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限り無い攣を束ねて〈Ep3-4〉

   Ep3-4

 少年ガラテアの夜は長い、特に太陽が沈まない夜は。様々な人が、不穏な爆弾を降らせて、地雷を埋めて行くからだ。それは紙飛行機に乗って運ばれて街を辺獄に変えて行く。今日も一人の少年ガラテアが地雷を踏んで粉々に砕け散った。だが、彼を憐れむ人はいない。少年達は関係性に過ぎないのだ。
 きっと、彼も地雷を踏んで散ると云う関係性に過ぎなかったのだろう、少年ガラテアは思った。
 彼はタバコを吸いながら本を読み、〈星のカケラ〉を口にしながら夜が過ぎるのを待った。
 誰かが家出をするかも知れない。その時に〈星のカケラ〉が残っているだろうか?彼は思った。この世は迷宮だ。僕は此処から抜け出さなくてはならない。《だが、君はどうして此処から抜け出さなくてはならないのか理解は出来ない》
 少年ガラテアは朝になると、それが朝なのかどうか確かめずに顔を思い出した少女の元へ向かった。少女は図書館裏に広がる冷たいコーヒーの湖で白いニゲラを束ねて花束を組んでいた。
 「僕は此処から抜け出さなくてはならない」少年ガラテアは云った。
 「抜け出すって何処に?」
 「原子力発電所のない現実、目覚めの世界に」
 「恐くなったの?生贄としての自分が」
 「判らない」
 少女はそんな彼を逆パノプティコンに閉じ込めようと決意した。此処から出る為には目覚めねばならない、だが、目覚めは死であり眠りでもある。
 「なら、私の顔を奪って」顔を思い出した少女は云った。
 少女は少年の手を取って森へ向かった。森は沢山の魂が蒸発していて、魂が大声で泣き叫んでいた。道端に大百合が咲いていて、それは甘く睡眠薬の様な薫りを放っていた。
 ピグマリオンは少年ガラテアを捜して紙飛行機を飛ばしている。彼女は目を開きながら眠っている。蜃気楼のカモメは彼女を載せた籠を空中に飛ばして、太陽に溶けて、回転していた。
 その建物は森に在った。巨大な円柱状で、外側は窓に囲まれている。二人が中に入るとその外面は全てマジックミラーで出来ていて内部から外部は見えない様になっていた。外側は監獄の個室になっていて、中央には円状のステージが見える。中央の天井は吹き抜けになっていて上空には青が広がっていた。反射によって四方へ光が届く仕組みである。ステージ上には外壁と同じくマジックミラーが一枚置かれていて、両極には各々ソファーが置かれている。顔を思い出した少女は鏡側に歩み、少年ガラテアはガラス側に座った。ソファーの周りにも鏡が置かれている為対岸の様子は伺えるが、少女の側からは直接見る事が出来ない。
 「此処で君の顔を奪うの?」少年ガラテアは尋ねた。ガラスの向こうには少女が見え、四方の鏡にも彼女は写っている。
 「そう、此処で私の顔をあなたに奪わせるの」彼女は云った。彼女は彼女の鏡像に向かって云った。「あなたはそのソファーから離れても良いけれど此方側には来られない。私は此方側から直接そちらを見られない。同意の上の覗きだけれど、同時に私達二人は外側から覗かれている。外側に誰が居るのかはわからない。あなたの覗きは外側から覗かれている」
 「外にはきっとピグマリオンがいるよ」
 「そう、あなたの女神がいる。あなたの創造主がこれを望んでいる」
 「君の顔を奪うと、君の顔はどうなるのだろう?」少年ガラテアは尋ねた。
 「一時的に失顔する。私の顔は見えなくなり、忘れられてしまうの」
 「せっかく思い出したのに、忘れても良いの?」
 「忘れる為の美しさであり、思い出す為の美しさだから良いの。ねえ、見上げてみて、此処は巨大な管みたいでしょう」
 「地面は貫通していないけどね」
