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美術館で見る人間味

美術館に行きたい。

歴史も詳しくないし美術のこともよく分からないのだけど、誰かの大切なものを特別に見せてくれる、その一点に強く惹かれるし、ガラス越しに溢れる愛されオーラを浴びたいという気持ちがある。

誰かが何かを成し遂げたという輝かしい歴史ではなく、ひとつのものを自分の意思で次の世代へ受け継いでいくその歴史にとても興味がある。


テレビ番組の「お宝鑑定団」を見ても家宝の鑑定は多い。

偽物とわかり会場がドッと沸いても「値段ではないので大事にします」と話しているのをみると、どうぞ大切になさってくださいと先生方と一緒に微笑む気持ちになる。

色々な事情から価値はある程度知りたいのだろうとは思うが、その道のプロの先生方のお話を聞いてどのようにして作られ自分の手元に渡ることになったのか思いを馳せたいのだと思う。すごく分かる。


宝物展なんて最高だ。

皇族や王室、お寺が、当時の最善を尽くして作らせ、代々大切にしてきたものってどんなものなのだろうと考えるだけで気持ちが高揚する。

たくさんのお宝がある中で、それでも大切に手元に置くものはなんなのか。そこに人柄や価値観を見つけられると途端に人物としての縁取りがされ知り合いになったかのような気分にしてくれる。



京都の国宝展に行ったとき、立派な書物の展示の中にひとつ反省文があった。

学校で借りていた金槌をなくしてしまったということが書かれていたのだが、その文字ののんびりした雰囲気やインクのかすれ具合がたまらなく人間味が溢れていて、思わず友人のものを読んだかのように笑ってしまった。

反省文なんて軽めの断捨離でなくなってしまいそうだが、なぜか心惹かれてきた人々がわざわざ大切に残し国宝の中にも入れるほど愛されてきたのだと思うとその一連の流れがすごく愛おしく思えた。


煌びやかに装飾が施された誰の目にも美しい美術品や、卓越な技巧で描かれた絵画などにももちろん心惹かれる。

でも今は偶然出会うノスタルジーのために美術館に行きたい。