写真で綴る、ふるさとの風景
二十歳になるまで生まれ育った街は、小さな地方都市だった。
近年は「この世界の片隅で」により多くの人に知られることになったけれど、それまでは太平洋戦争や自衛隊に興味がある人で無ければ、名前を聞いたこともない…という人の方が多かっただろう。
かつては鎮守府がおかれ、軍港のある街として華やかなりし頃もあったそうだ。自分の生まれた頃には既に無かったけれど、小さな街でありながら路面電車も走っていた。商店街には銀座の名を冠したデパートもあった。人と活気に溢れた街だったという。
今は、ごく穏やかなありふれた港だ。
自分にとって地元の海と言われてまず思い浮かぶのは、音戸の瀬戸にかかる赤色鮮やかな音戸大橋だろうか。
小さな頃に父方の祖父母や従姉家族と共に、この橋を渡って国民宿舎の音戸ロッジへ何度か泊まりに行った。そこには当時でもレトロに感じられるようなゲームコーナーがあり、夜になると親子揃って入り浸るのだ。子供達は10円玉を入れて遊ぶようなじゃんけんや旗揚げ、メダルゲームなどに。父や叔父はアーケードゲームに夢中になっていたような記憶がある。
もうひとつ、地元らしい海の風景というならば日新製鋼の製鉄所も外せないだろう。子供の頃の社会見学で、熱によって色や形を変える鉄を見せてもらったことは今でもまだぼんやりと記憶に残っている。
旅先から船で戻った時は、この風景が目に入ってくると「ああ、帰ってきた」という気持ちになったものだ。
だが実は自分にとってふるさとの街とは、海よりも山のイメージの方が強い。海は沿岸部まで行かなければ視界に入らないが、灰ヶ峰は振り返ればいつでもそこにあったからだ。
小学校も中学校も校歌では、真っ先に灰ヶ峰のことが歌われていた。灰ヶ峰は「朝の空にそびえたつ玲瓏の山」であり、「そのたくましい姿こそ、育つ良い子の揺るがぬ目当て」なのだ。
また市内中心部は山に囲まれている為に、少し外れるとやたらと坂道に出くわす…という特徴もある。
高校生になるまでは何度か引っ越すも、いつも家の目の前は坂道で。自転車で出かけると行きは楽なのだが、帰り道には倍の時間がかかった。
そういえば雪の日に坂道を歩いていると滑り出してしまい、電柱に抱きついて止まった…という思い出もある。
10年程前に懐かしくなって、子供の頃に住んでいた地域をカメラを持って散歩したことがあるのだけれど…ほら、見事に坂道ばかりの風景だ。
この坂道の記憶が海の街よりも山の街、という印象を強めているのかもしれない。
笛を吹いてお小遣いをもらうのを楽しみにしていた、地域のお祭りも。成長して友達や彼氏と白い息を吐きながら、夜道を歩いて参った初詣の思い出も…いずれも坂道と共にある。
もうここを離れて20年近くになるけれど、今でも故郷と言われると数多の坂道のことが頭を過ぎる。
そんな坂道だらけの山に囲まれた、海の見える街。
それがわたしのふるさと、呉の街だ。
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ユルリラム
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