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「〇〇さん、ええこと言わはったなぁ!!」

子どもは基本的に天真爛漫。
おしゃべりができるようになれば好き勝手に言いたいことを言うもんだと思う。

しかしながら、成長するにつれて周りの環境や子どもたち自身の発達を通して、自身の発言に対して枠組みが出来ていく。

「もう少し自分の主張を表に出していこう!私は私であっていい!」と今更ながら決意した自己肯定感低めの40代母。←私のこと🙄


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さて、いつから私はこんなに自分の意見や想いを
抑えるようになってしまったのだろうか?
人生で一番強烈に印象に残っているM先生は、
小学校4年の時の担任だった。

とにかく、生徒に手をあげる。

忘れ物をする、宿題をやってこない、何か問題があれば頬をつねり上げられる、全員並んで順番に太ももを平手打ちされたこともある。

思いだせば思いだすほど、現在の教育現場ではまずあり得ないだろうし、有ったとすれば問題視されていただろう。(いや、完全に問題になってるか…)

30年以上前の話である。

そんな先生だったけれど、私の中ではそこまで悪い印象はない。
というのも、単に彼女は熱血先生だった。
生徒に目くじら立てて怒っている姿と同じぐらい
大声で褒めている姿も印象に残っている。

学校で先生に叩かれたのは後にも先にもM先生だけだったし、
あれほど何度も褒めてもらったのもM先生だけだった。

国語の授業に一番力が入っていて、
教科書の文章は毎回全て書写しなければならなかった。
1行ずつ空けて丁寧に全文を写す作業は、
10歳頃の子どもにとって骨の折れる宿題だった。

宿題は多く、22時ぐらいまで宿題をしていたこともよくあったと記憶している。
叩かれるので「やらない」という選択肢はない(笑)
その当時は叩かれたり怒られたりするからやってるという感覚もなかったけれど、今思えばまあまあ酷い話だ。

話は戻るが、その書写を元に授業は進められる。

次の宿題として、文章に出てくる登場人物の気持ちになって考えたことを
自分の書写ノートの予め空けていた行に書いてM先生に提出する。
すると、M先生は生徒たちが書いたものに全て目を通して、
3重丸、5重丸、花丸等をつけてくれて、
コメントを残して返してくれるのだった。

M先生の作業量も半端なかったと思うが、M先生の字はいつも美しかった。

国語の授業時間は盛り上がった。
みんながこぞって手を挙げて発表した。
なぜなら、M先生が既に添削してくれているので
自信を持って発表出来たからだろう。

「〇〇さん、ええこと言わはったなぁ!!」

M先生は国語の時間になると、
このセリフを大げさすぎるぐらいに何度も言っていた。

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私は「優等生」になってしまった。

3年生まで普通の成績だったのに体育と図工以外(笑)は
5が並ぶコになってしまったのである。

あの国語の授業で「良い評価を受けたものを発表する」という型が
私の中で出来上がった。
成績も一気に上がってしまったから、
その在り方を肯定された部分もあると思う。

「ええことじゃないと言うたらあかん。」

そう思ってしまった。

ま、これが全てではないが、思い返してみると
小学校4年の1年はなかなか濃かったなと思う。

下手すると親以上に先生と一緒に過ごす時間の長い小学校時代。
先生との出会いは大きな影響があるなぁと感じたので書き記してみた。

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長男が今春から小学生になった。

世の中の状況から学校行事も軒並み延期で、なかなか先生と子どもの様子を知る機会がないが、子供の良いところを見てくれる先生だといいなと思う。

「今日は2回ぐらい発表したで。おれ、結構発表するの好きやねん。」

先生は子供たちの発表になんと応えてくれるのだろうか。


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