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話の内容じゃなく、言い方を変えれば解決?

お前の言っていることは正しいけど、その言い方がキツイ

何度となく、特に男性の上司、同僚に言われたことがある。確かに、私は「女性らしい可愛げ」がある方とは言えない。ないわけではないが、仕事において、そういうものを活用しようという考えがない。こちらは真面目に仕事の話をしているのに、急に論点をそらされ、面食らう。

もちろん最初から、誰に対しても、厳しい口調で接しているわけではない。こちらも冷静さと敬意を持って、相手の調子を合わせる。その内、だんだん相手が無理難題を押し付けてくる。私もなんとか食らいつくが、他の人との扱いに顕著な差が出て、仕事に支障が出る。私のモチベーションが下がってくるので、状況を客観的に分析し、自分の感情はなるべくは除して、理路整然と伝えて問題解決を一緒にしてもらうとしているが、そこには笑顔がないし、”真剣な顔=怖い”となるのだろう。

では、そこから穏やかな口調に言いなおしたら、相手は私と向き合うのか。いや、そうではない。ここまでくると、話した内容など、相手にとっては、もうどうでもいいのだ。

確かに、見た目、話し方、伝え方を変えるだけで、相手の懐にすんなり入りやすくなる。それは真理だ。だが、もうそんな小手先の技術ではどうしようもないくらいのレベルまで問題がこじれた時はどうか。勇気を出して、問題提起をしたのに、「その言い方が嫌いだ」と一方的にコミュニケーションを強制終了するのは、それこそいい大人がやる事ではない。

そうなると、はやり話した内容が重要になってくる。例えば、自分が気がつかなかった問題で、かつ、自分も同意できる問題だったら、言い方なんて気にしない。だが、薄々気がついているが、理由があって、人に触れられたくない問題を掘り起こされてしまった時、”言い方”に論点をすり替え、相手を黙らせようとする。単純に「甘えているだけ」だ。だったら、、もはや私の言い方の問題ではない。第一、そこまで私を追い込んだのは誰ですか?あなたです。物事は、どちらか一方だけが原因を作るということはなのはずだ。

「言い方が気に入らない」と、ネガティブなフィードバックに引きずられてしまうが、話の内容自体を認めている。そうだ、私の論点はそもそもそこだ。私は間違っていない、その自分を認めてあげよう。

追記:kosuketsubotaさんの画像を使わせていただきました。ありがとうございました。


「人生経験の引き出し」がいっぱいあります。何か悩み解決のヒントになる話が提供できるかもしれません。