 「下から覗けたら面白いでしょうね。でも、まずは上が空いている事が大事」
 「丸で、空を拡張しているようだ」
 「そうね」
 美しく並べられた鏡が沈めない太陽を写している。太陽はその円の中で輪を描いて巡っている様にも見える。
 「大袈裟な仕掛けだね」少年ガラテアは云った。
 「大袈裟だけど、或る意味最低限の仕掛け」顔を思い出した少女は云った。「だってほら、こうやってスカートを捲る時あなたの視線が無い」少女はワンピースの裾を上げて行った。真直ぐ伸びている足は白く、汗ばんでいて着衣と同じ真白い下着は汗と体液で染みが出来ている。
   ×
 日葵は唐突に夏彦にメールを送り、デートに誘い、断られた。
 気持ちはわかるけど、日葵は思った、でも今日は一人になりたくなかった。私は彼を都合の良い男にしようとした。
 夏の日の終わりは絶望している。百日紅の赤い泡沫は肌を衰退させ、舌の上には吐き気がする甘さが残り、それは死でも悲しみでも憐みでも無く、センチメンタルでも無い、怒りだ。あらん限りの気力を尖らせた欲望の声だ。でも、余白は失われた。
 帰宅した日葵は荒れ果てた庭を眺めた。あれ程に手入れをしていたものが雑草で溢れ、重たい倦怠感を覚えさせる。息子に夕食を作ったが、帰宅は遅く成る様だ。《連絡はない》彼女は冷めつつある食事を温めずに食べた。
 食事を終えると日葵は寝室へ行き、下着を着替えた。白い下着を脱ぎ捨てモザイク状の下着を着た。鏡に体を写す、大きな乳房の肌の色は透けて、乳首は浮いている。丸でステンドグラスの様に鋭利な柄だが、全体では寒色だ。パンティはオープン・クロッチで襞の間から陰毛が零れている。彼女はその体を思う存分味わいたいと思った。そして、ヴェールのネグリジェで体を包み、波留磨の部屋に行った。
 私は何を求めたのだろう、日葵は思った。どうして男は私を抱き締めないのだろう。《だがあなたはその攣を求めている》何度燃やされ焼き払われても、私はもう一度焼き払われる事を求める。迷宮に男を閉じ込めて絞殺されるアリアドネになる。でも、炎も迷宮も監獄も、誰かの影を求めている。それは光輝く影だ。影の光は私を照らし、透ける肉体を舐めなければならない。鏡よ、私を美しくして、美しさを奪って。
 《あなたは男のベッドの上にうずくまり、自らを包んだ下着の上から指を這わせる》
 雨が降り出し、雨脚の音は彼女を閉じ込めた。
   ×
 彼女は右目に手を翳し、その掌を右の太腿へ押し付けた。すると、顔から右目は失われ、右の太腿に右目が移動した。顔の右側はモザイク状の空洞に変わった。
 何処かからオルガンの音色が聞こえ、少年ガラテアの耳を振動させる。
 「私の目を見て」少女は云った。彼女の右目は独立した意志を持つ魚類の様に待っている。その眼球は肌を這える様だ。
 「右目を見るの?左目を見るの?」
 「目を見てと云われて両目を見ないと云うのは如何なものかしら」彼女は左側を見て云った。
 鏡越しに少年ガラテアの目と彼女の左目が合う。
 顔を思い出した少女は下着を脱ぎそれを足に掛けたまま黒い繭の様な陰毛から赤く腫れた性器を開き、口から吐き出した糸を絡ませた。少女は嗚咽しながら顔を解体している。
 それを見ている少年ガラテアの肩甲骨か枝の様なものが伸び始め、それは周囲の鏡を突いた。彼は少しずつ背中を押されて、少女が座る側の面、マジックミラーに押し付けられた。気付くと股間からも枝が伸び始めそれはマジックミラーを押している。少年ガラテアは鏡に固定されていた。
 やがて、何処からか湧いた雲から雨が降り始めた。雨は少女の衣類を濡らし、衣類は透けて褐色の乳首が見えて来る。
 《さあ、好きなだけ私の顔を奪って》
 「駄目だ。体が固定されて動けない」
 《あなたの視線で私を奪って》
