない。僕はきっと何事にも向かないんだ。数学、理科、社会、英語どれも魅力はある。でも、僕は何が向くのだろう?」
 私達は専門書のコーナーに行った。其処には進学すれば学ぶかも知れないものが並べられていた。ぱっと見、難しいのはわかるけど何が書かれているのか想像も付かない。
 きっと彼なら好きな分野が見付かれば、と私は思ったが言葉にはならなかった。無知だったのだ。そして、私は役者と云う程技術を持っていなかった。ただ、少し見てくれが良いだけの女だと私は自分を知っていた。でも、役者と云う言葉で見られる事は胸を打った。其処には技術を磨く余地があるからだ。技術を身に付け人の役に立ち、認められれば私はきっと彼に恥じない女性になれると感じた。
 私達は文庫本を一冊買って店を出た。
 「読み終わったら交換しようよ」彼は恥ずかしそうに云い、私は頷いた。
 それから大きなCDショップに行った。彼は90年代の洋楽や60年代のものをよく知っていた。私は洋楽何て意識して聴いた事もなかった。彼が聞いた事も無い単語を煌びやかに云うと私はうっとりした。同時にこの世の広さを感じた。私達は試聴コーナーで様々な音楽を聴いた。
 彼はもしかしたら音楽に向く人だったのかも知れない。
 店を出てから、代々木公園に向かいながら色々な店に寄り、私達は目が回る程ものを見て、彼は様々な事を話した。
 私達は歩きっぱなしで疲れ、公園のベンチに座り、自販機でジュースを買って飲んだ。何も始まっていない青春の一時、然し、始まっていない素晴らしさがあった。何も決まっていない不安はあったが、其処には何でも描けた。自分が急に想像力豊かになった気がした。
 ペットボトルを仰ぐ彼の横顔は美しかった。美形と云う部類では無く、どちらかと云えば活発な猫を思わせる男の子だ。でも、生きいきとしている瞳を横から見ると、その球体は何やら神秘的に見えた。私は彼に触れたいと思っていた、彼に抱かれたいと思っていた。それは間違いなく恋で、疑う必要などなかった。彼もきっと私の事を嫌いではない筈だ。私はただ、あなたが好きです、と云えば良かったのだ。だけど、急に女の価値を思い出す。告白させたいと云う欲求が視界に膜の様なものを作った。
 多少わがままでも、格好悪くても、はしたなくても、私は愛を求めて良かった。でも、云えなかった。下着を着ない勇気はあっても、一言を告げる力が足りなかった。彼とはその日楽しく別れ、そして、私は夫と出会い、子を儲け学校を退学した。

