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もっと知りたい、宮島の話

今年の初めに、大した英語力も無いのに「宮島を英語でガイド」というレッスンに申し込んでしまった話を書いた。(参照:「ブランクを埋めたい」

初回に自分の哀れなスピーキング能力や退化した理解力にショックを受けたこともあり、毎回必死でテキストを読み込み予習を欠かさなかったおかげで。容赦ないスピードで進むレッスンにも、何とかギリギリついていけた…ような気が…している…たぶん。

英語の上達に関しては、まぁ上記のようにお察しレベルなのだけれど…一方で、宮島に関する知識は格段に増えた。これまでも仕事も含めると年に20回近くは宮島に通っていたので、それなりに知っている気になっていたが。それは単に観光地としての宮島、ほんの表層を知っていたに過ぎなかったと…このレッスンでは痛感させられた。

自分が知っていたのは、観光地として差し出された上辺の楽しみだけだった。今ならば「593年に厳島神社は創建されたと言われてるけど、明確に文書に出てくるのは811年で。あの神社の形を作ったのは平清盛なんだけど、何回も火事で焼けたり血が流されて不浄の地となったりで度々再建されていて。今の神社は毛利元就が…」くらいには説明が出てくるようになったけれど。レッスンを受け始めた頃は、関わりのある人物名がそこはかとなく記憶にある程度で。歴史的な面については、何も知らないに等しかった。

だからこそ、このレッスンは最初から最後までものすごく楽しかった。興味のある分野の、知らないことを知るというのは快楽に等しい

好奇心が刺激され、図書館でも別途資料を借りてきて読み始めてみると。「宮島のある厳島自体が御神体だったので、社殿は海に建てられ古くは人が住むことも許されなかった」という定説について、「こうした説は資料的に何の根拠もない、昭和30年代以降に3人の学者によって言われ始めただけ。近年の発掘調査によれば、むしろ縄文時代以来、絶えることなく人々が宮島に住み続けてきたことが明らかになっている。現在の定説は誤読、誤解、分析不足。」などと定説を叩っ切るような論が書いてあって。(ちょっとちょっと、観光案内の話と違うんですけど…!?)と、驚かされたり。

厳島神社の祭神が今と昔では違うということにも、びっくりした。平清盛の時代には現在祀られている宗像三女神の市杵島姫でなく、大宮と呼ばれる伊都岐島大明神が主祭神で。宗像神は相殿神だったそうだ。宗教畑に疎い身としては(えー、神様チェンジってありなん!?)と衝撃を受けたけれど、どうやらこれは珍しいことではないらしい。おそらくは鎌倉時代以降に古典の研究が進んだ際、有力な神社の祭神は「古事記」や「日本書紀」の記録に出ている筈だと推測されて。そこに出てこない伊都岐島大明神は、古くから厳島神社に祀られていた発音が似通っている市杵島姫のことだと決められたのだろう、と解説にあった。(神様って、そんなアバウトに決めていいものなんだ…!?)と一般市民的には思うのだけれど、この辺りのゆるさは多神教だからなのだろうか…。

伊都岐島といえば、これは本では無くレッスンの方で知ったのだけれど…厳島神社の元々の神社名は、伊都岐島神社なのだそうだ。だから現在でも大鳥居に飾られている神社名の額は、前後で異なっている。海側が「厳島神社」、神社側が「伊都岐島神社」と同じ鳥居に別々の名が掲げられている。これもそれまで全く知らずに驚いたことの1つだ。しかし神社名と失われた神様の名が同じだとしても、資料が残っていないのでは詳細はわからない。自分達の学び知っている歴史や記録など、全体から見ればごく一部でしか無くて。過去の全てが後世にはっきりと残ってる訳ではない、と改めて突きつけられたようで。歴史とは、儚いものなのだな…と考えさせられた。

他にも厳島神社では。明治維新の神仏分離の際に「社殿と御神体が仏教式だ」と、派遣されてきた政府高官の怒りを買ってしまい「直ちに社殿を焼き払い、神体を海に流してしまえ」と命令されたことがあるそうで。当時の宮司が命がけで上京して嘆願しなかったら、弁財天像は現在保管されている大願寺に移動するではなく海に流されていたらしい…。これ、当時も現在も通常は一般公開されていない秘仏扱いで。日本三大弁財天の1つだ。そんなものを、海に流してしまえとは…歴史が継がれるのは、今があるのは、当たり前じゃないんだな…としみじみ思った。

それから。江戸時代に広島城下に遊郭を置くことが禁止された為、宮島に遊郭が置かれていた…というのも知らなかったことのひとつだ。この色街に通う男性達の言い訳文句が「厳島神社にお参りに行く」だったそうで。奥さんや恋人に「一緒に行きたい」と言われたら、「厳島は女神様だから、嫉妬されて別れさせられる!」と言いくるめていたんだとか。これが元になって「カップルで宮島に行くと、女神様の嫉妬で別れる」という俗説が生まれた…という話もあるらしい。歴史を知るというのは、面白いものだ。昔は"そういう島"として有名だったとしても、今は"神の島"として観光地で売っているからか。そんな話は表立ってされることはなく、ただ俗説だけが一人歩きしていて。でも調べてみると、何かしらそう言われるようになった理由がある。火のない所に煙は立たず、というやつだ。

ちなみにこの俗説、最近の人はもう知らないそうだ。たしかに考えてみれば、今ではあまり耳にすることもない気がする。一時期に「男神様を勧請したからもう大丈夫、逆にカップルにおすすめ」という話を、よく耳にしていたから。その話によって払拭され、煙も出ない程に完全に鎮火されたのかもしれない。


こんな風に、自分の知らなかった宮島の話がどんどん出てきて。よく見知っていると思っていた友人に、実は自分の知らない裏の顔があって…みたいな好奇心が刺激されたおかげで。英語力はレッスンが終わるとスルスルと抜け落ちていったのに、新たにゲットした宮島新情報についてはいまだにそれなりのインパクトを持って脳内に残っている。

だからレッスンを終えても「宮島を英語でガイド」はできそうにもないが…日本語での簡単なガイドくらいは、もしかしたらできるかもしれない。当初の志とはまったく違うけれど…少なくとも身についたものがあったようでホッとしている。



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ユルリラム
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