 ガラテアは彼女の陰部を凝視した。唇は蕾を咥え、実を大きくして、高揚し膨らんだそれは赤薔薇を一輪生んだ。ガラテアは喉の渇きを感じ、マジックミラーを伝う雨水をすすった。雲で翳った所為か、周囲の光は失われ、四方を写していた鏡が透けて周囲が見えて来る。ガラテアは枝先を震わせた。それは段々と管になり、背中と股間の枝はガラスを突き破り、その先から魚を吐き出した。
 《泡になる体から魚が出る、
 もっと雨を飲みなさい、そして、裸を生みなさい》
 彼女は糸を吐きながら赤薔薇を次々生み出した。糸は四方に蜘蛛の巣を張り、彼女は空中に吊り上げられて行く。産み落とされた薔薇は魚と出会い炎になり、それは水の上で小さく揺れた。
 「もっと浮いて、もっとつって」少年ガラテアは云った。
 少女は宙吊りになって、糸が首に絡まり縊死していた。彼女の顔は失われモザイク状になり、彼女の目や鼻や口は、水溜まりに浮いている有象無象の中である。
 少年ガラテアの脊髄は枯葉を散らして、四散した。
 彼は見られていた。外側と内側から。
   ×
 セックスに失敗するのは何年ぶりだろう、戀は思った。相手在っての交わりだと確かに忘れがちだった。どれだけ美しい女でもそれを目の前で感じたら無力感を抱くだろう。《君は美しい筈だった。そして美しい隙だった》性は運動である前に情熱であった、それは内なる吹雪の様に視界をくらませる冷たさだった。だが、荒々しさは唐突に晴れる。男が高まる対象だと自分を思い込んでいると虚しさは体に堪える。同時に判り切っていた事だった。私は凡ての男の心に刺さっている自慰像ではないのだ。空中で縊死している女が私でない事など本来何時もの事だ。でも、〈言葉と精神の膜〉から一人の人間を連れ出せない焦りは奇妙な味わいだ。
 麗はタクシーから夜景を見て黙り込んでいる。隣にいる縹の方が年上に見える程だ。
 男は一人と決めるより複数居た方が良いと思うのはこう云う時だ。私を抱く男は他にいる。だが愛されたいと感じる体は狂気だ、それは奇跡を外部に望んでいるものなのだから。負けず嫌い甘過ぎる次第、自信も威信も塞がれる。愛は永遠では無く一瞬だ。その一瞬をかき集める自分は如何にも滑稽な凹凸だ。この受動的な感傷の衝突に冷笑を蓄えて砕かれた、それでも無意識に自分を美しく傾ける自分を突き放し切って見られない。
 「戀さん、どうかしたの?」
 戀は縹を見て、何と云うべきか迷った。
 云わずにいれば言葉にならずに秘められる事だ。云わなければ思い出す事も無く忘れられる事だ。でも、焦燥と共に愛おしい気持ちもある。ならば口に出してみよう。それが新たなるヴィジョンに結び付くかも知れない。
 「波留磨君とセックス出来なかったのです」
 「どうして?痛かったとか?」
 「いいえ、彼が射精出来なくて」
 「そんな事あるものなの」縹は少し驚いて云った。
 「ええ、意外によくあるものです」
 「体調の問題?」
 「体調もあるでしょうが、相性もあるでしょう。何より集中力が向く対象、性的な興奮を覚える対象は限られて行くものです。セックスは単調な運動ではありません、言葉と精神の障壁を互いが越えて行く行いです。女は鏡の様な膜に閉じられています、それは俯瞰でみると気泡の様に見えるでしょう。男は膜の外に居て、介入して行きます。それが愛情であるなら介入を承認と見る事も可能です。でも、女が承認され男を承認してもやはり膜の外側同士です。女は代用可能なイメージとして男の自慰像になれますが、それは時として致命的な誤差に見えます」
 「僕には上手く思い付かない」
 「それは私を愛していると云う事です」
 「自惚れだよ」縹は笑って云った。「僕だって何時か恋人を見付けて戀さんから離れて行く」
 「真糸さん?」
 「彼女は判らない」