 どうして今、それを思い出すのだろう?日葵は思った。私の何が狂っているのだろう?何処でこの世から飛ばされ、何処で生きる事を諦めたのだろう?ああ、私はあの日のデートを取り戻したかったのだろうか。
 彼女は電車の乗客の一人を見て思った、私はあの時あなたにアソコを触って欲しかった。彼女は別の乗客を見て思った、若く瑞々しい胸に触れて欲しかった。私の胸には炎の薔薇が芽吹いていて、その熱をあなたに注ぐ事出来たのだ。ほんの一行の詩があれば、それは叶う夢だった。だけど、無知な自分を責める事が出来るだろうか?私は差し出されたカードを捲る事しか出来なかったのだ。
 《然し、あなたは肉体を有していました。あなたは愛を表現する手段を一つだけ持っていたのです。気の利いた一言を述べるよりそれは優れていたでしょう》
 だけどそれは禁じられていた。禁じられていたのだ。ああ、私は一言すら求めていなかった。
   ×
 確かに其処に禁忌はあった。それを思いっきり踏み付けた。でも、私は爆散しなかったのだ。《地面に埋まっている〈近親相姦の禁〉をオソルオソル踏み抜くも、其処で認められるのは何時もと同じ異性です。あなたが抱いた家族は何処に居るのでしょう?あなたの幻想としての家族は?》
 溺死したピグマリオンはテントの中で蘇生した。白いテントの中には小さなベッドがあり、温かい毛布が彼女の裸を包んでいる。テントはコツコツと雨に打たれて雨粒はその白い幕を這って落ちて行く。彼女は自らの内で焼死した少年ガラテアを思い出す事が出来た。それは何とも云えない愛しさで、〈星のカケラ〉が味わいとして残っている。
 私と云う迷路は何時でも少年を呼び出せる。其処では私は影と肉体とが分離して肉体はアリアドネとなり、閉じ込めるイメージで絞殺さられる。一方で私の影は迷路を上空から見ていて、それ等を一つの快楽に感じる事が出来る。肉体に追い付いた影は落雷により二つに割かれ、今度は影が逃げ出してそれを肉体が追い駆けなければならない。
 テントの入り口から見えるのは深い森である。
 ピグマリオンは不意に少年ガラテアの事を思い出した。愛しい少年は廃墟から森へ這入り、散歩して裸の私を発見する。
 ピグマリオンは自らの乳房と女性器に触れた、胸は張っていて、性器は既に濡れている。《僕はあなたを舐めるのです。豊かな乳首を口に含み、それを舌で転がします。あなたが声を上げると、あなた固い小さな実に触れます。それを捲って舌で固さを確かめます。あなたはそれを広げて見せます。所で、あなたのフォルム、その四肢のすべては何と美しい事でしょう。僕は余りの美しさに何度も焼死します》
 ピグマリオンはその声を聞きながら自慰をした。指先で優しく触れて肌の上に少年の視線を感じると、テントは弾けて一斉に四散した。
 明るい、秋の小雨が降る樹海の中央で、白く彼女は達していた。彼女は白い布の上で舌を縺れさせて溺死して、再び蘇生した。
 《あなたは事象を認識し、認識した少年ガラテアを発見し、ガラテアに写されたエロスを思い出す。然し、その承認〈re認識〉と云う知覚を何処から作り上げ、何処で閉じ込めるのだろう?》
 小鳥が鳴き、葉が散って辺りに気配が生まれると、鳥の頭をした三つの乳房を持った男が彼女を見ていた。
   ×
 日葵はスクランブル交差点で信号が青になるのを待っている。人々は秋服と夏服で迷っている様だ。雨は傘を打ち、小さな舞踊の様に周囲を舞っていた。
 信号が青になると人々は一斉に歩み出した。四方から中央へ向けて、傘は恣意的なモザイクの様にアスファルトを埋めて行く。
 日葵は一瞬の躊躇いの後、其処へ歩み出した。  
 スクランブル交差点の中央に着くと、彼女は立ち止まって周囲を見た。後ろから歩いて来る人々は何やら迷惑そうに彼女を横目に見て過ぎ去った。彼女は傘を畳み、それを地面に投げて、羽織っているコートのボタンを外し、脱衣した。彼女は一糸纏わぬ姿で其処に立った。最後に、靴を脱ぐと彼女は呆然と雨に打たれた。
 或る男は裸の日葵を横目に歩んだ。或る男はスマートフォンから目を離さなかった。或る女性は日葵を見て小さく声を上げ、或る女性は何も云わず直進した。概ね、彼等は歩みを乱さず、衝突する事も無く横断歩道を渡り切り、信号が変わる頃には対岸に辿り着いていた。
 ぞじて、全裸の日葵は交差点の中央に残された。
 渡り切った殆どの人と、これから信号を待とうとする人が、日葵に視線を送った。或る者はスマートフォンを向け、或る者は何かを呟いた。車の中に居る人はそれを見て前に進めなくなっていた。用事を思い出し苛立つ者、目の前の光景に混乱する者、様々である。
 彼女は何かを叫んでいた。
 《今、あなたに如何なる快楽があるだろう?あなたの表現のどれ程を人は受け取り、どれほどを承認としてあなたに返しているのか?だが、此処に建てられたうちに閉じられた鏡の迷宮をあなた程に味わった人は居ないだろう。驚きこそが快楽だろうか?だが、あなたは知っている。あらゆる不意を突ける事が重要なのだと。縊死したアリアドネを、人々は発見する》

