許せない両親へ、30歳の娘より。

私は父が気持ち悪い。
許せない。

昔、体を触られたこと、風呂を覗かれたこと、あれは事故ではない。
実の父親に性的な目で見られていたのだ。
これは間違いではない。
これは未だに母にすら話したことがない。
父の兄すらも私を性的な目で見ていつも近寄ってきた。
母はおじさんの異様な雰囲気に気付いていて、私をおじさんから遠ざけていた。
でも父は「兄貴はそんな奴じゃない!」と怒って私と母に腹を立てていた。
その後、父の兄は脳に障害があることがわかった。
その障害のせいなのかは知らないが、65歳になった今でも、障害者病棟に入院していながらずっとSEXに執着しているらしい。

母は父を嫌っていた。昔からずっと。
幼少期から父の悪口は沢山沢山聞かされた。
姑との仲も悪かった。
それもあって私は数年前まで父を悪い人間だとずっと思っていたし、実際、性欲に負けて実の娘に性的な目を向けるような人間だから、本当にクズでもあった。
金遣いも荒かった。

それでも、「あの人との間に子供を作って良いのかずっと迷っていた」「あんたは産んじゃったから育てなきゃ仕方ないから育ててるんだ」と言われたのは辛かった。
母の気持ちはわかるのに、わかるのに、自分がいらない人間だったと突き付けられているようで苦しかった。
母はよくヒステリーもおこしていたし、私に姑や父や職場の愚痴を聞かせて精神の安定を保っていた。
姑(おばあちゃん)が亡くなる時、私が小学生の頃、母が喜ぶように「おばあちゃんなんて早く死んじゃえ!」と、寝たきりになって喋れなくなっていた病室のおばあちゃんの枕元で言った。
看護師さんがいなくなったときに、母が「ほらっ!」と急かしたので、言った。
母はそれを聞いて喜んで笑っていた。
でもおばあちゃんが死んだ瞬間、看護師さんの前で母が泣いていた。
なんなんだこの人間は、と思ったものだ。

20年以上経った今、私はなんて酷いことをおばあちゃんに言ったのだろうと心底、心底後悔している。涙が出るくらい、今でも後悔している。
あの頃母も、頭がおかしかった。

そんな過去があって私はうつ病になった。
高校を中退した。
なんだかんだ頑張って就職もするが長くは続かず、日々眠れないまま自律神経はおかしくなり、自殺を何度も考えた。

それなのに今は、普通の家族のように笑って両親と会うことができている。
高校を中退した一番苦しかった頃からは10年以上が経った。
ここまでくるのに、どれだけ病院にお金と時間を落としたんだろう、どれだけ親を罵って喧嘩して見限って憎んで、目の前で死んでやろうと思ったんだろう。

もうあの時のことは思い出さないのか?
憎しみは湧いてこないのか?
一緒にいて苦しくならないか?

よく思い出すし、憎しみもふと湧いてくる、長い期間一緒にいればやはり苦しくなる。

それでもやっぱり私は親に愛されたかったんだと今ならわかる。
父も母も歳を取って、昔のように相手を憎しむ元気もなくなったし、性欲や物欲も薄れたんだろう。
だから今は普通に接することができている。

親が私を産んで「親」になった年齢に私も近付いてきてわかったことは、「親も未熟なまま親になったんだな、だから夫婦生活や子育てがうまくいかなかったんだな」ということ。
親自体が、あまりおばあちゃんやおじいちゃんに上手に愛情を貰えていなかったことも、今は知ってる。
私もいい大人だが、未だに親を心の底からは許せていないし、許せていない自分も許せていない。
笑って会えていても、昔を思い出せば、一瞬殺意が湧くのだ。


どれだけ憎たらしい親がいても、いつか和解することはできる。
和解することは、できる。が、
私の考え方は歪んだ。

両親のような夫婦にだけはなりたくない。
私のような子供も世に出したくない。
だから結婚も子供もいらないし、恋愛も、男性は皆気持ち悪いものと心の底で思ってしまっているから、性的な関係がどうしても気持ち悪いのだ。
もうこれは悲観的な意味だけではなく諦めている。
気が済むまで嫌なものは嫌でいるつもりだ。

なぜ今これを書いて誰かに読んで欲しくなったのか、それは私の誕生日が近いからだ。

毎年毎年、親に「産んでくれて有難う☆」と思えないし言えない誕生日が今年も来る。
誕生日が来ると、歳を取ることだけじゃなく、毎年複雑な気持ちになる。

親が私を産んだ歳までに、私は親よりもマシな人間になっていたい、といつも焦る。

それをもうやめにしたい。

無理だ。
どうせトラウマは消えん。
だから「あのやろう」と思った時に、親の話をこうやって暴露してすっきりする。
嫌なもんは嫌なもんで、好きなふりできない時はしないんだ。

そんな自分を許してやろう、あーすっきりした。
ざまぁみろ両親。


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