見出し画像

人生は入口がすべて

ジャズの好きな人で落語の好きな人はわりにおおいらしい。ぼくは落語を聞かないのでその中に入らないが、わかるような気はする。なんというか、入口が狭くて奥が深いうなぎの寝床のようになっているところに、どこか通じる面がある。

そもそも伝統芸能的なものは入り口が狭い。能も華道も茶道も、サッカーや料理や釣りにくらべれば入口が狭そうだ。キャバクラに入るよりも、京都のお茶屋に入るほうがはるかにむずかしいのと似ているかもしれない。どっちも入ったことないので、想像だけど。

よく「奥が深いとか浅い」とかいうけど、仕事であろうと趣味であろうと、どんな分野でも奥は深いとおもう。キャバクラにも、お茶屋遊びに負けない奥深さがあるはずだ。リカちゃん人形の収集にも、クラシックカーの収集に劣らない奥深さがあるはずだ。

ちがうのは入口の狭さである。キャバクラとお茶屋の入りやすさは、吉野家と銀座久兵衛くらいちがう(吉野家をのぞきすべて想像です)。結局は入口だとおもう。

どんな世界でも入口のハードルを越えれば、あとは道なりで、ある程度まで行ける。行くほど奥深さがわかるし、奥深さを知れば、どんなことでも好きになっていくものだ。

人間も同じだろう。初対面の相手にはどう接していいかわからないが、いったん気心がわかれば一生の付き合いにもなる。ただし、かんたんに打ち解けられる人もいれば、なかなか難しい人もいて、入口の入りやすさは異なる。

ディズニーランドの楽しさは初日でわかるけど、能やジャズのおもしろさがわかるにはしばらく辛抱しなければならない。じつはぼくはジャズを聴き始めて最初の数年は何がいいのかわからずに聞いていた。若気の至りで、むりやりわかったふりをしていただけである。しかし、若さに任せてめんどくさい入口を突破したおかげで、いまでは一生の付き合いになった。一見めんどくさいけど実はイイやつと友だちになったような感じだ。

映画はこれとは対照的だった。はじめて見に行ったのは『スターウォーズ5』だけど、出だしからディズニーランドのようにおもしろかった。映画は気さくで社交的な友人にちかい。

なにごとも奥を極めていくのはもちろんおもしろいけど、入りにくそうな入口にあえて入っていくと、あとあとおもしろくなっていくような気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?