”強い人”には種類がある
「あなたは強いわよね」と言われ続け、はや50年になろうか。そう言われてもうれしくはない。何故なら、そこにはたいてい”皮肉”が込められていることが多いからだ。私の言い分としては、HSPのせいか、人の”て・に・を・は”が非常に気になりクヨクヨ悩むし、人に受けいれられないことが多く、「あー、もう死んだ方がいいだ、私なんて!」と自暴自棄になったことは数知れず。そんな傷つく私の心も知らず、顔のツラが厚く、「図太い、強いヤツ」と思われるのは非常に心外だ。
その一方で、「気が強い」という表現もあるが、これはあまり言われた記憶がない。こちらは、特に女性に対する表現が多く、これまた「わがままそうな面倒な人」というイメージでよろしくない。私が言われる”強い”と、”気が強い”には、何らかの微妙な違いがあるようだ。
”気が強い”と言われる人は、自分の好き嫌いを先に主張するタイプが多いと思われる。例えばいきなり初対面で、「私、添加物の入ったものは一切食べないのよね」。一般的に初対面で食べ物を話するならば、最近話題の食品やスイーツの話から入って、食べたことがあるとか、あの店が近所にあっていつも行列だなと、”世間話”から入って、そこから自分の趣味趣向の話に移行する。だが、”気の強い人”と言われる人は、自分の主張は先に、”宣言”する。そうなると、「あー、この人との相談事、交渉や話し合いは容易じゃないな」と思ってしまう。言い換えるなら、並々ならぬ”気合”が感じら、圧倒される。
では私はどうか?少なくとも、いきなり自己主張はしない。まずは、相手の出方を観察し、その人の”人となり”を分析し、ある仮説を立てながら、慎重に選んだ世間話に入る。そして、特に仕事などで関係性が広がると、信念、正義や価値観などを絡めた話をすることが多くなる。そうなると、私には強固で、ゆるぎないそういったものを持ち合わせている。それは自分でも自覚するので、他人からすると、”こいつには太刀打ちできない鉄壁みたいなヤツ、あー面倒という印象を与えるのかもしれない。
この私の城壁を破る人は、この先に現れるのか?それは、「太陽の北風」のように、強さを強さで打ち負かすのではなく、意外な方法なのかもしれない。
追記:onodaheisakuさんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。