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間違う場所をください

夏頃から地味にもんもんと悩んでいたのだけど、新年ということでいい節目でもあるし、思い切って定期購読マガジンを始めることにしました。


私がnoteを始めた当初、リアルでの知り合いはいませんでした(ここでいうリアルとは、地元・大学・職場などのことです)。noteはひっそりとした場所で、だからこそ気兼ねなく、ふだんの生活では吐き出せないことを書いていました。noteは私の叫びみたいなもので、職場ではわかってもらえないこと、伝えられない本音をさらけだす場所でした。


だけど状況は変わってきました。私の書いたものが、想像もしなかったくらい遠い場所や、たくさんの人に届くようになってきました。それ自体は本当にありがたいことで、私自身も願ってきたこと。だけど、いざ多くの人の目に触れると、ありがたさと同時に「こわさ」を感じることも増えてきました。

私の意図した文脈とは違う文脈の中で、文章を受け取られてしまうこと。書き手の私には予想もしなかった解釈が生まれること。

わかってもらえない・伝わらないことが、じわじわとストレスになり、「書きたい」という気持ちをむしばむようになってきました。


もちろん、「自分に同意してくれる人にだけ文章を届けたい」なんて気持ちは傲慢だと思っています。なにかを議論したければ、賛成も反対も、どちらの意見もわけへだてなく聞く必要がある。

「批判がこわいなら文章なんて書くな」という考えの人もいるでしょう。

ですが、今のネット上での「議論」には、あまりにも大きなリスクがあります。人格否定、暴言、クソリプ。耐えろというにはあまりに酷な言葉の数々。 "炎上" は一瞬の出来事だけど、数百人、数千人、ときに数万人からそういう言葉を浴びせられたら、きっと私は起き上がれなくなってしまう。


数年前、いや、一年前の記事でさえ、自分の書いたものを今読み返すと「うわっ」と思うことがあります。今の自分なら、こんなことは言わない。今の私にとっては「無神経」だと思えることも、一年前の私にとっては「一生懸命考えた結果」だったりするわけです。今の私が考えていることは、来年の私からしたら浅はかなことかもしれない。でもそれも、書かなきゃ前には進めない。

思わぬ場所から投げられる石に戦々恐々とするよりも、信頼できる人に「これってどう思う?」と投げかけてみること。一緒に前に進むこと。「有名になりたい」と焦るより、じっくり一緒に未来を見据えてくれる仲間を探すことのほうが、自分にとっては必要なことだと考えるに至りました。


これから始める有料マガジンに、有用な情報や、すぐに役立つテクニックのようなものは一切ありません。それでお金をいただこうというのは虫がよすぎるだろうか、とも悩みました。

だけど最終的に、購読するかどうか、その価値があるかどうかを決めるのは私ではないはず。月1杯のコーヒーの代わりに、私と一緒に考えてくれる人が果たしているのか、わかりません。だけどもしそう思ってくださる人がいるのなら、その信頼に応えられるよう頭をしぼって書きたい。

いっぱい間違いながらも、こわがらずに言葉を発せられる場所を少しずつ作っていけたらと思っています。


🕊有料マガジンは、現在最終確認中。1月中に開始予定です。

サポートいただけたら、旅に出たときのごはん代にさせていただきます。旅のあいだの栄養状態が、ちょっと良くなります。