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僧侶登場

告別式。
お坊さんが登場した。
じゃじゃ〜ん
とBGMが聞こえてきそうな登場。
昨晩よりも豪華なお衣装で、昨晩よりも堂々と見える。
「昨晩お話できて良かったな」と思った。

昨晩のこと。
お通夜が終わり湯川さんと相談をしていると、遠くで家族がもめている。
通夜振る舞いにお坊さんがいらっしゃり、ひとりポツンと座っている。
誰かがお坊さんの隣に座って、話し相手にならなくてはならない。
でも何をしゃべったらいいか分からない。
私は嫌、僕は無理、私も嫌よ、あなたが行けば。

ワタシは言った。

ワタシがやる!
ってか喜んでやる!
ってかお話したいし!

ワタシはお坊さんの前に座り(母がすでに隣に座っていたので)、お経の声が素晴らしかったこと、お話が興味深かったこと、お話の内容を科学的に見た自分の意見などを話した。

ぷっくりと丸く貫禄のあるお坊さんだが、よく見ると30歳代ぐらい。メガネの奥にリスのような目があった。

ワタシたちは仏教の話でもりあがり、お坊さんが次男で、京都の大学に行って、1年築地本願寺で修行をして、中之島で小さなお寺をひらいたこと。檀家を増やすため、仏教を知ってもらうためにセミナーなども始めていることなどを伺った。

お寺に葬儀の日程を告げた時「忙しいからスケジュールを調整する」と言われ、結果的に「次男が代理でくる」ことになったため、こちらとしては「100年以上檀家でいるのに、どうして住職が来ないんだ」と思ったりもした。しかし今では、このお坊さんに来てもらって良かったなと思える。うちも次男が施主だしね。

うちの夫は、「お経の内容は分からなかったけれど、お坊さんの声がすばらしく、まるで歌を聞いているようで楽しめた。素晴らしい声ですね」と言った。お坊さんはリスの黒い目をパチクリさせていた。仏教の言葉を英語でどのように言えるのか。例えば「縁」という言葉を「connection」とだけ訳していいものか。そんなことをぐるぐる話した。ワタシはお坊さんと遠慮なく話ができたことに嬉しさと親密さを感じた。

そして告別式。
お坊さんがやってきた。みんなでお迎えする。お坊さんがスタスタとワタシのところにやってきて「昨晩に話題になった仏教のことがここに書かれています。四十九日のときぐらいに返していただければいいので、読んでみてください」と「訳せない日本語〜日本人の言葉と心〜」という本を手渡してくれた。経緯をしらない家族たちは「なんであなただけに個人的に話をしてきたのか」とザワザワしていた。

きっと昨晩の話も影響したのだろう、今日のお坊さんはさらに朗々とした美声でお経を読み上げてくださった。

こうやってお葬式は「自分たちのもの」になる。
もしお坊さんと表面的な儀礼としてのコミュニケーションだけをしていたら、彼の行動も礼儀だけの表面的なものだったかもしれない。そうでなくても「これは建前だから」というふうに感じてしまったかもしれない。しかし個人的にきちんとコミュニケーションをとっていれば、人はかならず肯定的な答えとしての行動をしてくれる。それはこちらをも肯定的な気持ちにさせてくれるし、それが全体の場をよくしてくれる。

リスペクトは大事。
しかしそれは「その人と距離をとる」ということではないんだな。とワタシは思う。


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