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母の選んだ死に方について

時々、母のしたことは緩慢な自殺と何が違うんだろうと考える。

20数年ぶりの乳がんの再発、放置による全身への転移…
骨への転移による歩行もできない耐え難い痛みを「坐骨神経痛だ」と言い張って、頑なに病院へも行かず。同居の家族にも長年の友達にも、誰にも本当のことを話さずに。痛みも不安も全部ひとりで抱え込んで。

脳転移からの脳出血で救急車で病院に運ばれて、やっと家族は真実を知り…医者から告げられた余命は1週間。とはいえ脳出血の影響で半身麻痺を起こしており、高熱とモルヒネの影響で会話なんてもはやほとんど出来る状況ではなくて。こうして母の真意を聞くことのないままに逝ってしまったせいで、今でもふとした時に考えてしまう。

いったい母は、何を考えていたんだろう。どうして、そんな道を選んでしまったんだろう…と。


本人が違和感に気づいたのが遅く、満足な治療はできなかったとしても。もう抗がん剤での治療は嫌だ、と思っていたとしても。痛みの緩和はできたはずなのに、それすらもせず。「腰痛だとしても、こんなに弱っているのだから一度病院に…」と説得する家族に「薄皮を剥がすように良くなっている」と主張して、治療院には通っても絶対に病院には行こうとしなかった母。

薬害肝炎によって20年以上も入退院を繰り返していた祖母、抗がん剤治療でみるみる弱っていった祖父の姿を1番間近で見ていた母には。病院での治療について何か思う所があったのかもしれない。食事療法とか代替医療の好きな人だったし、20数年前に乳がんの転移再発があった時は父曰く「神霊治療」で治ったらしいので。(たしかに母が遠方の霊能者の所まで泊まりがけで会いに行ってた記憶はある)

でも…鍼灸治療院に通って、食事に気をつけて、8万円もする魔法の水を飲んだって、病も無くならず痛みも取れないんだったら。病院の治療でも良くはならないにしても、痛みの緩和だけでもしてもらえば良かったのに…なぜ我が母はああも我慢強かったのか…。お金のこととか、家族の負担とか。そういうことを考えて、我慢してしまったんだろうか。それは自分の身体を痛めつけてまで、守りたいものだったんだろうか。それともただ最期まで、病院に縛られず家で過ごしたかっただけなんだろうか。


母が亡くなったのと同時期に、乳がんが見つかった仲の良い友達は。ステージ0で発覚し、万全を期した治療をおこなったにも関わらず…転移再発を繰り返し、発病して5年も経たないうちに逝ってしまった。ステージ0の5年生存率100%という表を見たときの、やりきれなさ…。そして、あれ程に頭が回って行動力のあった彼女でも退けられなかったのなら。ガンが良くなるかどうかなんて、結局ただの運ではないか…と思ってしまう。

それならば。「もうこの歳で辛い治療は受けたくない」と、母が考えたのも仕方のないことなんだろうか。「誰かに知られると自分の意思に反して治療を受けざるを得なくなる」とでも、思っていたんだろうか。でも病が進行していく中での痛みと不安に、ひとりで耐えようと思うなんて…皮膚にガンが露出しても、それを隠して我慢して。弱っていく身体で、ただひたすらに苦しみに耐え続けながら終わりを待つ…どうしてそんなことができたんだろう。

何度も何度も、繰り返し考えてしまうけれど…もしも死後の母に話が聞けたならば。「入院患者の世話なんて大変なのに、迷惑かけたくないじゃない」ってサラッと言いそうな気もする。そういえば、そういう人だった。他人の為に自分を削るようなところがあって。そういう所に甘えつつも、そういう所が嫌だった。もっと自分を優先して、大事にして欲しかった。

なのに、最後まで家族を甘やかしたまま自分は逝ってしまうだなんて。いつか死後に再会することがあれば、その時の第一声は「お母さん、ひどい!」になってしまいそうだ。でもきっとそれすらも、母はサラッと笑って躱すのだろう。なんだか母を思うと、そんな気がしてしまう。



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ユルリラム
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