「もうだめだ」ってときにいく和菓子屋
近所に小さな和菓子屋がある。みたらし団子やおはぎ、かのこ、小さなおにぎりなんかも売っている。安くはないけど、ドーンと甘いものが欲しいときに行く。元気を出したい時に行く。
昨日は、子のお迎えにいった時点でヘトヘトだった。園長先生に叱られて、いっそう寒かった。
公園に寄ったら子どもは永遠にスベリ台を一緒にやろうと言ってきた。私のような者と一緒に遊びたいと行ってくれるのは嬉しいけど丁重にお断りしてしまった。疲れた体に寒さがプラスされて、正直泣きそうだった。今日はもうできない、子どものテンションに付いていけないよ、私。
なんとか子どもを連れ帰って、それからご飯の支度をしなければ。あ〜あと思ったときに、和菓子屋のことを思い出した。川沿いの小さな和菓子屋のことを。ドーンと、甘いものを食べたらどうだろうか。あれもこれも美味しそうで、どれを買おうかと悩んで、それってラブリーな時間になるんじゃないだろうか。
「お菓子屋さんに行こう!」
2才になったばかりだが、子どもも「おかし」はわかる。甘いものの素晴らしさもわかる。遊びをやめて、素直に付いてきた。
行こうと思うだけで明るい気持ちになった。お菓子屋さんはもうはじまっているのだ。
「いらっしゃいませ」
お店に入るとおばあちゃんのスタッフさんが声をかけてくれた。
どれにしよう?ガラスケースの中のお菓子を見た。一口ずつつまみやすい団子もいいが、ドーンと甘いものといえばおはぎだよな…迷っていたときに目に入ったのがケース外に出ていた「かのこ」だった。
こしあんの周りにうぐいす豆が沢山ついている。全部あんこやん、と思ったがつやつや光るうぐいす豆が宝石みたいに綺麗。しかも半額シールが貼られている。
「これください」
おばあちゃんはてきぱき会計をして袋にいれた。財布からお代を出そうとしたら子どもが触りたがったので、小銭を握らせる。子どもがお金を一個ずつ置くと、
おばあちゃんはガサガサとなにかを出してきて、
「おにぎり食べられる?」と言った。
手には小さなシャケのおにぎり。さらに「お父さんにあげてね」とおいなりさんもくれた。子どもは受け取って、「あーと」と礼を言った。
私は感激して「またきます」と言って、お礼を沢山言って店を出た。
「おまけ」してもらっちゃった。
わあ得したぜ、という気持ちも少しはあるが、喜んでもらいたいというおばあちゃんの気持ちが嬉しい。子どもを可愛いねと見てくれたであろうことが嬉しい。
「おまけ」。コンビニやスーパーマーケットで買い物をすることが多い時代で、ほとんど消滅した言葉じゃないだろうか。商品とお代以上のなにかを交換することがほとんどない生活で、おばあちゃんがくれたものが特別に感じる。
そういえば、と思い出した。子どもを産んだばかりの頃、この店に来た。急に生活が変わって混乱していたときだ。赤ん坊を抱いて、ぼさぼさの頭で来た。早く「ママ」にならなくちゃと言う気持ちと、自分のこれからの人生の不安とで泣きそうだった。
そのときもやっぱり、おまけをくれたのだ。応援されたような気持ちになり、すごく嬉しかったのを覚えている。
訪れたのはもう夜だったし、売れ残りになりそうなものをくれたのかもしれない。でも私はおばあちゃんの笑顔と、子どもをしっかり見てくれたことを覚えているし、絶対金輪際この店の、そしてこのおばあちゃんの圧倒的ファンだ。
家に帰ると、早速子どもはおにぎりの袋を開けてくれとせがんだ。
パパにあげてねと言われていたお稲荷さんもたいらげて、かのこを半分こにして食べた。豆の優しい甘さ。ぱくぱく食べて、ごはんを作った。
そのうち夫が帰って来て、
「わあお菓子どうしたの?」と聞いた。すると子どもは、
「ひいばあば」
と答えていてぐっときた。
確かにビジュアルはひいばあばだったが、本当のひいばあばは別にいる。いつもお菓子をくれる本当のひいばあばと、お店にいておまけをくれるひいばあば。自分にお菓子をくれたり優しくしてくれる人は、すべからく子どもにとっては「ひいばあば」なのだなあ。
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