 「やらせてくれなくても愛おしいでしょう」
 どうだろう、縹は思った。彼女とやる事は無いかも知れない、でも、彼女をとても愛しく感じる。彼女と色々と話したい気がする。僕はきっと色々と知らないのだ。
   ×
 「あなた達は何時も曖昧なエロスを僕に求める」中央に固定されている少年ガラテアは云った。
 辺りは燃えている、少女と少年が放った炎は街に放たれ、人々が焼き払われ阿鼻叫喚が蝉の鳴き声の様に聞こえる。炎は少年の枝を焼き払い自由にした。
 女神ピグマリオンは炎の揺らめきから姿を出した。逆パノプティコンは既に雨水で氾濫していて、割れた硝子は炎を孕んでいる。
 「でも、事実への切実さに対して、あらゆるメディアは余りにもぬるい」ピグマリオンは云った。「余りは甘い忘却で、結果が判っている選挙の様に達観している。セクシャリティは火の海だ。隠しても露出しても私のヴァギナは燃えるマグマの様に猛る稲妻だ。思い出に狂わされる悔しさだ。納得出来ずに老いて行く虚しさだけを抱いて平然と流れろと云えるだろうか?」
 「だから、あなたは僕を殺す。僕は殺される為の余白だ。殺され犯されたものとして生きるあなたが、道連れにする為に僕は生まれた。僕は死に、あなたは蘇り、僕を作り、再び殺すだろう。その様な緊張をあなたは求めている。あなたが忘れられる様に、僕も忘れられるだろう」
 気付くと雨が炎と混ざり合い異臭が漂い始めた。
 少年ガラテアは痩せ細り、逆パノプティコンの中央で〈星のカケラ〉を口にした。ピグマリオンは〈星のカケラ〉を止める様に云いたいがそれは諦めた。縊死した顔を思い出した少女は裸のまま空中に浮いている。この憐れな少年から〈星のカケラ〉を取り上げたら何も無いとピグマリオンは思った。
 「僕はピノキオじゃない。頑張っても人間にはなれない」少年ガラテアは云った。
 「でも、私は人を作りたかった」彼女は云った。
 「僕は神殺しの道具なんだ。人間が人間である為には神殺しをしなければならない。僕が人になるにはあなたと交わらなければならない、或いは、あなたを犯さなければならない。神が存在しない為に存在しない神を殺す、即ち、主を犯す為に僕等ガラテアはある。だけどどうして僕が殺さなくてはならないのか、僕が侵さなくてはならないのか?」
 雨が明けると其処には久し振りの夜空が広がっていた。夜空には紙飛行機が飛び交い始め、空襲が始まった。四方でサイレンがなり、人々はシェルターに走っている。そして、雨は再び降り始めた。
 この憐れな少年を生かしたい、ピグマリオンは思った。生きる事は絶え間ない拷問ではないと知らしてやりたい。でも、禁忌を作り、人を疎外する事で成立している社会を私は知っている。狂気を閉じ込める事で正気が成立している。少年は私達の生贄なのだ。彼を生かしてしまったらどうなるのだろう?彼に主を犯させ、殺させたらどうなるだろう?きっと私はガラテアを失う事でこの世との関係性を諦める事が出来る。《あなたは社会の人口を維持する出産器官に過ぎない、女は子を産むマシーンである、とあなたは認めつつあります》違う、と云えるだろうか、彼女は思った。だが、この怒りは何だろう?彼の怒りだろうか?いいや、これは私の怒りだ。
 存在しない神としてのエロスを今、存在させない為に殺そう。私の肌と云う官能をあらゆる視線から隠蔽しながら、私の裸を晒してしまおう。
  ×
 波留磨は成城学園に着くと、何時もの様に帰宅した。雨は湿気を増して汗が止まらない。不快感は増すばかりだ。
 炎は僕の内に在るのに、それはどうしても出て行かない。誰かを抱くと誰かの事を思い出す。見渡す限りの焼け野原だ。或いは正直に云えば変わるのだろうか?経験は原体験を凌駕出来るのか?言葉にする前にこの恐怖は拭い切れない。

