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226事件から85年、私が生まれて50年

今から85年前の今日、1936年(昭和11年)丙子(ひのえね)2月26日は226事件が起きた日です。その35年後、1971年(昭和46年)辛亥2月26日に私は生まれました。ということで気がつけば私、今日で私は50歳になりました。

今回のタイトルに何故226事件を出したのか?それは私の誕生日を聞かれて答えた後にほぼ「226事件の日ですね」と言われることからだけです。まあ日本で社会の教育を受けた人であれば大概の人は存知の歴史的な事件であるので、割と早くに思い浮かぶのかもしれません。

私が生まれた時の曜日はいつなのか、ある時調べてみました。金曜日だそうです。そして今日も金曜日です。計算すれば何歳の誕生日と生まれた日の曜日が出てくるかと思いますがここでは割愛します。(曜日の算出に関してはこれこれが参考になるかと思います)

今日一日がどうであったか。夕方まではあまり気分良くはありませんでした。理由は精神的に参っていて大事をとって休んでいたものによるものです。今日は先週にも診察を受けた病院へ再受診もいたしました。そして夕方、ある事をきっかけに吹っ切れた、と言いますか糸が切れた状態になりました。糸が切れた状態というとあまり良くないのかもしれませんが、気にしすぎていたのかもと考えた次第です。

どれだけ多くの知識を蓄えていたとしても、どれだけ良い考えを持っていたとしても、それを活かすためにどうしているのか。ちゃんと自分で数字として結果を出せていなければ無意味でしょう。また何故理解してもらえないかを振り返ったとき他責にしてるばかりでは無理でしょう。おそらく自分の抱いている負荷というところ、そのようなものもあるのではないかと思った次第です。

急進的にやろうとしても無理が出る。どんなことも行うときは細心の注意や思慮を張り巡らさねばならないのかと思った次第で。独りよがりになってはいけない。独善になってはいけない。自分の思いだけを押し付けるとあまり良い結果にはならないのかと。

最後は自身に関する評価だったり分析だったりではあるのですが、226事件に対する個人的な見解なのかも?いやいやそんな大層なものではないですが、綴ってみました。

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