梅本佑利 『私たちは多元世界を生きている』 前編
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私たちは多元世界を生きている
私たちは多元世界を生きている。
あらゆるものが情報化され、形容しがたいほとんどのものごとに名前がつけられ、分類され、それらは無数に個々の小宇宙、世界となってインターネットの空に浮かんでいる。ヒーロー映画では増えすぎた数百のスーパーヒーローたちがいっせいに私たちの前に現れ、理論物理学では私たちのいる宇宙とまったく異なる複数の宇宙が語られる。
あらゆる世界はチクタク忙しない音を立てながら、人間が認知できる限界の速さで私たちの前に流れつづけている。
多くの人にとって、インターネットは身近な存在だ。そして、それは日常のほとんどすべてになりつつある。私のiPhoneの記録によると、1週間のスマートフォンの平均使用時間は10時間。日常の活動時間の3分の2はスクリーンとネットの中にいるという計算だ。
そんなインターネットの世界では、あらゆるものが極度に高解像度化されている。すべてがくっきりと見えすぎる世界。テレビやスマートフォンのディスプレイの画質がHD、4K、8K……と変わっていくように、私たちの世界もまた高解像度化していく。元恋人の夜ご飯から殺人犯のつぶやき、8000キロ離れたどこかでジャンプに失敗して床に落ちる猫、戦争で殺された子供の顔と泣き叫ぶ親子の悲惨な声。1億曲の音楽は6000以上のジャンルに分類され[2]、言葉、音、声、人、心……すべてはあらゆる方向から照らされ、拡声され、すべてが目前にせまって見える。TikTokやインスタグラムの縦画面をスワイプすれば、そのたびにまったく異なる世界の数々が、ミリ秒単位で切り替わっていく。
私が作曲した箏とエレクトロニクスのための《boing boing string(ボイン・ボイン・ストリング)》(2024)は、そんな世界観で作曲されている。箏はスマートフォンの「スワイプ」の動作を模倣し、音楽は個人的なアルゴリズムやある種の美的直感によって〝作曲〟されながらも、ひじょうにランダムかつ雑多なものである。「弦(string)」に関連したあらゆる音が交替しながら瞬間的に流され、箏は、他の「弦」を含んだ楽器──クラシック・ギター、エレキ・ギター、ベース、シタール、三味線、チェンバロ、ピアノ、ハープによる音源に埋もれている。楽器の音、スピーチ、エフェクト、通知音などのデジタル・サウンドが次から次へと押し寄せ、アニメ・キャラクターの萌え声から、「マルチバース理論」「超ひも理論」を語る理論物理学者、「地球平面説」を唱える陰謀論者の声まで、あらゆるコンテクストがインターネットからサンプリングされ、ごちゃ混ぜになっている。「Yes」と「No」で対立する二元論的な声は、この過剰な濁流の中では滑稽な響きを放つ。この多元的な世界の中で、箏という楽器がもつ日本の〝伝統音楽〟的アイデンティティは、あまりに小さな存在だ。
スワイプすれば、とつぜん現れた見知らぬアカウントに殴りかかられ、暴力とポルノ広告に平手打ちされる。そこにあるのは、とにかくすべてが浅く、馬鹿馬鹿しい音楽だ。深遠な芸術像はそこに存在しない。あるのは、表層的に流れつづける連想ゲームと、過剰に分離したコンテクストによって生まれた多元世界のバブルである。
デジタル・マキシマリズム
評論家のサイモン・レイノルズは、過剰な情報量で満たされた現代のデジタル社会と、近年の電子音楽におけるトレンドの関連性を観察し、「デジタル・マキシマリズム」という用語について、「ピッチフォーク」[3]のネット記事に評論を残している。それはつまり、「その音楽における影響とソース(情報源)において、大量のインプット(入力)を特徴とし、密度、規模、構造的な複雑さ、そして純粋な荘厳さにおいて、大量のアウトプット(出力)を特徴とする音楽」[4]である。
「デジタル・マキシマリズム」という用語は、作家ウィリアム・パワーズのHamlet’s BlackBerry: Building a Good Life in the Digital Age(『ハムレットのブラックベリー』、2011)の中で定義された言葉である。
レイノルズはこう語る──
ロンドンを拠点とする新進気鋭の作曲家ベン・ノブトは、この「デジタル・マキシマリズム」を参照する修士論文を2019年に執筆し、彼の音楽作品の多くはこうした話題と深く結びついている[5]。彼の代表作SERENITY 2.0のプログラム・ノートで作曲者はこう語る。