 「君が射精出来なくても別に問題はない」或る日真糸は云った。「自慰とか手でいけるならまずはそれでいい。ゴムを装着して入れると萎えるなんて、気にしないでいいの」
 「違う」波留磨は云った。
 「何が違うのかしら。恋なんてそんなものだよ。きっと」

 彼女に日葵さんの事を話せば解決するのだろうか?コミュニケーションは扉を開けるのだろうか?きっと、もう駄目だと思ったら、自分の無口さに慣れる事が出来るだろう。
 波留磨が帰宅すると家の電気は殆ど消えていた。彼は玄関の電気を点け自室へユタユタと這入った。部屋の電気を点けるとベッドに日葵が寝ていた。床には無数の夏の花が撒かれている。
 彼女はモザイク状の下着の上からヴェールを纏っている。乳首が透けて見えて、パンティは割れ目があり其処から陰毛が零れて見える。それは肉体と云う宮殿の様で、装飾に満ちながら露出していた。それは少年の肉親をやめていた。荒れ果てた家と狂った女、父の不在、〈言葉と精神の膜〉は透明になっている。彼女は打ち上げられた魚の様である。
 「何しているの」波留磨は尋ねた。
 「何も」日葵は云った。
 「一人になりたいのだけど」
 「一人にはさせない。一人ではやらせない」彼女は云った。「デートどうだった?」
 「何時も通り」
 「射精出来ないの?」
 「うん」
 波留磨は戀との事を思った。ゴムを装着して挿入までは出来たが、続ける事が出来なかった。それを如何に伝えられるだろう?
 波留磨は植物を踏み、ベッドに座った。
 《植物の薫りと夏の気配、彼はまだ幼く、陰毛も生えていない。波留磨は一人、シャワーを浴びていた。其処に、水着姿の日葵が現われた。彼女は無言である。波留磨は余り喋らない日葵が恐かった。彼女は彼の小さい背中を洗い始め、髪を洗い、泡を流した。そして、ローションを出して、彼の性器にそれを塗った。日葵は水着の肩紐を解き、乳房を彼に見せる。彼は訳も判らず勃起した。彼女は彼の睾丸を愛撫しながら、彼の肛門を緩め、右手の指を彼の中に入れた。そして、左手で彼のペニスを撫でた。哀願するような目が、高揚しているのが見える。彼には何が起こるのか判らない。然し、とても恥ずかしい事は判る。だが、その動きから逃れられない。彼女は彼の中にもっと入り、彼の性器を口に含んだ》
 「あれからずっとだ」波留磨は云った。
 「うん」
 日葵は波留磨の汗ばんだシャツを脱がせた。「私の中に入ってみる?」
 「どうかな」
 「大丈夫、今日も緩めてあげるから」
 「そうじゃなくて」
 日葵は足を広げて、透けて見える女性器に触れた。「いいよ、あなたを殺します」
   ×
 「僕を殺すの?」少年ガラテアは尋ねた。彼は水溜の前に座り込みその水面を見ている。
 逆パノプティコンは巨大な水溜まりになりつつあった。深い霧が立ち込めて、辺りは見えないが鏡の反射が見える。見上げると空は更に明るさを失って狂った様に雨を降らしている。
 「ええ、私を通してあなたを殺します。私が作り上げた神を、存在させない為に」女は裸になり、水溜に立っている。「でも、焼き払うか溺れさせるか悩みました。そして、生み出します」
 「その為に僕は作られた」象牙で出来た手足はすっかり皮膚で覆われ、白樺で作られた胴体は筋肉が張っている。飛び出した枝の跡は最早見えない。継ぎはぎも縫い目もない、一繋ぎの肉体だ。彼は素足を水に浸けて、彼女へ向かい歩いた。
 「如何なる物語もこの時を避けられなかった。私があなたを殺す事は、切実な事実だ。私はその願望と接しながら過ごし、忘れ、月に一定の血を吐いた。手足に張り巡らされた水の重みが引くと、耳鳴りがする。巡りは残酷さを告げ続け流れ去る濁流。私は死を乞う火の鳥になり、あなたを殺さない様に自殺した。自殺は快楽だ。それはそれで愛おしい。でも、どれほど死んで蘇っても、あなたを思い出す。若き日の後悔の様に」
 彼女は彼の逞しい肩へ手を回し、口付けをした。そして、背中を向けて尻を突き出す。
 少年ガラテアは彼女の背後から挿入して、彼女をステージの中央のガラスまでゆっくりと押した。彼女が手を突けるようになると、彼はそれを出し入れした。彼女の肛門は赤く染まり、波打ち、何度も震える。
   
