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梅本佑利 『人類は、あらゆる手段をもって崇高さを追いもとめる、テクノロジーの使い手である』 前編

月刊アルテス 連載・多元世界の音楽より、6月号『人類は、あらゆる手段をもって崇高さを追いもとめる、テクノロジーの使い手である』(前編)の内容を一部ご紹介。

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400年前の人々はチェンバロのキーボードを叩いて何を感じたのだろうか。大きな機械の木箱からは小さな音。小さな入力が大きな出力をもたらす可能性に私たちはどれだけ期待できるのだろうか。iPhoneのキーボードを打ち込んでいるときの、このやるせない無力感について考える。広大な空を仰ぎみれば、アルテミスの宇宙船が飛んでゆく。近未来の心象風景──私がキーボードを爪弾いている間に、彼らは月を飛んでいる──人間が、科学よりも、芸術の表現と想像力に崇高さを感じることができたのはいつまでのことだろう。いったい私が芸術を、音楽を生み出すことに、なんの意味があるのだろう。数学的、力学的な崇高さに自ら近づかんとする人類。楽器も、宇宙船も、テクノロジーを用いて崇高さを追い求める道具であることにおいては同質なのかもしれない。社会における圧倒的なパワーと加速に触れるたび、自分のインパクトの小ささに身体が重くなっていくのを感じる。シフトキーを押すことさえ、今の私とっては億劫なことだ。なんて私は小さいのだろう。

──梅本佑利《キーボードを打っているとき、とても小さく感じる。》
鍵盤楽器のための(2024)プログラムノートより

ベートーヴェンの音楽はまさに、自然におけるそれらのカント的な「崇高」(とくに「力学的崇高」)、あるいはゲックが言いあらわしたように、理解を絶した非合理な戦慄と聖性、オットー的な「ヌミノーゼ」を想起させるだろう。それは、雷鳴が響きわたったときに人間が感じとりうる、絶対的な存在にたいする畏敬の念である。

梅本佑利『人類は、あらゆる手段をもって崇高さを追いもとめる、テクノロジーの使い手である』前編より

アポロ11号の月面着陸を、そして、シュトックハウゼンの《ヘリコプター弦楽四重奏》を思い浮かべれば、ここに両者の共通した崇高さの本質がみてとれる。4機の飛行と4人の音楽でシュトックハウゼンが描くのは、あまりに完成された崇高さの本質にほかならない。

梅本佑利『人類は、あらゆる手段をもって崇高さを追いもとめる、テクノロジーの使い手である』前編より

[前略] 彼にとって破壊行為は「人々には賛同できないもの」であり、芸術とは──そこにいくらかの心的な「飛躍」(自明の芸術的文脈と安全性にたいする飛躍的脅威)を認めつつ──「邪悪」さを取りはらったものである。
シュトックハウゼンが語ったように、芸術は、つねに脅威にたいして、安全圏にある。かつ、芸術をなしうる崇高さは安全圏のなかで生まれるものである。それは崇高が、その直接的対象の脅威から距離をおいたところで生まれるものであるからだ。

梅本佑利『人類は、あらゆる手段をもって崇高さを追いもとめる、テクノロジーの使い手である』前編より

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photo: (c) Sophia Hegewald

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