 今、私は猥褻だろうか?彼女は思った。猥褻であるに違いない。だが、雨が這う私の肌は悦びを詠っている。私が作り上げたあらゆる関係性が今、砕け散って雨になる。この雨粒一つ一つに私は映し出され、閉じられている。繰り返される孤独な日常も、積み上げられた世間話も、よそよそしい家族と隣人も、私が開かれると閉じて行く。私は閉じ込められてしまうだろう。病院へ行き作業所に行き、生産性の外側で閉じ込められるのだ。私が猥褻だからだろうか?いいや、私は〈言葉と精神の膜〉の外に出られる。引き裂かれたピグマリオンは迷宮を逆転している。私は屈服しない。

 さくみるよりあられ
 まるでちるよりかばへくる
 かくれちるよりはばかられ
 かるにみぶおいがいらいをきく

 さるにみゅぼりばばへ
 かじゅばるほおいなふぁれぶく
 あむれひるにもまたたかれ
 りゃむひるもりはいまいのヴィる

 割く蜜よりただれ
 悪魔で伸びるより赤へ生む
 策へ散るより逆様へ
 砂漠に溺れ徘徊へ死す

 その一瞬は奇妙に長かった。信号が変わる間の出来事である。
 その後、警官達が現れ、女は取り押さえられた。女は妙に脱力していて抵抗もせず、婦人警官がコートを手に取って彼女の体を包んだ。男性の警官が一時的に車の往来を止め、婦人警官が女を背負い、警官達は去って行った。交番に一時、女は居たが、間も無くパトカーが来て彼女は連れて行かれた。人々は其処で起こった奇妙な事を説明しようとした。
 或る者は酷くショックを受けた様子で被害を訴え、或る者は女性が倒れた事を事件として話した。ストリーキングの様なものと話す者も居れば、一種のコンテンポラリーアートだと話す者も居た。

   
 戀はスクランブル交差点でカメラを回している。ハンディカムカメラは小型で、脚立で固定されて、交差点の中央一点を録画している。彼女はそれが濡れない様に傘でかくまっていた。
 人々が渡り、一人の女が中央に留まる。女は人の流れが後半に差し掛かると、傘を置きコートを唐突に脱いだ。コートの下は全裸である。人々は彼女を凝視し、或いは気味悪そうに避け、信号を渡る歩行者は歩みを急いだ。そして、渡り切った人と次を待つ人が彼女を眺めた。
 《何行かの文字の列を渡り、あなたは自らのエロスを見詰める。四方に囲まれた点は視線の交錯状捻じれていて、其処へ向かって人々は突き進んで通り過ぎてしまう。秋の装いを纏った我等猫目の悪魔は秋雨を凝視している》
私と云う女性は《普通の女は其処までやらない》と云う風に語られる。女性の常識と云うものは言語化が困難だ。だが、何時から女性は下着を履き始め、何時から腋毛を剃り始め、何時から胸部を隠し、何時から様々な恥じらいを持つ様になったのか、私には疑問だ。それに対して、押しては計るべし、と云うのは如何にも不親切だ。
 女性の露出が狂気であるのは逆説的に自明だ。見せない事が価値で在り、其処に女性らしさと云う性的パーソナリティは巻き付いている。同時に、それは利用されて、何も解決しない状態が何も解決しないまま維持されて行く。腐敗や思考停止があっても回る限り回り、回せる限り回すのだろう。《あなたがあなたを語る時、或いは誰かがあなたを語る時、何等かの違和感がある、不快感がある、あなたと云う逸脱出来る意識はその文脈だけで話せる訳では無い》私達は現実と幻想の狭間に何時も大きな溝を持っている。だが、この様な語り方は面白みに欠ける。面白みに欠ける言論とはそれ自体が市民権を持たない。《承認が共有された認識であるならばエロティズムは承認された快楽なのか?》