 ピグマリオンを引き裂くと、甘い灰色の無花果は実る。
 怯まずも逸脱を満ち断つ、回廊を弾く海温と、
 沸き立つ致死量の血潮で追いかけ、
 死を乞う火の鳥の彩りが紐解ける。

 幾度も、静まりを埋め尽くす波と、
 幾つもの詩を問う広がりを飲み込んで、
 騒ぎ出す、洗われたガラテアは泡立ち、
 重ね合わされたひとときはミルク色を譲る。

 生み出された赤薔薇を逆様の女神と拾い、
 モザイクから零れ落ちる紫陽花が、
 素材の細部へと体毛を伸ばしている。
 焦がしている乳首から皮膚に聞く耳が、

 いつまでもいつまでも詩と紐解けるシトシトと。

 ガラテアは彼女を殺した。彼女は水中で溺死している、彼女の上半身は水面に溶けて赤く沸騰している。それはマグマの様に溢れ出し、彼を包んだ。彼は息遣い荒く、彼女を突き上げて、動いた。暫くすると彼女は蘇生して、水面から頭を出す。彼の髪の毛に火がともり出し、やがて、彼の髪は炎に包まれ始めた。彼は動いた。彼女の尻を抱き、情熱をかき集めて。彼が射精をすると、その身は焼け焦げて灰になり、水面に消えた。
 空中で死んでいた顔を思い出した少女は炎を吸い上げて、顔を思い出し、水面の上に落ちて来た。彼女が吐き出した糸は繭の様に辺りに張られていて、彼女の体に纏わり付く。顔を思い出した彼女は蘇生していた。彼女は溺死しているピグマリオンを見た。それは殆ど溶けていて形状を失っている。そして、灰になった少年ガラテアを見た。それは海にあった藻屑に近しい、抜け殻だった。その白樺の木を褥に炎の花びらを持つ薔薇が一輪咲いている。《私達はこれを業火の薔薇と呼ぶ事にする》
 きっと彼は新しい器を手に入れ、歩むのだろう、内か外を。内から外へ、外から内へ、どれだけ流れても私達は蘇生する。私達は愛しき絶頂を維持出来ない、どれだけ美しくても。彼女は思った。
そして、彼女は空襲が続く街へ向かい歩いた。
 《また、少年ガラテアが生まれる、私達の余白として。その余白で私達は自らを写し、吊り上げ味わうだろう》
   ×
 波留磨は先に射精して日葵を愛撫していた。ゴムの空洞に泡立ったものが透明になって行く。日葵は彼の視線の中で自慰を続け絶頂に達した。
 禁忌と云う地雷を踏んだ割には、それほど快感じゃなかった、彼女は思った。そして、それに付いて話せるほど、私は波留磨と仲良く無いのだ。或いは、希死念慮と他人の性欲と云うものは伝えられず、共有不可能なものなのか?家族と云う言葉の建物を内から壊したとして新しい物語が現れるだろうか?男は女を買う、女は体を売る、ではその逆はあるのだろうか?《君の物語からそれは今失われている》買う事の残酷さとは女や男の存在の言語化だ。どれだけ演じたとしても、私の悦びの中には愛が居るのに、男は類型と価値化で賢者の様に振る舞える。非言語性としての愛は色褪せて擦り切れて行く。ああ、男は私を愛さなかった。男を買う事で愛を感じられない私はゲームに勝利する事も無く、悦びや幸福や自由を得られるのだろうか?何処で安心して小さく死ねと云うのだろう?
 「どう?」日葵は高揚して彼に口付けして云った。
 「素敵だった」
 「幻想としての役割から抜け出しても。それは他の役割に包括される」
 二人は重なり合って休んでいる。
 「ううん」彼は質問の意味が判らない様子だ。
 「生まれるってどんな気分?」彼女は尋ねた。
 「死んだみたいだ」彼は云った。
 君は生き死にと接する私の事は判らない、彼女は思った。私は死に行く事が判らない、ただ、穴から穴へ束ねられる時、私達はすれ違っているだけだ。《君は〈言葉と精神の膜〉に付いて思うでしょう。私と云う二人称で語られる心身を繰り返し脱衣しながら。どれだけ脱いでも君は繰り返し着衣になり、気付くと鏡の内側に閉じられている。そして、思うのです、この鏡が増えたらどうなるのか?逆パノプティコンを街中に建設したらどうなるのか?》
 何処までも閉じ込められるのか抜け出した先で呼吸が出来るのか試してやる。

Ep4-1へ続く

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