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「やらない」系の決心を口にすることに価値はない

「私はこれだけはやらない!」といったようなこだわりというかポリシーみたいなものを抱えて生きている人は多いだろいう。しかし「やらない」と決めているものはやっていないわけだから形になっていないのであり、つまり目に見えないので証拠はない。その努力は他人には気づかれないのがあたりまえである。

というわけで、ここだけの話ですけどじつをいうとぼくは・・

エベレストにだけは登らない!

と固く決心して生きているのです。。。といくら言ってもタダである。「登る」と公言したらお金もかかるし体力もいるし命がけだけど「登らない」と固く決心するのは言ったもん勝ちだ。だから「やらない」系の決心を言葉にすることに価値はない。沈黙の中でひたすら実行するのみである。

ぼくはエベレストに登らされそうな国に行くのをひそかに避け「エベレストに登ってみない?」と言ってきそうな人間との出会いを避け、エベレストの登山中に遭難してSOSを送ってきそうなヤツとつきあわないようにし、エベレストに登りたくなりそうなマンガや映画や本をうっかり手に取らないようにし、そうやってすべての精力を傾けてひたすらエベレストに登らないですむように心掛けているのであって、たんに出不精でともだちづきあいが悪いのではない。ぜんぶエベレストのせいなのだ・・・って言ってもただのヘリクツじゃないですか?

さて、ぼくが本当にやるまいと思っているのは「いいわけをする」ことだ。日常生活ではいいわけはするけど、そうではなくて人前でしゃべったり、こうしてだれかに読まれるものを書いたりするときに「あなたがおもっているよりけっこう大変なんですよ」みたいな舞台裏を出すことはなるべく言いたくないと思っているのである。といいつつ書いちゃったけど。

ほんとにそう思っていたら書いていないけどきょうはタイヘンだと思っていないのでスラっと書けたな~。きょうは焼き肉を食べに行く以外になーんにもやっていないので「おいしかった」の代わりに「たまにはしんどいときもあるんスよ~」などといえるのである(おいしかったのはじじつであの店は名店だ)。

ほんとにしんどいときに「しんどい」と言うのは、言いわけというより弱音にちかいけど、あらかじめそういうことを言って周囲にあまえるような予防線を張らないということです。

プロ野球のピッチャーだって調子のいい日もあれば悪い日もある。しかしマウンドに上がる前に「きょうは調子悪いんで打たれてもかんべんしてね~」などとはいわないしそんな雰囲気も漂わせない。「自分が出てきたからには大丈夫」という顔つきでマウンドに向かう。調子が良かろうが悪かろうがなんとかするのがプロってものだ。そして打たれたらだまって交代する。言い訳はなしだ。ただし10年後になって「じつはあのときは痛み止めを打って登板していたんです」などというのはカッコいいけど。

いま自分の書いたnoteを読み返してみて、よく書けているものとつまらないものがある。読んだ人もおもいしろいと感じるときとつまらないと感じるときがあるだろう。しかし断言してもいいが本人の調子は本人が一番よくわかっている。おもしろいものを書くときはピッチャーがバシバシ三振をうばっているとのおなじで何の苦労も要らない。

むしろ「今日のはつまらないな」と思いながらだまってアップする方がよっぽどタイヘンだし、そういう日になんとかできるかできないかに真の実力が出る。

そう思ってみれば野球の応援の仕方も変わる。世間はバシバシ三振を取っているすがたをほめたたえるがそういう日はどーでもよくて、むしろ調子が悪いのに何とかしようとしている日のほうがみごたえがあると思えてくる。そういう応援の仕方をしたいものだ。

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