この音楽では、冒頭から中盤にかけて、瞑想をうながす穏やかなガイド音声(YouTubeでよく見られる瞑想用の動画からサンプリングされている)と、弦楽四重奏、ヴィブラフォンによる静謐な音楽が演奏される。しかしそんな静けさもつかのま、インターネットから大量にあふれつづける断片的な情報の唐突な流入によって、いくども瞑想は遮断される。集中力と認知能力はつねに揺さぶりをかけられ、ここでの平穏の実現ははるか遠くのものに感じられる。
マインクラフトとGASにみる太古の森
私にとって、そして同世代の多くの大人や子供にとってなじみ深いゲームに「マインクラフト(Minecraft)」がある。記憶はあいまいだが、最初にプレイしたのは小学生のときだった。学校のパソコン・ルームに忍びこみ、ずらりと並ぶWindows 7を搭載した四角く重苦しいパソコンのひとつに、海賊版ソフトウェアを入れてコソコソと遊んでいた。
このゲームの面白いところは、ほとんどの場合、手つかずの森や自然の中でスタートするところだ。私はその世界に深く没入した。あらゆるアイテムは有機的な関連性をもっていて、すべての物質は有用な素材になる。木を伐り材料を集めて作業台を、家を建てて村を、畑を、土や丸石、石炭を掘り、ツルハシや斧、松明を作る。すべてのできごとがゆっくりと流れていく。
ゲームを通して鳴り響くC418[8]によるピアノやシンセサイザーの音色によるサウンドトラックは、ときにダークで荒涼とした雰囲気を醸し出し、ときにブライアン・イーノやエリック・サティを彷彿させる穏やかでアンビエントな曲調を聴かせる。
時間とともに日は暮れて、松明がなければなにもかもが暗闇に包まれる。夜が明けるまでのあいだ、画面はゲームとは思えないほどの漆黒となり身動きは取れず、闇に湧きでたモンスターに襲われようものならすぐにゲームオーバーだ。松明のある家や村を作ったところで、そこから離れて森へ分け入れば、暗闇とモンスターに支配された未開の土地がはるか遠くまでひろがっている。この広大で無限に生成されつづける世界に立った自分の存在はあまりに小さく、そこに存在しうるほとんどの世界は未知である。これは、いまの私たちが現実に見ている地球の姿とは異なる、はるか昔の地球の姿を写しているようにも見える。現代の子供や若者たち(私を含め)は、近所の森へ行ってもその先に何があるかを容易に知ることができる(あるいは知った気になっている)。だからこそ、冒険のゲームに未知の興奮をみいだすのだ。
しかし、歴史をさかのぼれば、古代の人類の文明において、いまのようにくっきりと見えるものは少なかった。このマインクラフトの世界観のように、近代までの西洋において「森」は文明を取りかこむ暗闇である。小さな村があり、その周囲には「森」という不明瞭で近寄りがたい世界がひろがっていた。そこには怪物が住んでいて、いちど迷いこんだら引き摺りこまれてしまう。
ここで私は、ウォルフガング・フォイクトによるプロジェクト、「GAS」の音楽を連想する。霧のように漂うアンビエントな音響と、無駄を削ぎ落としたミニマルなビート。リリースされたすべてのアルバム・ジャケットには生い茂る樹々が写しだされている。この湿った匂いのような捉えどころのない音楽は、聴くものの時間感覚を混乱させ、座標を見失った不明瞭な感覚は、暗い樹海で狂わされたコンパスのように揺れ動く。
フォイクトはドイツ出身のミュージシャンで、1990年代以降のミニマル・テクノの重鎮的存在だ。
彼は、ドイツでもっとも古い原生林のひとつ、ケルン近郊のケーニヒスフォルスト(Königsforst)でしばしば子供時代と青年期のひとときを過ごした。10代のとき、この森でLSDを体験した思い出は、のちのGASの音楽へ大きな影響をおよぼしている。「アシッドに耽ったヘンゼルとグレーテルのようなもの」と彼は当時を振り返る[9]。
レイノルズはドイツのミニマル・テクノなどの音楽における深淵さ、暗さ、荒涼の雰囲気を、浅く均一なフラットさ、明るさ、慌ただしさに置き換えたものが、彼が「デジタル・マキシマリズム」とする音楽の特徴であると表現したが[10]、GASの音楽はまさに前者の系譜に属する音楽である。
フォイクトは、「現時点では、どこから来たものであれ、現代の主流のポップ・カルチャーには興味がない」と話す。彼は「かつて解放的だった国際的なミニマル・テクノの動き」は、「過剰生産、価値観の喪失、恣意性によって魅力を失い、刺激のないDJキット、退屈な紙くずに退化した」と語り、彼はこの「森」の音楽を、その流れにたいする批判として、また「デジタル・マキシマリズム」として形容されるような、現代における消費的かつ過剰な社会に反抗するものとして今日に機能させている。
