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三大随筆が出てこない! スマホのせいではない……

日本に限ったことではないだろうが、「3」という数字には何か特別なものを感じるときがある。(長島さんの背番号とかではなくて。)
この、3という数字を日本は昔から大切にしてきたのであろうか。
日本人は「三大○○」というものをつくりたがった。世界三大、とか日本三大、とか。

例えば、
日本三大祭り……祇園祭(京都)天神祭(大阪)神田祭(東京)
日本三大庭園……偕楽園(茨城)兼六園(石川)後楽園(岡山)
三大珍味なんてのもある?……ウニ、このわた、からすみ。

3という数字が好きなのか、並べるとちょうど良いのか。
三筆といって字が上手な人を並べて称することもある。(ちなみに、橘逸勢、空海、嵯峨天皇)
三人寄って文殊の知恵を出して、なんてこともしばしば。

さて、三大随筆である。
個人的にこのワードの使用頻度は高かったのだが、最近はめっきり使うことがなくなったこのワード。つい先日、ふと聞かれた。「三大随筆って何?」と。

出てこなかったーーー!

これは自分的に相当にショッキングな出来事なのだ。自分の人生はほぼ記憶力でできていると言っても良いぐらい、記憶の良さに助けてもらってきた。逆に言うと、記憶力がよいだけで、応用力が……。あまたの困難も記憶力を頼りにごまかしてきたものなのだ。
最近、人の名前がなかなか出てこないなあって思っていたのは正直なところ思い当たる。頭の中に顔は出てきているのに、その人の名前が思い出せないのさ。モノの名前でも同じようなことがある。
まあ、よくあることとお思いだろうが、自分的には大ショック。これも年齢のせいなのか?と思うのだがそれはすぐに否定。それだけは信じたくなかったが、ついにそれを思い知らされた。

枕草子(清少納言)、徒然草(兼好法師)、あとひとつが出てこない!
春はあけぼの。ようよう……とか、つれづれなるままに日暮らし、硯に……とか出てくるのに。。。あとひとつが出てこない。
数年前(数十年前)に、高校や大学の受験勉強で覚えた方もいらっしゃるだろうが、そんな昔のこと覚えちゃいないさ、という話だとしても私的にはとてもショックなことなのだ。

ものの名前が出てこないときって、どうした方が良いのかなあ。
調べてでも思い出した方が良いのか、考え続けた方が良いのか。
それとも、考えるのをやーめた、の方が良いのか。
何でもかんでもスマホに頼ってるからなあ。
昔は友だちの電話番号なんて、けっこうな数を覚えていたものだが、今はぜーんぜん覚えてない。

最近のぐうたらな生活を反省しつつ、脳トレをスマホで検索するのであった。



ちなみに、三大随筆のもう一つは、方丈記(鴨長明)です。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとのみずにあらず。
ほんとそのとおり。。。

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