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豊かさと貧困

ガーナ滞在中に、世界最大の人造湖ボルタ湖の畔にある村を訪れた。


きっかけは、ガーナの子供たちの支援をしている友人と一緒に活動をしている現地の男性が、貧困が原因で学校に行けない子どもたちがいる村を一緒に訪れようと声をかけてくれたからだ。



首都アクラから車で約2時間。

山脈が見え、野生の猿を見かけ、自然が深まり、小さな街を過ぎたところにその村はあった。


車を降り、村のビッグママと呼ばれる女性に会いに行くために歩き始めた。

すると小さな子どもたちが何人も珍しそうにこちらを眺めていた。

彼らはまだ幼く、言葉でのコミュニケーションは取れなかったが、

ニコニコしながら近寄ってきて、ハイタッチやハグで私たちを迎えてくれた。


ビッグママに村を見させていただく代わりに、持参してきた子どもたちの服を先にいくつかお渡しした。

帰るときも現金をお渡しした。

外国人である私たちが彼らの暮らしを見るには、見返りを求められることがほとんどだ。


持参した洋服を配布したあと、子どもたちと話すことができた。

小学校中学年以上と思われる子供たちは驚くほど流暢な英語で私たちと話してくれた。

聞いてみると、英語は学校で習ったそうだ。

私たちが訪れたのは平日だったので「今日は学校はないの?」と聞くと、今日はお金がなくて学校に行けなかったの。とのこと。


日本の英語教育に深く疑問を抱きながらも、ここに住む人たちは恵まれているほうだなと感じた。

毎日ではないにしても学校に行ける環境があり、すぐそばには生命の源である水が流れ、魚も獲れる。

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彼らが毎日学校に行けるように両親になにかしらの職を生みだすことが、金銭的な支援よりも意味をもたらす気がしてならない。


観光業に力を入れるのもひとつの手かもしれない。

首都アクラから少し離れてはいるが、自然の美しさは私が訪れたなかでも群を抜く。ボートをだしてもらい、川の上を漂ったのは至福のひとときだった。


持っているものではなく、持っていないものに目がついてしまうのはこういうことなのかなと思い知らされた。

近所に川が流れていても入ろうと思うことはあまりない。

逆も然りで、何人かからの女の子には「次くるときには、スマートフォンを持ってきて!」とお願いされた。

どうして欲しいの?と尋ねると、セルフィ―するときのポーズを見せてくれた。


私たち先進国の影響って計り知れない。

自分たちが暮らす外の世界を知ることは、私も好きだし、自分の幅を広げられる良い経験だと思う。


だけど、こころのどこかで自分とほかを比べ傷ついてしまったり、今まで心地よく暮らしていた自分の国や暮らしを愛せなくなってしまうこともあると思う。


この村が抱えている問題は、ごみ山に住む人々や難民の人々が抱えている問題と比べると、私たちだけでも解決ができるような気がした。


彼らには自然の豊かさが味方してくれている。

どうか自分たちの村のすばらしさに気づき、ほかと比べることなく、これからも豊かなこころでこの村に暮らし続けてほしい。


金銭的な貧困とこころの豊かさは比例しない、と再認識できた日だった。

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