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教室があるからインプロが生まれる。

赤木和重先生(著書「アメリカの教室に入ってみた」)のご講演を初めて拝聴した。一方的に「お目にかかりたい」と思っていた方なので本当に嬉しかった。やはり本物の赤木先生はとてもチャーミングで知的な方だった。

以下、僭越ながら感想デス。

まず自閉症児への教育に関して、構造化と計画通り至上主義に対する疑問を背景として説明いただいた後、魅力的な2つの実践例を紹介してくださった。楽しい映像をたくさん見せてくださった。まとめとして、教員の思考の柔軟性やユーモアによって、子どもたちが変化する実例の背景にあるのは「即興」であり「ユーモア」である。

即興演劇をやる立場として感じたこと。
ここで紹介された2名の先生方がやっていらっしゃる実践は、まさしく子どもたちとの即興劇である。先生方が子どもに向きあう姿勢とスキルは、観客に向き合い即興的に劇を創作する私たち”インプロバイザー”の姿勢とスキルと近似している。もしかしたら使っている筋肉部位は同じかも。日本の教育者が「インプロ」という言葉を使うとき、それは教室を盛り上げるネタの1つという扱い・捉え方が少なくないように見受けられる。しかし赤木先生が使う「即興」という言葉は、それとは異なっている。「こうであるべき」という日本の教育現場の思い込み・枠組みを手放して、目の前の子どもたちに好奇心で向き合って、そこから自然に生まれる教育環境を創造していったときに、結果的にその手法は「即興的」であった。「こうあるべき」を捨て去るとき、そこに「即興」があった。
 つまり順番として、最初から「やっぱインプロ・ゲームだよね。いえ〜い」ではない。「こうあるべき」という形から入るのではなく、まず現実を受け入れるところから始めるたのだ。現実の状況を無視せずに「やっぱそうだよね。そりゃそうだよねぇ〜」と受け入れ(イエス)、「じゃあそれを使ってオモロイことしよか〜」とそこから作りだし(アンド)、それをやってみたらオモシロかった(わ〜い!)という順番(うまくいかなかったアイデアも山ほどあるだろうし、紹介されたエクササイズは長年の改良・改善があったのだろうなと想像がつく)。目の前にいる人+その人の行為を最尊重・最優先して、そこから次を進めるというミクロな即興のやりとりと、そこからの試行錯誤によって、即興的な活動を意図的に準備すること(マクロな即興)によって、彼らは彼らの即興的な教育空間を創作したのではないか。これは即興演劇でいうと「イエスアンド」のアプローチであり、即興的な創作のすべての規範となるものである。さらにマクロな仕掛けに関しては、認知科学の創造性研究の視点から見ると、創造性を高めるときに重要視されている「制約」の行為に当てはまる。

つまり
インプロがあって教室があるのではなく、
教室があるからインプロが生まれるのだ。

話がそれるが。
このような活動で気をつけなくてはいけないのは、この即興的ワールドは「見せ物」ではないということ。つまり、それ自体が即興的ではあるし主人公は子どもたちであるが(もちろん先生ではない)、それは見せることを前提としない閉じた世界であることだ。つまり批評・批判のない世界。まゆに包まれたインキュベーションの世界であることだ。この安全性が確保されることが、子どもたちの心を育てると考える(つまり他人から評価されたいから行動するのではなく、自分の心からやりたいと思うことが行動できるようになるという自己肯定感・自己効力感の発育)。だから子どもの表現が面白いからと言って、安易に批評にさらされることのないように丁寧に扱うことが必要かと思う。(これは学芸会嫌いを生んだ日本の演劇教育の反省でもある)

最後に私の妄想を述べる。
このような面白い先生方のスキルは「名人芸」としてミステリアスに語られがちだ。○○先生だからできることだよね。ワタシには無理。初任者では無理と。
しかし私は、おそらくトレーニングが可能だろうと思う。実際、私はそのような教員指導を行っているし、研修講師・ビジネスコーチに対してもワークショップを行っているし。効果も実感している。もしこのような手法が日本に広がれば、どんな授業であれ、もっと子どもたちが生き活きできる授業になっていくのはないか。もちろん「教師の即興性に特化したトレーニングプログラム」が必要だろうが、その開発はきっとそんなに難しくはない。学校や先生方が掌をひらいてくだされば、きっとその効果は期待できるだろう。
 さらに現在は、コミュニケーション教育という名前で演劇が学校教育に導入されつつある。これはこれで素晴らしい活動であることは確かである。しかし、もし教員が即興的なやりとりをできるようになれば、どんな授業でも即興的な要素を盛り込むことが可能である。コミュニケーションを学ぶための特別な時間枠を設ける必要はない。教員教育の中にこのようなプログラムを入れ込むことはできないだろうか。入れて欲しいなぁ〜。。
 なおここで気をつけなくてはならないことがある。「手法」という言葉を使うと、あっという間に「マニュアル」という意味に絡めとられてしまうことだ。それでは本末転倒だ。形のないものを形のないものとして伝えていく必要がある。ここが抜け落ちないように、指導するときには丁寧に伝えていく必要があるだろう。

子どもと大人が即興的に関わることが「当たり前」になったとき、本来の子どもたちはより解放され、面白い子どもたちが増えるだろう。社会もよりオモロくなるだろう。そのためには、大人がもっと即興的に行動できるようになることが先決。そのためのアクションを起こしたい。赤木先生のご講義に参加して、そんな気持ちになった。

今回、赤木先生のご講義から、多くのインスピレーションをいただきました。
赤木先生、それからこの会を主催してくださった茂呂先生にあらためて感謝を申し上げます。

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