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不運回避には2つしか方法がない

人が占いやサイキックなどにたよるのは、心が弱っている時だ。インド占星術の大家であるKNラオ氏は、「いんちき占い師ひっかからないためにはどうすればいいでしょうか」と聞かれて

占い師のところなど行かないことだな

と答えている。これはマンガで読んだ。『流水りんこのインド占星術は深いぞ~!』という作品だ。

この本によれば、インドでは、国家機関や国立大学で占星術が学問として研究されているのだという。

ただし、それが国家の「ヒンドゥー化」につながるのではないかという裁判が起きたことがあった。その際に、ラオ氏は一人で証言に立ち勝訴している。

占星術とは、惑星の規則的な動きから人間および社会に及ぼす影響を研究する包括的な科学である

と主張し、何日も法廷に一人で立ってすべての人を言い負かしたのだそうだ。インドの公的機関で占星術が学問として扱われているのは、ラオ氏の功績だと書かれている。

そういうえらい人が、「占い師のところなど行くな」と言っているわけで、「深い」とひとことで言って済ませられない含蓄のある言葉だ。

そのような占星術という学問は、この先 世界の中で何か役割をもっていくんでしょうか?

という流水りんこ先生の問いに対してラオ氏は

何もない

と答えている。

何千年も世界はずっと同じだ
問題だらけ 戦いだらけ
それは家でも 職場でも 道の上でも変わらない
占星術師が偉いわけではないし これから先もそうだ
ただの人間でしかない 期待はするな
そして世界も変わらない
だが心配はいらないさ

だそうである。

数限りない人のホロスコープを見てきたこの巨匠によれば、不運回避、つまり業(カルマ)を増やさないようにするには、2つしか方法がないそうだ。本書で一番印象に残っているのはこの点である。その2つとは

- 真言をとなえること
- 人助けすること

である。「真言」とは、本来、密教の経典のことだが、別になんでもいいという。聖書でもコーランでもお経でも祝詞でも、自分の信じる祈りを唱えること。

また、これはぼくの考えだが、無信仰なら「周囲のみんなが幸せになりますように」といった言葉でもいいのではないか。思いのこもったことばにはそういう力があるということを言っているのだろう。

そして、「人助け」である。この巨匠は、デリーにインド随一の占星術の学校を開校しているにもかかわらず、すべてボランティア講師が教えている。ラオ氏自身、鑑定でお金をとったことがない。「占星術で飯を食うな」「プロの占い師になんてなるんじゃない」とも言っている。

この本にはほかにもいろいろ書かれているが、トンデモ系とおもわれそうなのでここでは割愛する。しかしラオ氏の一言一言には、まともな感覚を持っている人なら無視できないもがあるだろう。

ぼくは一時期、ネットでがっつり稼ぐ方向を目指そうかなと思ったこともある。しかし、その当時、このマンガを読んだことがきっかけで大きな心境の変化があり、「あまりガッツリ稼ごうとすると、"遠い将来"ロクなことにならない」と気づくに至り、断念した。業(カルマ)という概念に沿って考えると、どうしてもそうなる。だから、今は「平凡が一番」と思い、静かに生きている。


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