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「もう痛くもないし、苦しくもない」

亡くなる前の母は、3ヶ月前まではいつもと変わりなく見えた。腰が痛いと多少辛そうな顔はしていたけれど、それだけだった。

それが亡くなる1ヶ月前に会った時は、まるで別人のように変わり果てていた。同窓会の写真などを見る限り、同年代より若々しかった母だったのに…げっそりとした顔は10も20も歳をとってしまったようで、身体は瘦せ細り足の筋肉は全て削げ落ちて。自力ではまともに動けない身体に虚ろな表情。

たった2ヶ月の間に寝たきり老人のような姿に豹変していた母の姿にひどく衝撃を受けたし、「どうしてこんな状態になっているというのに、母も父も弟も誰も連絡して来なかったのか」と信じられないような気持ちだった。

ただこの時は、身体に触れて話しているうちに顔は生気を取り戻したし。「腰痛で動けない為に筋肉が落ちた、痛みで布団に寝られずエアコンのないベッドのある部屋にいる為に夏バテしている」と言われて。そういうものか、と何となく納得してしまった。

病院行きは勧めたけれど「行ったけど、座骨神経痛で温存療法と言われたから行ってもしょうがない。今通っている治療院で薄皮を剥がすように良くなっているから。」と言い張るので。頑固な所のある母の説得は早々に諦めて、「どうしようもなくなれば、本人も諦めて病院に行くだろう…」とどこかでタカをくくっていた。

まさか、これが末期癌のせいだなんて想像もしなかったし。どうしようもなくなっても病院に行かない選択をするなんて、思いもよらないことだった。

脳への転移による出血で倒れて末期癌の告知をされ、亡くなるまでの1週間は辛かった。半身の麻痺とモルヒネの影響で、ほぼ意識も無く寝たきりの状態で。薬で痛みは消えたといえど、家族はひどく辛そうな姿を見守り続けることとなったのだ。

痛みは緩和されている。けれど、高熱や半身が動かない違和感による苦しさはあるようで。最初の1~2日は時折苦しそうな声を出していた。何日か経てば、痰が詰まるのか何度も呼吸ができなくなり…ほぼ意識のないままにもがき苦しむ姿を見ることとなった。そして死を間近に、断続的に起こるようになっていった痙攣…

薬を使っていても、余命を待つその姿は痛みと苦しみに満ちているようで…もはや会話もできず、見守りながら一方的に声をかけるしかない時間は。睡眠不足と疲労も相まって、何とも言えないものだった。

でもそんな状態を見てしまったおかげで。「お母さんは今はどこも痛くない、どこも苦しくないんだ」と思うだけで、少し心が安らぐ。

死んでしまえば痛いも辛いも、なくなってしまう。だから母はもうどこも痛くないし、機械に繋がれたまま呼吸が出来なくて暴れる事も、痙攣を起こし震える事もない。それだけでも救われたような気になってしまう。


母を亡くして覚えた喪失感も怒りも悲しみも、あくまで自分の側の感情であって。だから、この悲しみは自己都合でしかない。母自身にあったのは痛みと苦しみであるならば。そこから解放された事は、たしかに母にとっては救いだったのかもしれない…と時間が経った今なら思える。

母が倒れてから、そして亡くなってしばらくはそんな風には思えなかった。「理不尽だ!ひどい!何故母がこんな目に…」と天に怒りをぶつけるような気持ちに何度もなり。 こんな結末を選んだ母にも、こんな理不尽を起こした神様的な何かにも怒っていたし、頼られなかった事は悲しかったし、気づけなかったことはショックだった。「なんで!?」って気持ちでいっぱいだったし、失って出来た穴の大きさに愕然としていた。

それでも感情を出し切れば、時間が経てば、その痛みは徐々に和らぎ始めた。

そう、消えはしない。
だけど、この痛みは和らぐのだ。

だから今は…母の事を考えた時は「もう痛くもないし、苦しくもないんだから」と呪文のように頭の中でつぶやいて。その事実に縋り付くことで、自分の中に残る痛みと傷跡をそっと包み込む。

死は安らぎだと、そう信じて。



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