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私なんて生まれてこなければよかったのに(前編)

こんにちは。ゆるりママです。
先日は小学生だったわたしのことを書きました。
記事はこちら↓

小学校も好きじゃないな〜と思っていたわたしですが、家庭環境も良いわけではなく…しかし、かすかな希望を頼りに生きてきました。
わたしの暗黒の時代(前編)を赤裸々に綴ります。後編は、いつまでも悩みの種である母のことをば。
よかったら最後までお付き合いくださいませ。


幼き頃の家庭環境

家族構成

わたしは父母、祖父母、伯父(父の弟)と私の6人家族でした。祖父も父も絵に描いたような昭和の男性で、家事は一切しない、亭主関白な人でした。(父母とわたしとの関係は、後編に書いていこうと思います。)

両親の関係

ここでは、父と母の夫婦関係について書いていきます。幼い頃の両親は、決して良いとは言えませんでした。
しょっちゅう喧嘩していて、父の罵声が飛んでいました。母は父から、食事中の箸が投げつけられたり、蹴られたり?等もあったように記憶しています。今の時代ならDVだし、面前DVは虐待ですよね。。

その時わたしは…

まだ小1くらいだったと思います。
暗い部屋にこもって、膝を抱えて泣いていました。その時にはすでに
「生まれてこなければよかった」
「わたしは何のために生まれてきたのだろう」
と思っていました。
誰にも相談できない悩みを抱えながら、日々を過ごしていました。

両親の喧嘩の理由は、わたしのことだったわけではありません。でも、罵声が飛び交っている家で過ごすのは、ちっとも楽しくなかったのです。

わたしと家族の関係

父とわたしの関係

父は基本的には、わたしを叱ることはありませんでした。母のことは罵倒する一方で、子どものわたしの意見は尊重してくれる。
そのやり方が好きではありませんでした。家族を平等に扱ってほしい気持ちがありました。

子どもは無意識のうちに、親の振る舞いから学んでいました。だからわたしは、母を対等ではなく下に見るのが普通になってしまいました。

父と一緒になって、母を家政婦のように扱う。度が過ぎると母は怒り狂い、怒りの矛先は弱い子どもに向かう。そんな日常でした。

父のやり方が間違ってると気付いたのは、大学生になって実家を離れてからでした。

母とわたしの関係

母はいつも、わたしをコントロールしようとしていたように思います。意見を聞いてくれることはなく、母の思い通りにわたしが動かないと、怒り狂う。

例えば、こんなことがありました。
友達との関係が不安定で学校に行きたくない日。わたしは「体調が悪いので学校を休みたい」と言いました。それを聞いた母は、「それなら病院に行きましょう」と。
病院に行くほどではない、家で寝ていたいと伝えても取り合ってもらえず、
「なんで病院行かないの!?肺炎にでもなって死んでしまったらどうするの!!」と母。
わたしも意見を曲げなかったので、和解に時間がかかったのは言うまでもありません。

助けてくれた人①

押し問答で引きつけるように泣き続けていたわたしに助け舟を出してくれたのは…
祖父でした。
亭主関白とは言え、孫には優しい温和なおじいちゃん。普段は口を出すことはなかったですが、あまりに炎上していると「まあ、まあ、そのくらいにしておきなさい…」と仲介に入ってくれるのでした。

助けてくれた人②


それは、でした。
小学2年生の頃に我が家に迷い込んできた猫、その名をミューと言います。
ミューは、心の癒しでした。
泣いていると、そっとそばに寄り添ってくれる。温厚な優しい猫でした。


まとめ

繊細なわたしにとって、家の中が穏やかでないのは辛いことでした。家庭環境は決して良くなかった。けれど、祖父母と猫に癒されながら、なんとか生きてきました。
わたしも母になったので、両親も大変だったのだろうなと思うけれど、その時をともにする子どもには関係ないのです。だからわたしは、平和な家庭を築いていきたいと強く願っています。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。後編も近いうちにupします。






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