文学者のロバート・P.ハリスンはこう語る。
イタリアの哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコは『新しい学』でこう説明する。
森を切り開き、火を放ち、視界を解きはなった人類の行く先に、まるで地球、銀河系、世界のすべてを見晴るかすかのような現代のインターネットとのそのゆくえ。
膨張するクラウド。バーチャルの森で遊ぶ子供たち。視力が増強され、あらゆるものごとが明瞭化、高解像度化されたヴィヴィッドな飽和。今日の私たちは、そんな世界を見て、聴いて、生きている。
後編につづく…
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注
[1]──NewJeans, “ASAP”より。
[2]──Christian Brooks, “Spotify Wrapped 2023: ‘Music genres are now irrelevant to fans’”, BBC News, 29 November 2023. https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-67111517.amp
[3]──ピッチフォーク・メディア(Pitchfork Media)はアメリカの音楽メディア、ウェブサイト。https://pitchfork.com/
[4]──Simon Reynolds, “Maximal Nation ― Electronic music’s evolution toward the thrilling excess of digital maximalism”, December 6, 2011. https://pitchfork.com/features/article/8721-maximal-nation/
[5]──Ben Nobuto, “Digital Maximalism and ‘the new post-everything’”, 2019.(ケンブリッジ大学での修士〔MPhil〕論文)https://bennobuto.com/digital-maximalism
[6]──Nobuto, SERENITY 2.0 for string quartet, percussion and electronics (2021). プログラム・ノート。https://bennobuto.com/serenity-20
[7]──Member Spotlight: Ben Nobuto, The Ivors Academy. https://ivorsacademy.com/news/member-spotlight-ben-nobuto/
[8]──C418(シー・フォー・エイティーン)。ドイツ出身のミュージシャン、プロデューサー、サウンドエンジニア。本名ダニエル・ローゼンフェルド(Daniel Rosenfeld)。
[9]──“With the rerelease of his classic, controversial GAS series”, the Kompakt/Profan/Studio 1 founder and Cologne minimal architect talks psychedelic forestry with Rob Young, The Wire, Issue 291, May 2008. https://www.thewire.co.uk/issues/291
[10]──Reynolds, ibid. https://pitchfork.com/features/article/8721-maximal-nation/
[11]──ロバート・P.ハリソン『森の記憶 ヨーロッパ文明の影』、金利光訳、工作舎、1996、21頁(原著:Forests: The Shadow of Civilization)。
[12]──ジャンバッティスタ・ヴィーコ『新しい学』、第564節、清水純一+米山喜晟訳、清水幾太郎責任編集『世界の名著33 ヴィーコ』、中央公論社、1979。
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photo: (c) Sophia Hegewald