 そう、まずは面白味が大切だ。世の中とは面白味によって流れている。娯楽性が民意の如く、私自身の代わりに決断し意思決定をして物事を進めて行く。他人に認められない娯楽性は存在しない。《如何に最小の娯楽性であっても其処にはそれを認めるべき他者が存在している》この娯楽性は、面白味で語られる限り存在意義を与えられる。エロティズムも同じくだ、つまり、男性の作ったエロティズムが流れる限り女性はそれに添う事になり、自らを決定する権利を失っている。私達は何かをメディア上に載せる必要があった。だが、多くの私達は面白味以外に語らうものを持たない。《或いは語らう事が出来ない不能さだ》逆に云えば娯楽による意思決定しか出来ない。そして、娯楽上の文脈で自らを語っている人気者以外の意見など存在しないかのようだ。娯楽性はそれをフォローする母数に裏付けられる限り成立し、それに面する事実を変更出来る。

 《交錯する視線上に鎮座するあなたは一瞬の気紛れで如何様にも逸脱出来る女神だ》《ですが、あなたと云う肖像に課せられたモザイクの表面積をあなたは蝕んでいます》エロティズムと民主主義と云うのは共通点があるのだ。
 アイコン化しなければ文脈上で意見を述べられず、承認もされない為、名も無きフォロワーは自らをディフォルメするように努める。其処には哲学や芸術性の一部が、外界としてある。アイコン化して行く人々の目には自ら以外の人々が認識されなくなって行き、故に、アイコンの外と内側と云うものが出来上がり、外側は何処までも面白みに欠け理解出来ず、批判的で、鼻持ちならない。そして、自分達が所詮は面白味の束に過ぎない事を時々思い出す。
 だが、現実とは何処までも面白みからは逸れて行く。人々は自らが属する像で現実を語りたいのであるが、現在も、現実も、アイコン的言語では語れないのだ。ポピュラリティとはその様な意味でも、現実と現在とを捉える事が出来ない手法である。そして、この外界としての現在と現実とはドーナッツの輪で閉じられた〈内側の穴〉となっている。《あなたらしさは女性らしさに吸い込まれるウロボロス》
 つまり、女性らしさとはアイコン化された女性像の文脈で語られる虚像の群であり、それに巻き込まれる限り、自己とは消耗される言語化以上になれない。
 私は女性的な姿で、云い回しで、素振りで、自らの性を語れない。其処から逸脱する何者かとして語るしかないのだ。
 如何にも、私は自分のヴァギナの写真を公に晒し、自分のセックスを他人に見せる。それらは女性らしくない。自らの性的な体験を誰かに語る事も禁忌だし、複数のパートナーを同時に持つ事も憚られる。
 そして、幾らステレオタイプから逸脱しても、逸脱したステレオタイプに過ぎない。
 だが、私が私と述べているのは結果ではない、逸脱出来る現在があり、それに接していると云う残酷でのっぴきならない現実を有している自由さだ。私の幻想はその様な意味で面白味が無いのだ。
 誰も私に代わり思考を代行してくれないし、都合の良い云い訳も与えてくれない。面倒事は付いて回り、コミュニケーションコストは上がって行く。そして、あなた方への云い訳の場面とは実に現実的に考えられる最悪のリスクの一つだろう。
 私は良く居る〈変わり者〉になり果て、ふとした瞬間、精神病院にぶち込まれても仕方が無い状況に居る。だからこそ、母数に依らない恋を持っている。その意味で、常に女性的だ。

 私達は認識している、そして、他者と認識を共有している、其処には承認がある。だが、承認とは認識と同じものでは無い。必ず他者が介在し、折り曲げられて織り込まれている。
 私の美しさには介在する他者が関係している。この関係する他者無くして私の美しさの承認は有り得ない。だから、私は自らをアイコン化する事を拒絶する。この逸脱が如何なる尺度上のものであれ、逸脱であるのなら、其処に承認はあり、私の介自的鏡像は成立する。同時に、如何にも不格好な自慰行為だと認めよう。それは逆パノプティコンを建設する労力の疲れだ。
 ああ、私はただエロティックなだけの女である筈だった。然し、私は自らのエロティズムが故に逸脱し、それは結局、モザイクの内側に閉じ込められるだけの虚しさだったのだろうか?自由競争で生き残った詩はどうして私の性感帯に触れないのだろう?
 警官達に連れ去られる女を見ながら西城戀は「時よ止まれ、ああ、あなたは如何にも美しい」と云った。

Ep4-2へ続く

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